福翁自伝 / 老余の半生・身体の養生
扨又心の養生法は右の如しとして、身の養生は如何だと申すに、私の身に極めて宜しくない極めて赤面すべき悪癖は、幼少の時から酒を好む一条で、然かも図抜けの大酒、世間には大酒をしても必ずしも酒が旨いとは思わず、飲んでも飲まなくても宜いと云う人があるが、私は左様でない。私の口には酒が旨くて多く飲みたいその上に、上等の銘酒を好んで、酒の良否が誠に能く分る。先年中一樽の価七、八円のとき、上下五十銭も相違すれば、先ず価を聞かずにチャンとその風味を飲み分けると云うような黒人で、その上等の酒をウンと飲んで、肴も良い肴を沢山喰い、満腹飲食した跡で飯もドッサリ給べて残す所なしと云う、誠に意地の穢ない所謂牛飲馬食とも云うべき男である。尚おその上に、この賤しむべき男が酒に酔て酔狂でもすれば自から警めると云うこともあろうが、大酒の癖に酒の上が決して悪くない。酔えば唯大きな声をして饒舌るばかり、遂ぞ人の気になるような忌がるような根性の悪いことを云て喧嘩をしたこともなければ、上戸本性真面目になって議論したこともないから、人に邪魔にされない。是れが却て不幸で、本人は宜い気になって、酒とさえ云えば一番先きに罷出て、人の一倍も二倍も三倍も飲んで天下に敵なしなんて得意がって居たのは、返す/\も愧かしい事であるが、酒の事を除てその外になれば、私は少年の時から宜い加減な摂生家と云ても宜しい。何も別段に摂生をしようなんてソンな六かしい考のあろうようもないが、日に三度の食事の外にメッタに物を食わない。或は母が給べさせなかったのか知らぬが、幼少から癖になって間の食物が欲しくない。殊に晩食の後、夜になれば如何なる好物があっても口に入れることが出来ない。例えば親類の不幸に通夜するとか、又は近火の騒ぎに夜を更かすとかして、自然に其処に食物が出て来ても食う気にならぬ。是れは母に仕込まれた習慣が生涯残て居るのでしょう。摂生の為めには最も宜しい習慣です。又私は随分気の長い方でない、何事もテキパキ早く遣ると云う風で、時としては人に笑われるような事も多い。所が三度の食事となると丸で別人のように変化して、何としても早く食うことが出来ない。子供の時に早飯と何とやらは武士の嗜なんと云て、人に悪く云われた事もあり、又自分でも早く食いたいと思て居たが、何分にも頬張て生噛にして食うことが出来ない。その後西洋流の書を読んで生噛の宜しくない事を知て、始めて是れは却て自分の悪い癖が宜い事になったと合点して大きに悦び、爾来憚る所もなくゆる/\食事をして、凡そ人の一、二倍も時を費します。是れも摂生の為めに甚だ宜しい。
書き下し
扨又心の養生法は右の如しとして、身の養生は如何だと申すに、私の身に極めて宜しくない極めて赤面すべき悪癖は、幼少の時から酒を好む一条で、然かも図抜けの大酒、世間には大酒をしても必ずしも酒が旨いとは思わず、飲んでも飲まなくても宜いと云う人があるが、私は左様でない。私の口には酒が旨くて多く飲みたいその上に、上等の銘酒を好んで、酒の良否が誠に能く分る。先年中一樽の価七、八円のとき、上下五十銭も相違すれば、先ず価を聞かずにチャンとその風味を飲み分けると云うような黒人で、その上等の酒をウンと飲んで、肴も良い肴を沢山喰い、満腹飲食した跡で飯もドッサリ給べて残す所なしと云う、誠に意地の穢ない所謂牛飲馬食とも云うべき男である。尚おその上に、この賤しむべき男が酒に酔て酔狂でもすれば自から警めると云うこともあろうが、大酒の癖に酒の上が決して悪くない。酔えば唯大きな声をして饒舌るばかり、遂ぞ人の気になるような忌がるような根性の悪いことを云て喧嘩をしたこともなければ、上戸本性真面目になって議論したこともないから、人に邪魔にされない。是れが却て不幸で、本人は宜い気になって、酒とさえ云えば一番先きに罷出て、人の一倍も二倍も三倍も飲んで天下に敵なしなんて得意がって居たのは、返す/\も愧かしい事であるが、酒の事を除てその外になれば、私は少年の時から宜い加減な摂生家と云ても宜しい。何も別段に摂生をしようなんてソンな六かしい考のあろうようもないが、日に三度の食事の外にメッタに物を食わない。或は母が給べさせなかったのか知らぬが、幼少から癖になって間の食物が欲しくない。殊に晩食の後、夜になれば如何なる好物があっても口に入れることが出来ない。例えば親類の不幸に通夜するとか、又は近火の騒ぎに夜を更かすとかして、自然に其処に食物が出て来ても食う気にならぬ。是れは母に仕込まれた習慣が生涯残て居るのでしょう。摂生の為めには最も宜しい習慣です。又私は随分気の長い方でない、何事もテキパキ早く遣ると云う風で、時としては人に笑われるような事も多い。所が三度の食事となると丸で別人のように変化して、何としても早く食うことが出来ない。子供の時に早飯と何とやらは武士の嗜なんと云て、人に悪く云われた事もあり、又自分でも早く食いたいと思て居たが、何分にも頬張て生噛にして食うことが出来ない。その後西洋流の書を読んで生噛の宜しくない事を知て、始めて是れは却て自分の悪い癖が宜い事になったと合点して大きに悦び、爾来憚る所もなくゆる/\食事をして、凡そ人の一、二倍も時を費します。是れも摂生の為めに甚だ宜しい。
現代語訳
さて、心の養生法は右のとおりとして、身体の養生はどうかと言えば、私の身に極めてよろしくない、極めて赤面すべき悪い癖は、幼少のときから酒を好むことで、しかも並外れた大酒です。世間には、大酒をしても必ずしも酒をうまいとは思わず、飲んでも飲まなくてもよいという人がありますが、私はそうではありません。私の口には酒がうまくて、多く飲みたいうえに、上等の銘酒を好んで、酒の良し悪しがまことによく分かります。先年、一樽の値段が七、八円のとき、上下五十銭も違えば、まず値段を聞かずにちゃんとその風味を飲み分けるという玄人で、その上等の酒をぐいぐい飲み、肴もよい肴をたくさん食べ、満腹するまで飲み食いした後で、飯もどっさり食べて残さないという、まことに意地汚いいわゆる牛飲馬食とも言うべき男です。そのうえ、この賤しむべき男が、酒に酔って酔狂でもすれば、自分で戒めるということもあるでしょうが、大酒のくせに酒癖は決して悪くない。酔えばただ大きな声でしゃべるばかりで、ついぞ人の気になるような、嫌がるような根性の悪いことを言って喧嘩したこともなく、酒飲みの本性で真面目になって議論したこともないので、人に邪魔にされません。これがかえって不幸で、本人はいい気になって、酒とさえ言えば一番先に飛び出して、人の一倍も二倍も三倍も飲んで、天下に敵なしなどと得意がっていたのは、返す返すも恥ずかしいことです。 しかし酒のことを除いて、その他については、私は少年の時からいい加減な摂生家と言ってもよいでしょう。何も別段に摂生をしようなどと、そんな難しい考えがあったようでもありませんが、日に三度の食事のほかには、めったに物を食べません。あるいは母が食べさせなかったのかもしれませんが、幼少から癖になって、間の食べ物が欲しくありません。ことに夕食の後、夜になれば、どんな好物があっても口に入れることができません。たとえば親類の不幸に通夜をするとか、近所の火事の騒ぎで夜を更かすとかして、自然とそこに食べ物が出てきても、食べる気になりません。これは母に仕込まれた習慣が生涯残っているのでしょう。摂生のためにはもっともよい習慣です。 また私はずいぶん気の長いほうではなく、何事もてきぱき早くやるという風で、ときには人に笑われるようなことも多いのです。ところが三度の食事となると、まるで別人のように変化して、どうしても早く食べることができません。子供のときに、早飯と何とやらは武士のたしなみなどと言って、人に悪く言われたこともあり、自分でも早く食べたいと思っていましたが、何分にも頬張って生噛みにして食べることができません。その後、西洋流の書を読んで、生噛みのよくないことを知り、初めて、これはかえって自分の悪い癖がよいことになったと合点して大いに喜び、以来、遠慮なくゆっくり食事をして、およそ人の一、二倍も時を費やします。これも摂生のために甚だよいことです。
解説
この章句が説くこと
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