福沢諭吉小品集 / 経世の学、また講究すべし・第3段
右に述ぶる事実、はたして違うことなくば、ある人の憂慮する少年書生の無勘弁なる者を導きて、これに勘弁の力を附与し、その判断の識を明らかならしむるの法、いかんして可ならん。身を終るまでこれを束縛して、政治経済等の書を見ることなからしめんか。少年は終身の少年に非ず、三、五年をすぐれば屈強の大人たるをいかんせん。政治経済は有用の学なり、大人にしてこれを知らざるは不都合ならん。今一歩を譲り、人生は徳義を第一として、これに兼ぬるに物理の知識をもってすれば、もって社会の良民たるに恥じず。経世の学は必ずしもこれを学問として学ばざるも、おのずから社会の実際にあたりてこれを得ること容易なり。 たとえば今の日本政府にていえば、大蔵の官吏、必ずしも経済学を執行したる者に非ず、文部の官吏、必ずしも教育論を研究したるに非ざるも、その実際に事のあがるは今日の如し。ひっきょう、経世は活学にして、当局者が局にあたりて後の練磨なり、決して学校より生ずるものに非ずとして安心せんと欲するも、ここに安心すべからざるものあり。すなわち人生奇異を好むの性情にして、たとい少年を徳学に養い理学に育して、あたかもこれを筐中に秘蔵するが如くせんとするも、天下、人を蔵るの筐なし、一旦の機に逢うてたちまち破裂すべきをいかんせん。而してその破裂の勢は、これを蔵むるのいよいよ堅固にして、時日のいよいよ久しきその割合にしたがいて、いよいよ劇烈なるべし。
書き下し
右に述ぶる事実、はたして違うことなくば、ある人の憂慮する少年書生の無勘弁なる者を導きて、これに勘弁の力を附与し、その判断の識を明らかならしむるの法、いかんして可ならん。身を終るまでこれを束縛して、政治経済等の書を見ることなからしめんか。少年は終身の少年に非ず、三、五年をすぐれば屈強の大人たるをいかんせん。政治経済は有用の学なり、大人にしてこれを知らざるは不都合ならん。今一歩を譲り、人生は徳義を第一として、これに兼ぬるに物理の知識をもってすれば、もって社会の良民たるに恥じず。経世の学は必ずしもこれを学問として学ばざるも、おのずから社会の実際にあたりてこれを得ること容易なり。 たとえば今の日本政府にていえば、大蔵の官吏、必ずしも経済学を執行したる者に非ず、文部の官吏、必ずしも教育論を研究したるに非ざるも、その実際に事のあがるは今日の如し。ひっきょう、経世は活学にして、当局者が局にあたりて後の練磨なり、決して学校より生ずるものに非ずとして安心せんと欲するも、ここに安心すべからざるものあり。すなわち人生奇異を好むの性情にして、たとい少年を徳学に養い理学に育して、あたかもこれを筐中に秘蔵するが如くせんとするも、天下、人を蔵るの筐なし、一旦の機に逢うてたちまち破裂すべきをいかんせん。而してその破裂の勢は、これを蔵むるのいよいよ堅固にして、時日のいよいよ久しきその割合にしたがいて、いよいよ劇烈なるべし。
現代語訳
右に述べた事実がもし間違いないなら、ある人が憂慮する、少年書生の分別のない者を導き、これに分別の力を与え、その判断の識を明らかにさせる方法は、どうすればよいでしょうか。生涯これを束縛して、政治経済などの書を見ることがないようにしましょうか。少年は終身の少年ではなく、三、五年を過ぎれば屈強な大人になるのですから、どうしようもありません。政治経済は有用の学であり、大人がこれを知らないのは不都合でしょう。もう一歩譲り、人生は道徳を第一とし、これに物理の知識を兼ねれば、社会の良民として恥じない、としましょう。経世の学は、必ずしも学問として学ばなくても、おのずから社会の実際に当たって習得することが容易です。 たとえば今の日本政府について言えば、大蔵の官吏は必ずしも経済学を修めた者ではなく、文部の官吏は必ずしも教育論を研究したわけではないのに、実際に事が成っているのは今日のとおりです。結局、経世は活学であり、当局者がその局に当たってからの練磨であって、決して学校から生まれるものではないとして安心したくても、ここには安心できないものがあります。すなわち人が珍しいものを好む性情です。たとえ少年を道徳の学や物理の学で養って、あたかも箱の中に秘蔵するようにしようとしても、天下に人を蔵しておく箱はなく、ひとたび機会に出会えばたちまち破裂するのをどうすることもできません。しかもその破裂の勢いは、蔵めるのが堅固であるほど、時日が久しいほど、その割合に応じて、いよいよ激しくなるでしょう。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・経世の学、また講究すべし・第1段ある人いわく、慶応義塾の学則を一見し、その学風を伝聞しても、初学の輩はもっぱら物理学を教うるとのこと、我が輩のもっとも賛誉するところなれども、学生の年ようやく長じて、その上級に達する者へは、哲学・法学の大意、または政治・経済の書をも研究せしむるという。 そもそも義塾の生徒、その年長ずるというも、二十歳前後にして、二十五歳以上の者は稀なるべし。概してこれを弱冠の年齢といわざるをえず。たとい天稟の才あるも、社会人事の経験に乏しきは、むろんにして、いわば無勘弁の少年と評するも不当に非ざるべし。この少年をして政治・経済の書を読ましむるは危険に非ずや。政治・経済、もとよりその学を非なりというに非ざれども、これを読みて世の安寧を助くると、これを妨ぐるとは、その人に存するのみ。 余輩の所見にては、弱冠の生徒にしてこれらの学につくは、なお早しといわざるをえず。その危険は小児をして利刀を弄せしむるに異ならざるべし。いわんや近来は世上に政談流行して、物論はなはだ喧しき時節なるにおいてをや。人の子を教うるの学塾にして、かえって、これを傷うの憂いなきを期すべからず、云々と。 我が輩、この忠告の言を案ずるに、ある人の所見において、つまり政治経済学の有用なるは明らかなれども、これを学びて世を害すると否とは、その人に存す。弱冠の書生は、多くは無勘弁にして、その人に非ずということならん。この言、まことに是なり。 事物につき是非判断の勘弁なくして、これを取扱うときは、必ず益なくして害をいたすべきや明らかなり。馬を撰ばずして、みだりに乗れば落つることあり。食物を撰ばずしてみだりに食えば毒にあたることあり。判断の明、まことに大切なることなれども、ただこれを大切なりというのみにては、未だもって議論のつきたるものに非ず。ゆえに今この問題に付ては、人にしてこの明識を有すると有せざるとの原因はいかん、これを養うの方法はいかにして可ならんとて、その原因を尋ね、その方法を求めて、はじめて議論の局を結ぶべきなり。
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福沢諭吉小品集・経世の学、また講究すべし・第4段たとえば今ここに一種の学校を設けて、まったく経世の学を禁じ、政治・経済の書を禁じ、また歴史をも禁じて、生徒を養うこと数年の後は必ず成業にいたらん。その時において、生徒の所得は理学・徳学にして、純然たる良民たる者ならん。然るに、この良民が家にありて一部の経世書を読むか、または外に出でて一夜の政談演説を聴き、しかもその書、その演説は、すこぶる詭激奇抜の民権論にして、人を驚かすに足るものとせん。ここにおいて、かの良民は如何の感をなすべきや。聾盲とみに耳目を開きて声色に逢うが如く、一時は心事を顛覆するや必せり。心事顛覆したり、また判断の明識あるべからず。かくの如きはすなわち、辛苦数年、順良の生徒を養育して、一夜の演説、もってその所得を一掃したるものというべし。 ただにこれを一掃するのみならず、順良の極度より詭激の極度に移るその有様は、かの仏蘭西北部の人が葡萄酒に酔い、菓子屋の丁稚が甘に耽るが如く、底止するところを知らざるにいたるべし。人を順良にせんとするの方便は、たまたまこれを詭激に導くの助けをなし、目的の齟齬する、これよりはなはだしきはなし。ひっきょう、社会は活世界にして、学校に教うる者も活物なれば、学ぶ者もまた活物なり。この活物の運動は、親子の間柄にてもなおかつ自由ならざるものあり。いわんや他人の子を教うるにおいてをや。決して意の如くなるべからざるなり。 学校の教育は、決して教者の意の如くなるべきものに非ず。すでに不如意なるを知らば、その不如意に処するの法を案ずるこそ緊要なれ。前にいえる如く、少年輩がややもすれば経世の議論を吐き、あるいは流行の政談に奔走して、無益に心身を労し、はなはだしきは国安妨害の弊に陥るが如きは、元とその輩の無勘弁なるがためなり。その無勘弁の原因は何ぞや。真成の経世論を知らざるがためなり。詭激の経世論、もとより厭うべしといえども、その論者はこれを知るがゆえに論ずるに非ず、知らざるがゆえにこれを論ずるのみ。
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福沢諭吉小品集・経世の学、また講究すべし・第5段ゆえに我が慶応義塾においては、上等の生徒に哲学・法学あるいは政治・経済の書を禁ぜざるは、これを禁ぜずして、その真成の理を解せしめ、是非判断の識を明らかならしめんがためなり。多年の実験によってこれを案ずるに、書を読むこといよいよ深き者は、いよいよ沈黙するが如し。而してその黙するや、これをいうを忘れたるに非ず、時あっていうときは、その言も亦適切にして、忌憚するところなきがゆえに、時としては俗耳を驚かすことなきに非ざれども、これはただ聴者不学の罪のみ。その適例は近きにあり。 近来世上に民権の議論しきりにかしましくして、外国にも先例なきが如きそのゆえんは何ぞや。今の民権論者は近来はじめてこれらの論旨を聞き得て、その奇異に驚き、これに驚き、これに動揺して、あたかも聾盲の耳目を開きたるが如きものなればなり。もとよりその論者中には、多年の苦学勉強をもって、内に知識を蔵め、広く世上の形勢を察して、大いに奮発する者なきに非ず。 我が輩、その人を知らざるに非ずといえども、概してこれを評すれば、今の民権論の特にかしましきは、とくに不学者流の多きがゆえなりといわざるをえず。実際には行われ難き事なれども、もしも諸方に行わるる政談演説を聴きて、その論勢の寛猛粗密を統計表につくりて見るべきものならば、そのいよいよ粗暴にして言論の無稽なる割合にしたがいて、その演説者もいよいよ不学なりとの事実を発明することあるべし。他なし、経世の事を論じて判断の明に乏しければなり。ゆえに我が義塾においては、生徒の卒業に至るまでは、ただ学識を育して判断の明を研くの一方に力をつくし、業成り塾を去るの後は、行くところに任して、かつてその言行に干渉するなしといえども、つねにその軽率ならざるを祈り、論ずるときは大いに論じ、黙するときは大に黙する者をもって、真に我が社友と認むるのみ。ただ漫然たる江湖において、論者も不学、聴者も不学、たがいに不学無勘弁の下界に戦う者は、捨ててこれを論ぜざるなり。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第8段たとえば政府の当局者が、貿易の振わずして一両年間輸出入の不平均なるを憂い、これは我が国人が殖産工商の道に迂闊なるがゆえなり、工業起さざるべからず、商法講ぜざるべからずとて、しきりにこれを奨励して、後進の青年を商工の一方に教育せんとするその最中に、外国政治上の報告を聞けば、近来はなはだ穏ならず、欧洲各国の形勢云々なるのみならず、近く隣国の支那において、大臣某氏が政権をとりて、その政略はかくの如し、あるいは東洋全面の風波も計るべからず、不虞に予備するは廟算の極意にして、目下の急は武備を拡張して士気を振起するにあり、学校教育の風も文弱に流れずして尚武の気を奨励するこそ大切なれとて、その針路に向うときは、さきに工芸商法を講習してまさに殖産の道を学ばんとしたる学生も、たちまち経済書を廃して兵書を読み、筆を投じて戎軒を事とするの念を発すべし。 少年の心事、その軟弱なること杞柳の如く、他の指示するところにしたがいて変化すること、はなはだやすし。而してその指示の原因はいずれよりすと尋ぬるに、一両年間、貿易輸出入の不平均か、もしくは隣国一大臣の進退にすぎず。内国貿易の景況、隣国交際の政略、当局の政治家においては実に大切にして等閑に附すべからざるものなれども、これがために所期百年の教育上に影響を及ぼすとは憐むべき次第ならずや。かく政治と学問と密着するときは、甲者の変勢にさいして常に乙者の動揺を生じ、その変いよいよはなはだしければその余波もまた、いよいよ劇なり。 ここに一例をあぐれば、旧幕府の時代、江戸に開成学校なるものを設立して学生を教育し、その組織ずいぶん盛大なるものにして、あたかも日本国中洋学の中心とも称すべき姿なりしが、一朝幕政府の顛覆に際して、生徒教員もたちまち四方に散じて行くところを知らず、東征の王師、必ずしも開成校を敵としてこれを滅さんとするの意もなかりしことならんといえども、学者の輩がかくも狼狽して、一朝にして一大学校を空了して、日本国の洋学が幕府とともに廃滅したるは何ぞや。開成校は幕政府中の学校にして、時の政治に密着したるがゆえなり。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第3段もとより学問の事なれば、行政官の学校に学ぶも、またいずれの学問所に学ぶも同様なるべきに似たれども、政治社会の実際において然らざるものあり。けだし国の政事は、前にもいえる如く、今日の人事にあたりて臨機応変の処分あるべきものにして、たとえば饑饉には救恤の備えをなし、外患には兵馬を用意し、紙幣下落すれば金銀貨を求め、貿易の盛衰をみては関税を上下する等、俗言これを評すれば掛引の忙わしきものなるがゆえに、もしも国の学校を行政の部内に入るるときは、その学風もまた、おのずからこの掛引のために左右せらるるなきを期すべからず。掛引は日夜の臨機応変にして、政略上にもっとも大切なる部分なれば、政治家の常に怠るべからざる事なれども、学問は一日一夜の学問に非ず、容易に変易すべからざるなり。 もとより今の文部省の学制とても、決して政治に関係するに非ず。その学校の教則の如き、我が輩の見るところにおいて大なる異論あるなし。徳育を重んじ智育を貴び、その術学、たいがい皆、西洋文明の元素にとりて、体育養生の法にいたるまでも遺すところなきは、美なりというべしといえども、いかんせん、この美なる学制を施行する者が、行政官の吏人たるのみならず、ただちに生徒に接して教授する者もまた吏人にして、かつ学校教場の細事務と一般の気風とは学則中に記すべきにも非ざれば、その気風精神のよりて生ずる源は、これを目下の行政上にとらざるをえず。而してその行政なるものは、全体の性質において遠年に持続すべきものに非ず。また、持続してよろしからざるものなれば、政治の針路の変化するにしたがいて、学校の気風精神もまた変化せざるをえず。学問の本色に背くものというべし。
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第16段前章にいえる如く、当世の学者は一心一向にその思想を政府の政に凝らし、すでに過剰にして持てあましたる官員の中に割込み、なおも奇計妙策を政の実地に施さんとする者は、その数ほとんどはかるべからず。ただに今日、熱中奔走する者のみならず、内外に執行する書生にいたるまでも、法律を学ぶ者は司法省をねらい、経済学に志す者は大蔵省を目的とし、工学を勉強するは工部に入らんがためなり。万国公法を明らかにするは外務の官員たらんがためなり。かかる勢にては、この書生輩の行末を察するに、専門には不得手にしていわゆる事務なるものに長じ、私に適せずして官に適し、官に容れざれば野に煩悶し、結局は官私不和の媒となる者、その大半におるべし。政府のためを謀れば、はなはだ不便利なり、当人のためを謀れば、はなはだ不了簡なり。今の学者は政府の政談の外に、なお急にして重大なるものなしと思うか。 手近くここにその一、二を示さん。学者はかの公私に雇われたる外国人を見ずや。この外国人は莫大なる月給を取りて何事をなすか。余輩、未だ英国に日本人の雇われて年に数千の給料を取る者あるを聞かず。而して独り我が日本国にて外人を雇うは何ぞや。他なし、内国にその人物なきがゆえなり。学者に乏しきがゆえなり。学者の頭数はあれども、役に立つべき学者なきがゆえなり。今の学者が今より勉強して幾年を過ぎなば、この雇の外国人をやめてこれに交代すべきや。新聞紙の政談に志すも、この交代の日は容易に来ることなかるべし。 また、一昨年一二月八日に金星の日食ありて、諸外国の天文家は日本に来て測量したり。この時において、学者は何の観をなしたるか。金の魚虎は墺国の博覧会に舁つぎ出したれども、自国の金星の日食に、一人の天文学者なしとは不外聞ならずや。
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