修身要領 / 第十一条
子女も亦独立自尊の人なれども、其幼時に在ては、父母これが教養の責に任ぜざる可らず。子女たるものは、父母の訓誨に従て孜々勉励、成長の後、独立自尊の男女として世に立つの素養を成す可きものなり。
書き下し
子女もまた独立自尊の人なれども、その幼時に在りては、父母これが教養の責に任ぜざるべからず。子女たるものは、父母の訓誨に従いて孜々勉励、成長ののち、独立自尊の男女として世に立つの素養を成すべきものなり。
現代語訳
子どもも独立自尊の人ですが、幼いうちは、父母がその教育と養育の責任を負わなければなりません。子どもである者は、父母の教えに従ってこつこつと努力し、成長したのち、独立自尊の男女として世に立つための素養を身につけなければなりません。
解説
子どもも一人の独立自尊の人だと認めたうえで、幼いうちは親が育てる責任を負い、子はそれに応えて学ぶ、という関係を描く条です。子どもを親の所有物とせず、独立した人格として見る点に、福沢らしい考えが表れています。育てる側の責任と、育つ側の努力が対になっているのも特徴です。この関係は、職場の上司と部下、先輩と後輩にも置き換えられます。育てる側は、相手がいずれ自分の足で立つ人だと意識して関わり、育つ側は、教えを受け止めて素養を築く。目的を独立に置くことで、指導のあり方が変わります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
子女の教養父母の責任孜々勉励素養独立自尊教育
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福沢諭吉小品集・中津留別の書・第3段世間にて、子の孝ならざるをとがめて、父母の慈ならざるを罪する者、稀なり。人の父母たる者、その子に対して、我が生たる子と唱え、手もて造り、金もて買いし道具などの如く思うは、大なる心得ちがいなり。天より人に授かりたる賜なれば、これを大切に思わざるべからず。子生るれば、父母力を合せてこれを教育し、年齢十歳余までは親の手許に置き、両親の威光と慈愛とにてよき方に導き、すでに学問の下地できれば学校に入れて師匠の教を受けしめ、一人前の人間に仕立ること、父母の役目なり、天に対しての奉公なり。子の年齢二十一、二歳にも及ぶときは、これを成人の齢と名づけ、おのおの一人の了管できるものなれば、父母はこれを棄てて顧みず、独立の活計を営ましめ、その好む所に行き、その欲する事をなさしめて可なり。 ただし親子の道は、生涯も死後も変るべきにあらざれば、子は孝行をつくし、親は慈愛を失うべからず。前にいえる棄てて顧みずとは、父子の間柄にても、その独立自由を妨げざるの趣意のみ。西洋書の内に、子生れてすでに成人に及ぶの後は、父母たる者は子に忠告すべくして命令すべからずとあり。万古不易の金言、思わざるべからず。 さてまた、子を教うるの道は、学問手習はもちろんなれども、習うより慣るるの教、大なるものなれば、父母の行状正しからざるべからず。口に正理を唱るも、身の行い鄙劣なれば、その子は父母の言語を教とせずしてその行状を見慣うものなり。いわんや父母の言行ともに不正なるをや。いかでその子の人たるを望むべき。孤子よりもなお不幸というべし。 あるいは父母の性質正直にして、子を愛するを知れども、事物の方向を弁ぜず、一筋に我が欲するところの道に入らしめんとする者あり。こは罪なきに似たれども、その実は子を愛するを知て子を愛するゆえんの道を知らざる者というべし。結局その子をして無智無徳の不幸に陥らしめ、天理人道に背く罪人なり。人の父母としてその子の病身なるを患ざるものなし。心の人にしかざるは、身体の不具なるよりも劣るものなるに、ひとりその身体の病を患て心の病を患えざるは何ぞや。婦人の仁というべきか、あるいは畜類の愛と名づくるも可なり。
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修身要領・第一条人は人たるの品位を進め、智徳を磨き、ますますその光輝を発揚するをもって、本分となさざるべからず。吾党の男女は、独立自尊の主義をもって修身処世の要領となし、これを服膺して、人たるの本分を全うすべきものなり。
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修身要領・第十六条人は自ら従事する所の業務に忠実ならざるべからず。その大小軽重に論なく、いやしくも責任を怠るものは、独立自尊の人に非ざるなり。
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修身要領・第十二条独立自尊の人たるを期するには、男女ともに、成人ののちにも、みずから学問を勉め、知識を開発し、徳性を修養するの心掛けを怠るべからず。
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福沢諭吉小品集・修身要領・第1段文明日新の修身処世法は、如何なる主義に依り如何なる方向に進む可きやとは、今の青年学生の大に惑ふ所にして、先輩に対して屡質問を起すものあり。福沢先生これに答ふる為めにとて、生等に嘱して文案を草せしむ。即ち先生平素の言行に基き、其大要を述べて、先生の閲覧を乞ひ、之を修身要領と名け、学生に示すこと左の如し。 明治三十三年二月紀元節 慶応義塾社中某々誌 凡そ日本国に生々する臣民は、男女老少を問はず、万世一系の帝室を奉戴して、其恩徳を仰がざるものある可らず。此一事は、満天下何人も疑を容れざる所なり。而して今日の男女が今日の社会に処する道を如何す可きやと云ふに、古来道徳の教、一にして足らずと雖も、徳教は人文の進歩と共に変化するの約束にして、日新文明の社会には自から其社会に適するの教なきを得ず。即ち修身処世の法を新にするの必要ある所以なり。 第一条 人は人たるの品位を進め、智徳を研き、ます/\其光輝を発揚するを以て、本分と為さざる可らず。吾党の男女は、独立自尊の主義を以て修身処世の要領と為し、之を服膺して、人たるの本分を全うす可きものなり。 第二条 心身の独立を全うし、自から其身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ。 第三条 自から労して自から食ふは、人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざる可らず。 第四条 身体を大切にし健康を保つは、人間生々の道に欠く可らざるの要務なり。常に心身を快活にして、苟めにも健康を害するの不養生を戒む可し。 第五条 天寿を全うするは人の本分を尽すものなり。原因事情の如何を問はず、自から生命を害するは、独立自尊の旨に反する背理卑怯の行為にして、最も賤む可き所なり。 第六条 敢為活溌堅忍不屈の精神を以てするに非ざれば、独立自尊の主義を実にするを得ず。人は進取確守の勇気を欠く可らず。 第七条 独立自尊の人は、一身の進退方向を他に依頼せずして、自から思慮判断するの智力を具へざる可らず。 第八条 男尊女卑は野蛮の陋習なり。文明の男女は同等同位、互に相敬愛して各その独立自尊を全からしむ可し。
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修身要領・第二十八条人の世に生まるる、智愚強弱の差なきを得ず。智強の数を増し愚弱の数を減ずるは、教育の力に在り。教育は即ち人に独立自尊の道を教えて、これを躬行実践するの工夫を啓くものなり。