福翁自伝 / 老余の半生・保安条例
コンな訳で、私は十四年の政変のその時から、何も実際に関係はない、俗界に云う政治上の野心など思も寄らぬ事だから誠に平気で、唯他人のドタバタするのを見物して居るけれども、政府の目を以てこの見物人を見れば、又不思議なもので、色々な姿に写ると見える。明治何年か保安条例の出たとき、私もこの条例の科人になって東京を逐出されると云う風聞。ソレはその時塾に居た小野友次郎が警視庁に懇意の人があって、極内々その事を聞出して、私と同時に後藤象次郎も共に放逐と確に云うから、「ナニ殺されるではなし、イザと云えば川崎辺まで出て行けば宜いと申して居る中、その翌日か翌々日か小野が又来て、前の事は取消しになったと云うので事は済みました。又その後明治二十年頃かと思う、井上角五郎が朝鮮で何とやらしたと云うので捕えられて、その時の騒動と云うものは大変で、警察の役人が来て私方の家捜しサ。夫から井上が何か吟味に逢うて、福澤諭吉に証人になって出て来いと云て、私を態々裁判所に呼出して、タワイもない事を散々尋て、ドウかしたら福澤も科人の仲間にしたいと云うような風が見えました。都てコンな事は唯大間違で、私の身には何ともない。却て世の中の人心の動くその運動の方向緩急を視察して面白く思て居るが、又一歩を進めて虚心平気に考うれば、私が兎角政界の人に疑われると云うのも全く無理はない。第一私は何としても役人になる気がない、是れは世間に例の少ない事で、仕官流行、熱中奔走の世の中に、独りこれが嫌いと云えば、一寸と見て不審を起さねばならぬ。ソレもいよ/\官途に気がないとならば田舎にでも引込んで仕舞えば宜いに、都会の真中に居て然かも多くの人に交際して、口も達者に筆もまめに、洒蛙々々と饒舌たり書たりするから、世間の目に触れ易く、随て人に不審を懐かせるのも自然の勢である。
新字:コンな訳で、私は十四年の政変のその時から、何も実際に関係はない、俗界に云う政治上の野心など思も寄らぬ事だから誠に平気で、唯他人のドタバタするのを見物して居るけれども、政府の目を以てこの見物人を見れば、又不思議なもので、色々な姿に写ると見える。明治何年か保安条例の出たとき、私もこの条例の科人になって東京を逐出されると云う風聞。ソレはその時塾に居た小野友次郎が警視庁に懇意の人があって、極内々その事を聞出して、私と同時に後藤象次郎も共に放逐と確に云うから、「ナニ殺されるではなし、イザと云えば川崎辺まで出て行けば宜いと申して居る中、その翌日か翌々日か小野が又来て、前の事は取消しになったと云うので事は済みました。又その後明治二十年頃かと思う、井上角五郎が朝鮮で何とやらしたと云うので捕えられて、その時の騒動と云うものは大変で、警察の役人が来て私方の家捜しサ。夫から井上が何か吟味に逢うて、福沢諭吉に証人になって出て来いと云て、私を態々裁判所に呼出して、タワイもない事を散々尋て、ドウかしたら福沢も科人の仲間にしたいと云うような風が見えました。都てコンな事は唯大間違で、私の身には何ともない。却て世の中の人心の動くその運動の方向緩急を視察して面白く思て居るが、又一歩を進めて虚心平気に考うれば、私が兎角政界の人に疑われると云うのも全く無理はない。第一私は何としても役人になる気がない、是れは世間に例の少ない事で、仕官流行、熱中奔走の世の中に、独りこれが嫌いと云えば、一寸と見て不審を起さねばならぬ。ソレもいよ/\官途に気がないとならば田舎にでも引込んで仕舞えば宜いに、都会の真中に居て然かも多くの人に交際して、口も達者に筆もまめに、洒蛙々々と饒舌たり書たりするから、世間の目に触れ易く、随て人に不審を懐かせるのも自然の勢である。
書き下し
コンな訳で、私は十四年の政変のその時から、何も実際に関係はない、俗界に云う政治上の野心など思も寄らぬ事だから誠に平気で、唯他人のドタバタするのを見物して居るけれども、政府の目を以てこの見物人を見れば、又不思議なもので、色々な姿に写ると見える。明治何年か保安条例の出たとき、私もこの条例の科人になって東京を逐出されると云う風聞。ソレはその時塾に居た小野友次郎が警視庁に懇意の人があって、極内々その事を聞出して、私と同時に後藤象次郎も共に放逐と確に云うから、「ナニ殺されるではなし、イザと云えば川崎辺まで出て行けば宜いと申して居る中、その翌日か翌々日か小野が又来て、前の事は取消しになったと云うので事は済みました。又その後明治二十年頃かと思う、井上角五郎が朝鮮で何とやらしたと云うので捕えられて、その時の騒動と云うものは大変で、警察の役人が来て私方の家捜しサ。夫から井上が何か吟味に逢うて、福澤諭吉に証人になって出て来いと云て、私を態々裁判所に呼出して、タワイもない事を散々尋て、ドウかしたら福澤も科人の仲間にしたいと云うような風が見えました。都てコンな事は唯大間違で、私の身には何ともない。却て世の中の人心の動くその運動の方向緩急を視察して面白く思て居るが、又一歩を進めて虚心平気に考うれば、私が兎角政界の人に疑われると云うのも全く無理はない。第一私は何としても役人になる気がない、是れは世間に例の少ない事で、仕官流行、熱中奔走の世の中に、独りこれが嫌いと云えば、一寸と見て不審を起さねばならぬ。ソレもいよ/\官途に気がないとならば田舎にでも引込んで仕舞えば宜いに、都会の真中に居て然かも多くの人に交際して、口も達者に筆もまめに、洒蛙々々と饒舌たり書たりするから、世間の目に触れ易く、随て人に不審を懐かせるのも自然の勢である。
現代語訳
こういうわけで、私は十四年の政変のそのときから、何も実際に関係はなく、世間でいう政治上の野心など思いもよらないので、まことに平気で、ただ他人がどたばたするのを見物していますが、政府の目でこの見物人を見ると、また不思議なもので、いろいろな姿に映るらしい。明治何年かに保安条例が出たとき、私もこの条例の科人として東京を追い出されるという風聞がありました。それはそのとき塾にいた小野友次郎が、警視庁に懇意な人がいて、ごく内々にその事を聞き出し、私と同時に後藤象二郎も共に放逐と確かに言うので、「なに、殺されるわけではなし、いざとなれば川崎あたりまで出て行けばよい」と言っているうちに、その翌日か翌々日か、小野がまた来て、前の事は取り消しになったと言うので、事は済みました。またその後、明治二十年ごろかと思いますが、井上角五郎が朝鮮で何かしたというので捕えられ、その時の騒動というものは大変で、警察の役人が来て私の家を家捜ししました。それから井上が何か取り調べを受けて、福澤諭吉に証人になって出て来いと言い、私をわざわざ裁判所に呼び出して、とりとめもないことをさんざん尋ね、どうにかして福澤も科人の仲間にしたいというような様子が見えました。 すべてこんなことはただの大間違いで、私の身には何ともありません。かえって世の中の人心の動くその運動の方向や緩急を観察して面白く思っていますが、また一歩進めて虚心平気に考えれば、私がとかく政界の人に疑われるのも、まったく無理はありません。第一、私はどうしても役人になる気がない。これは世間に例の少ないことで、仕官が流行り、熱中して奔走する世の中に、独りこれが嫌いと言えば、ちょっと見て不審を起こさないわけにはいきません。それもいよいよ官途に気がないなら田舎にでも引っ込んでしまえばよいのに、都会の真ん中にいて、しかも多くの人と交際し、口も達者に筆もまめに、ぺらぺらしゃべったり書いたりするので、世間の目に触れやすく、したがって人に不審を抱かせるのも自然の勢いです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『幽夢影』巻下・禽は則ち雄の雌より華やかなり人は女の男より美なりと謂ふ、禽は則ち雄の雌より華やかなり、獸は則ち牝牡分無き者なり。
-
『呻吟語』内篇・問學・怠惰の時に工夫を看る怠惰の時に工夫を看、脫略の時に點檢を看、喜怒の時に涵養を看、患難の時に力量を看る。
-
人物志・自序其の安んずる所を察し、其の由る所を觀て、以て居止の行を知る。
-
『学問のすゝめ』十二編・演説の法を勧むるの説・視察、推究、読書、談話、著書、演説ゆえに学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きにあり。この働きを活用して実地に施すにはさまざまの工夫なかるべからず。オブセルウェーションとは事物を視察することなり。リーゾニングとは事物の道理を推究して自分の説を付くることなり。この二ヵ条にてはもとよりいまだ学問の方便を尽くしたりと言うべからず。なおこのほかに書を読まざるべからず、書を著わさざるべからず、人と談話せざるべからず、人に向かいて言を述べざるべからず、この諸件の術を用い尽くしてはじめて学問を勉強する人と言うべし。すなわち視察、推究、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書、演説はもって智見を散ずるの術なり。然りしこうしてこの諸術のうちに、あるいは一人の私をもって能くすべきものありといえども、談話と演説とに至りては必ずしも人とともにせざるを得ず。演説会の要用なることもって知るべきなり。
-
言志四録・言志耋録 第百九十条 尋常の中に大奇有り物の遽かに視て以て奇と為す者は、其の実皆未だ必ずしも奇ならず。視て尋常と為す者に、却つて大奇なる者有り。察せざるべけんや。
-
易経・觀卦周易 第二十卦。坤下巽上。易経。観は、盥いて荐めず、孚有りて顒若たり。初六、童観す、小人は咎无し、君子は吝。六二、窺い観る、女の貞に利ろし。六三、我が生を観て、進退す。六四、国の光を観る、用て王に賓たるに利ろし。九五、我が生を観る、君子なれば咎无し。上九、其の生を観る、君子なれば咎无し。彖に曰く、
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る