福沢諭吉小品集 / 中津留別の書・第4段
人の心の同じからざる、その面の相異なるが如し。世の開るにしたがい、不善の輩もしたがって増し、平民一人ずつの力にては、その身を安くし、その身代を護るに足らず。ここにおいて一国衆人の名代なる者を設け、一般の便不便を謀て政律を立て、勧善懲悪の法、はじめて世に行わる。この名代を名づけて政府という。その首長を国君といい、附属の人を官吏という。国の安全を保ち、他の軽侮を防ぐためには、欠くべからざるものなり。 およそ世の中に仕事の種類多しといえども、国の政事を取扱うほど難きものはなし。骨折る者はその報を取るべき天の道なれば、仕事の難きほど報も大なるはずなり。ゆえに政府の下にいて政事の恩沢を蒙る者は、国君・官吏の給料多しとてこれをうらやむべからず。政府の法正しければその給金は安きものなり。ただにこれをうらやまざるのみならず、また、したがってその人を尊敬せざるべからず。ただし国君官吏たる者も、自から労して自から食うの大義を失わずして、その所労の力とその所得の給料と軽重いかんを考えざるべからず。これすなわち君臣の義というものか。 右は人間の交の大略なり。その詳なるは二、三枚の紙につくすべからず、必ず書を読ざるべからず。書を読むとは、ひとり日本の書のみならず、支那の書も読み、天竺の書も読み、西洋諸国の書も読ざるべからず。このごろ世間に、皇学・漢学・洋学などいい、おのおの自家の学流を立て、たがいに相誹謗するよし。もってのほかの事なり。学問とはただ紙に記したる字を読むことにて、あまりむつかしき事にあらず。学流得失の論は、まず字を知りて後の沙汰なれば、あらかじめ空論に時日をついやすは益なき事なり。人間の智恵をもって、日本・支那・英仏等、わずか二、三ヶ国の語を学ぶになにほどの骨折あるや。鄙怯らしくもその字を知らずしてかえって己が知らざる学問のことを誹謗するは、男子の恥ずべきことにあらずや。学問をするには、まず学流の得失よりも、我が本国の利害を考えざるべからず。
書き下し
人の心の同じからざる、その面の相異なるが如し。世の開るにしたがい、不善の輩もしたがって増し、平民一人ずつの力にては、その身を安くし、その身代を護るに足らず。ここにおいて一国衆人の名代なる者を設け、一般の便不便を謀て政律を立て、勧善懲悪の法、はじめて世に行わる。この名代を名づけて政府という。その首長を国君といい、附属の人を官吏という。国の安全を保ち、他の軽侮を防ぐためには、欠くべからざるものなり。 およそ世の中に仕事の種類多しといえども、国の政事を取扱うほど難きものはなし。骨折る者はその報を取るべき天の道なれば、仕事の難きほど報も大なるはずなり。ゆえに政府の下にいて政事の恩沢を蒙る者は、国君・官吏の給料多しとてこれをうらやむべからず。政府の法正しければその給金は安きものなり。ただにこれをうらやまざるのみならず、また、したがってその人を尊敬せざるべからず。ただし国君官吏たる者も、自から労して自から食うの大義を失わずして、その所労の力とその所得の給料と軽重いかんを考えざるべからず。これすなわち君臣の義というものか。 右は人間の交の大略なり。その詳なるは二、三枚の紙につくすべからず、必ず書を読ざるべからず。書を読むとは、ひとり日本の書のみならず、支那の書も読み、天竺の書も読み、西洋諸国の書も読ざるべからず。このごろ世間に、皇学・漢学・洋学などいい、おのおの自家の学流を立て、たがいに相誹謗するよし。もってのほかの事なり。学問とはただ紙に記したる字を読むことにて、あまりむつかしき事にあらず。学流得失の論は、まず字を知りて後の沙汰なれば、あらかじめ空論に時日をついやすは益なき事なり。人間の智恵をもって、日本・支那・英仏等、わずか二、三ヶ国の語を学ぶになにほどの骨折あるや。鄙怯らしくもその字を知らずしてかえって己が知らざる学問のことを誹謗するは、男子の恥ずべきことにあらずや。学問をするには、まず学流の得失よりも、我が本国の利害を考えざるべからず。
現代語訳
人の心が同じでないのは、その顔がそれぞれ違うのと同じです。世が開けるにつれて、よくない者もしたがって増え、庶民一人の力だけでは、わが身を安全にし、財産を守るのに足りません。そこで一国の人々の代理人を設け、全体の便不便をはかって法律を立て、善を勧め悪を懲らす法がはじめて世に行われます。この代理人を政府と名づけます。その長を国君といい、付属の人を官吏といいます。国の安全を保ち、他国の侮りを防ぐためには、欠かせないものです。 およそ世の中に仕事の種類は多いけれども、国の政治を扱うほど難しいものはありません。骨を折る者がその報いを受けるのは天の道ですから、仕事が難しいほど報酬も大きいはずです。ゆえに政府のもとにいて政治の恩恵を受ける者は、国君や官吏の給料が多いからといってうらやんではなりません。政府の法が正しければ、その給料は安いものです。ただうらやまないだけでなく、したがってその人を尊敬しなければなりません。ただし国君や官吏である者も、自ら労して自ら食うという大義を失わず、その労する力と受け取る給料との釣り合いを考えなければなりません。これがすなわち君臣の義というものでしょうか。 以上は、人間の交わりの大略です。その詳細は二、三枚の紙に尽くせるものではなく、必ず書物を読まなければなりません。書物を読むとは、日本の書だけでなく、中国の書も読み、インドの書も読み、西洋諸国の書も読まなければなりません。近ごろ世間では、皇学、漢学、洋学などといい、それぞれ自分の学派を立てて、互いに誹謗し合っているそうです。もってのほかです。学問とはただ紙に書かれた字を読むことで、それほど難しいことではありません。学派の得失を論じるのは、まず字を知ってからのことですから、あらかじめ空論に時間を費やすのは無益です。人間の知恵をもって、日本、中国、英仏などわずか二、三か国の言葉を学ぶのに、どれほどの苦労があるでしょう。卑怯にもその字を知らないで、かえって自分の知らない学問を誹謗するのは、男子として恥ずべきことではありませんか。学問をするには、まず学派の得失よりも、わが本国の利害を考えなければなりません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第13段今政府と人民とは他人の間柄なり。未だ遠ざからずして、まず相近づかんとするは、事の順序を誤るものというべし。けだし各種の人がめいめいの地位にいて、その地位の利害におおわれ、ついに事柄の判断を誤るものは、他の地位の有様を詳にすること能わざるがゆえなり。その有様に密接すること、同居人が眠食をともにするが如くなるがゆえなり。その相接すること密に過ぎ、かえって他の全体を見ること能わずして、局処をうかがうに察々たるがゆえなり。なお、かの、山を望み見ずして山に登りて山を見るが如く、とうてい物の真情を知るによしなし。真情相通ぜざれば、双方の交際は、ただ局処の不平と不平と敵対の勢をなすのみ。 ここにおいてか、人を妬み人を悪て、たがいに寸分の余地をのこさず、力ある者は力をつくし、智恵ある者は智恵をたくましゅうし、ただ一片の不平心を慰めんがために孜々として、永遠の利害はこれを放却して忘れたるが如くなるにいたる者、すくなからず。ひっきょう、その本は、たがいに近づくべからざるの有様をもって、強いて相近づかんとし、たがいにその有様を誤解して、かえってますます遠隔敵視の禍を増すものというべし。 今世間の喋々を聞けば、一方の説にいわく、人民無智無法なるがゆえに政府これに権力を附与すべからずと。また一方はいわく、政府はさまざまの事に手を出し、さまざまの法をつくりて人民の働をたくましゅうせしめずと。いわゆる水掛論なり。然りといえども、智愚相対してその間に不和あれば、智者まず他を容れてこれを処置せざるべからず。 ゆえに真の愚民に対しては、政府まずその愚を容れてこの水掛論の処置に任せざるべからずといえども、本編の主として論ずる学者にいたりては、すなわちこれを愚民と同一視すべからず。この流の人は、改進政談家をもって自からおり、肉を裁するをいさぎよしとせずして、天下を裁するの志を抱き、政府に対してこれに感服せざるのみならず、つねに不平を訴うるほどのことなれば、その心志のとどまるところは、かえって政府の上流にありといわざるをえず。
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第17段また、外国の交際においても、字義を広くしてこれを論ずれば、霞が関の外務省のみをもって交際の場所と思うべからず。ひとたび国を開きてより以来、我が日本と諸外国との間には、貿易商売の交際あり、学芸工業の交際あり、これを概すれば、双方の間に智力の交際を始めたるものというべし。この交際はいずれも皆人民の身の上に引受け、人々その責に任ずべきものにして、政府はあたかも人民の交際に調印して請人に立ちたる者の如し。 ゆえに、貿易に不正あれば、商人の恥辱なり、これによりて利を失えば、その愚なり。学芸の上達せざるは、学者の不外聞なり、工業の拙なるは、職人の不調法なり。智力発達せずして品行の賤しきは、士君子の罪というべし。昔日鎖国の世なれば、これらの諸件に欠点あるも、ただ一国内に止まり、天に対し同国人に対しての罪なりしもの、今日にありては、天に対し同国人に対し、かねてまた外国人に対して体面を失し、その結局は我が本国の品価を低くして、全国の兄弟ともにその禍を蒙るのみならず、二千余年の独立を保ちし先人をも辱しむるにいたるべし。これを重大といわずして何物を重大といわん。 また試みに見よ、今の西洋諸国は果して至文至明の徳化にあまねくして、その人民は皇々如として王者の民の如くなるか。我が人民の智力学芸に欠点あるも、よくこれを容れてその釁に切込むことなく、永く対立の交際をなして、これに甘んずる者か。余輩断じてその然らざるを証す。結局双方の智力たがいに相頡頏するに非ざれば、その交際の権利もまた頡頏すべからざるなり。交際の難きものというべし。而してその難きとは、何事に比すれば難く、何物に比すれば易きや。今の日本の有様にては、これを至難にして比すべきものなしといわざるをえず。然らばすなわち、国の独立は重大なり、外国の交際は至難なり。学者はこの重大至難なる責に当るも、なおかつこれをかえりみず、区々たる政府に迫りてただちに不平を訴え、ますますその拙陋を示さんと欲するか。事物の難易軽重を弁ぜざる者というべし。 ゆえにいわく、今の時にあたりては、学者は区々たる政府の政を度外に置き、政府は瑣々たる学者の議論を度外に置き、たがいに余地を許してその働をたくましゅうせしめ、遠く喜憂の目的をともにして間接に相助くることあらば、民権も求めずして起り、政体も期せずして成り、識らず知らず改進の元素を発達して、双方ともに注文通りの目的に達すべきなり。
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第15段一国の政は正しく人民の智愚に応ずるものなれば、人力をもって容易に料理すべからず。さりとて、政府もまた、よく人智の進歩に着目して油断すべからざるなり。政府と学者と直接に相対すること、今日の如くしては際限あるべからず。ゆえに、たがいに相遠ざかりて、相近づくの法を求めざるべからず。離は合の術なり、遠は近の方便なりとの趣意にして、結局は政府と学者と直接の関係を止め、ともに高尚の域に昇りて永遠重大の喜憂をともにせんとするの旨を述べたるものなり。たとえばここに一軒の家あらん。楼下は陋しき一室にして、楼上には夥多の美室あり。地位職分を殊にする者が、この卑陋なる一室に雑居して苦々しき思をなさんより、高く楼に昇りてその室を分ち、おのおの当務の事を務むるはまた美ならずや。室を異にするも、家を異にするに非ず。居所高ければもって和すべく、居所卑ければ和すべからざるの異あるのみ。 末段にいたり、なお一章を附してこの編を終えん。すべて事物の緩急軽重とは相対したる意味にて、これよりも緩なり彼よりも急なりというまでのことなれば、時の事情によりて、緩といえば緩ならざるはなし、急といえば急ならざるはなし。この緩急軽重の判断にあたりては、もっとも心情の偏重によりて妨げらるるものなり。ゆえに今政府の事務を概して尋ぬれば、大となく小となく悉皆急ならざるはなしといえども、逐一その事の性質を詳にするときは、必ず大いに急ならざるものあらん。また、学者が新聞紙を読みて政を談ずるも、急といえば急なれども、なおこれよりも急にしてさらに重大なる事の箇条は枚挙にいとまあらざるべし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第18段人間社会の事は千緒万端にして、ただ政治のみをもって組織すべきものに非ず。人の働もまた、千緒万端に分別してこれに応ぜざるべからず。すなわち人事の分業分任なり。すでにこれを分てこれに任ずるときは、おのおの長ずるところあるべきは自然の理にして、農商の事に長ずるものあり、工芸技術に長ずるものあり、あるいは学問に長じ、あるいは政治に長ずる等、相互に争うべからざるものあるがゆえに、この事に長ずるものは、この事の長者としてこれを貴び、その業に長ずる者は、その業の長者としてこれに最上の栄誉をあたうるもまた、自然の理において許すべきものなり。たとえば大関が相撲最上の長者なれば、九段は碁将棋最上の長者にして、その長者たるや、一等官が政事の長者たるに異ならざるなり。 されば、生れながらにして学に志し、畢生の精神を自身の研究と他人の教導とに用いて、その一方に長ずる者は、学問社会の長者にして、これまた一等官が政事の長者たるに異ならざるや、もとより明白なり。而してその相撲の大関または碁将棋の九段なる者が、太政大臣と同一様の栄誉を得ざるは何ぞや。相撲と碁将棋とは、その事柄において、これを政事に比して軽重の別あるがゆえに、その軽重の差にしたがいて、双方の長と長と比肩するを得ざるものなりといえども、今一国文明の進歩を目的に定めて、政事と学事と相互に比較したらば、いずれを重しとし、いずれを軽しとするは、判断においてはなはだ難き事ならん。 学者をして学問の貴きを説かしめたらば、政事の如きは小児の戯にして論ずるに足らざるものなりといい、政事家もまた学問を蔑視して、実用に足らざる老朽の空論なりとすることならんといえども、これはいわゆる双方の偏頗論にして、公平にいえば、政事も学問もともに人事の至要にして、双方ともに一日も空しゅうすべからず。政事は実際の衝にあたって大切なり。学問は永遠の大計を期して大切なり。政事は目下の安寧を保護して学者の業を安からしめ、学問は人を教育して政事家をも陶冶し出だす。双方ともに毫も軽重あることなしとの裁判にて、双方に不平なかるべし。
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第5段されば人民たる者が一国にいて公に行うべき事の箇条は、政府の政に比して幾倍なるを知るべからず。外国商売の事あり、内国物産の事あり、開墾の事あり、運送の事あり、大なるは豪商の会社より、小なるは人力車挽の仲間にいたるまで、おのおのその政を施行して自家の政体を尊奉せざる者なし。かえりみて学者の領分を見れば、学校教授の事あり、読書著述の事あり、新聞紙の事あり、弁論演説の事あり。これらの諸件、よく功を奏して一般の繁盛をいたせば、これを名づけて文明の進歩と称す。 一国の文明は、政府の政と人民の政と両ながらその宜を得てたがいに相助くるに非ざれば、進むべからざるものなり。就中、人民の政は思いのほかに有力なるものにして、ややもすれば政府の政をもってこれを制すること能わざるもの多し。たとえば今の人力車の如し。その創業わずかに五、六年に過ぎざれども、すでにその通用の政体をなせば、たとい政府の力をもって前の四ツ手駕籠に復古せんとするも、決してよくすべからず。 また今の学者を見るに、維新以来の官費生徒はこれを別にし、天保年間より、漢学にても洋学にても学問に志して、今日国の用をなす者は、たいがい皆私費をもって私塾に入り、人民の学制によって成業したる者多し。今日においても官学校の生徒と私学校の生徒とを比較すれば、その学芸の進歩、一得一失、未だ優劣を決すべからず。あるいは学校費用の一点について官私を比較すれば、私立の方に幾倍の便利あること明らかに保証すべし。されば人民の政は、ただ多端なるのみに非ず、また盛大有力なりといわざるべからず。
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福沢諭吉小品集・中津留別の書・第5段方今、我が国に外国の交易始り、外国人の内、あるいは不正の輩ありて、我が国を貧にし我が国民を愚にし、自己の利を営んとする者多し。されば今、我が日本人の皇学・漢学など唱え、古風を慕い新法を悦ばず、世界の人情世体に通ぜずして、自から貧愚に陥るこそ、外国人の得意ならずや。彼の策中に籠絡せらるる者というべし。 この時にあたって外人のはばかるものは、ひとり西洋学のみ。ひろく万国の書を読て世界の事状に通じ、世界の公法をもって世界の公事を談じ、内には智徳を脩て人々の独立自由をたくましゅうし、外には公法を守て一国の独立をかがやかし、はじめて真の大日本国ならずや。これすなわち我が輩の着眼、皇漢洋三学の得失を問わず、ひとり洋学の急務なるを主張するゆえんなり。 願くは我が旧里中津の士民も、今より活眼を開て、まず洋学に従事し、自から労して自から食い、人の自由を妨げずして我が自由を達し、脩徳開智、鄙吝の心を却掃し、家内安全、天下富強の趣意を了解せらるべし。人誰か故郷を思わざらん、誰か旧人の幸福を祈らざる者あらん。発足の期、近にあり。怱々筆をとって西洋書中の大意を記し、他日諸君の考案にのこすのみ。 明治三年庚午一一月二七夜、中津留主居町の旧宅敗窓の下に記す 福沢諭吉
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