福翁自伝 / 大阪修業・血に交わりて赤くならず(2)
自分でも不思議のようにあるが、是れは如何しても私の家の風だと思います。幼少の時から兄弟五人、他人まぜずに母に育てられて、次第に成長しても、汚ない事は仮初にも蔭にも日向にも家の中で聞たこともなければ話した事もない。清浄潔白、自から同藩普通の家族とは色を異にして、ソレカラ家を去て他人に交わっても、その風をチャント守て、別に慎むでもない、当然な事だと思て居た。ダカラ緒方の塾に居るその間も、遂ぞ茶屋遊をするとか云うような事は決してない、と云いながら前にも云う通り何も偏屈で夫れを嫌って恐れて逃げて廻って蔭で理屈らしく不平な顔をして居ると云うような事も頓としない。遊廓の話、茶屋の話、同窓生と一処になってドシ/″\話をして問答して、而して私は夫れを又冷かして、「君達は誠に野暮な奴だ。茶屋に行てフラレて来ると云うような馬鹿があるか。僕は登楼は為ない。為ないけれども、僕が一度び奮発して楼に登れば、君達の百倍被待て見せよう。君等のようなソンナ野暮な事をするなら止して仕舞え。ドウセ登楼などの出来そうな柄でない。田舎者めが、都会に出て来て茶屋遊の ABC を学んで居るなんて、ソンナ鈍いことでは生涯役に立たぬぞと云うような調子で哦鳴り廻って、実際に於てその哦鳴る本人は決して浮気でない。ダカラ人が私を馬鹿にすることは出来ぬ。能く世間にある徳行の君子なんて云う学者が、ムヅ/\してシント考えて、他人の為ることを悪い/\と心の中で思て不平を呑で居る者があるが、私は人の言行を見て不平もなければ心配もない、一緒に戯れて洒蛙々々として居るから却て面白い。
書き下し
自分でも不思議のようにあるが、是れは如何しても私の家の風だと思います。幼少の時から兄弟五人、他人まぜずに母に育てられて、次第に成長しても、汚ない事は仮初にも蔭にも日向にも家の中で聞たこともなければ話した事もない。清浄潔白、自から同藩普通の家族とは色を異にして、ソレカラ家を去て他人に交わっても、その風をチャント守て、別に慎むでもない、当然な事だと思て居た。ダカラ緒方の塾に居るその間も、遂ぞ茶屋遊をするとか云うような事は決してない、と云いながら前にも云う通り何も偏屈で夫れを嫌って恐れて逃げて廻って蔭で理屈らしく不平な顔をして居ると云うような事も頓としない。遊廓の話、茶屋の話、同窓生と一処になってドシ/″\話をして問答して、而して私は夫れを又冷かして、「君達は誠に野暮な奴だ。茶屋に行てフラレて来ると云うような馬鹿があるか。僕は登楼は為ない。為ないけれども、僕が一度び奮発して楼に登れば、君達の百倍被待て見せよう。君等のようなソンナ野暮な事をするなら止して仕舞え。ドウセ登楼などの出来そうな柄でない。田舎者めが、都会に出て来て茶屋遊の ABC を学んで居るなんて、ソンナ鈍いことでは生涯役に立たぬぞと云うような調子で哦鳴り廻って、実際に於てその哦鳴る本人は決して浮気でない。ダカラ人が私を馬鹿にすることは出来ぬ。能く世間にある徳行の君子なんて云う学者が、ムヅ/\してシント考えて、他人の為ることを悪い/\と心の中で思て不平を呑で居る者があるが、私は人の言行を見て不平もなければ心配もない、一緒に戯れて洒蛙々々として居るから却て面白い。
現代語訳
自分でも不思議なようですが、これはどうしても私の家の風だと思います。幼少の時から兄弟五人、他人を交えず母に育てられ、次第に成長しても、汚いことはかりそめにも陰でも日向でも家の中で聞いたこともなければ話したこともありません。清浄潔白で、自然と同藩の普通の家族とは色が違っていて、それから家を出て他人に交わっても、その風をちゃんと守り、特に慎むわけでもなく、当然のことだと思っていました。だから緒方の塾にいる間も、茶屋遊びをするということは決してありません。とは言っても、前にも言ったように、偏屈でそれを嫌い恐れて逃げ回り、陰で理屈らしく不平な顔をしているというようなことはまったくありません。 遊郭の話、茶屋の話を、同窓生と一緒になってどんどん話し、問答をして、私はそれをまた冷やかして、「君達は実に野暮な奴だ。茶屋に行ってふられて来るというような馬鹿があるか。僕は登楼はしない。しないけれども、僕が一度奮発して楼に登れば、君達の百倍もてて見せよう。君達のようなそんな野暮なことをするなら、やめてしまえ。どうせ登楼などできそうな柄ではない。田舎者めが、都会に出て来て茶屋遊びのABCを学んでいるなんて、そんな鈍いことでは生涯役に立たぬぞ」というような調子で怒鳴り回って、実際にはその怒鳴る本人は決して浮気ではありません。だから人が私を馬鹿にすることはできません。 よく世間にある徳行の君子などという学者が、むずむずとして、じっと考えて、他人のすることを悪い悪いと心の中で思って不平を飲み込んでいる者がありますが、私は人の言行を見て不平もなければ心配もなく、一緒に戯れて洒々落々としているので、かえって面白いのです。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・品行家風・大言壮語の中、忌むべきを忌むソレから国を去て長崎に行き大阪に出てその修業中も、ワイ/\朋友と共に笑い共に語て浮々して居るようにあるけれども、身の行状を慎み品行を正しくすると云うことは、努めずして自然にソレが私の体に備て居ると云ても宜しい。モウそれはさん/″\な乱暴な話をして、大言壮語、至らざる所なしと云う中にも、嫌らしい汚ない話と云うことは一寸とでも為たことがない。同窓生の話に能くある事で、昨夜、北の新地に遊んでなんと云うような事を云出そうとすると、私は態と其処を去らずに大箕坐をかいてワイ/\とその話を打消し、「馬鹿野郎、余計なことを口走るな、と云うような調子で雑ぜ返して仕舞う。ソレから江戸に出て来ても相替らずその通り、朋友も多い事だから相互に往来するのは不断の事で、頻りに飛廻て居たけれども、扨例の吉原とか深川とか云う事になると、朋友共が私に話をすることが出来ない。その癖私は能く事情を知て居る。誠に事細に知て居るその訳けは、小本なんぞ読むにも及ばず、近く朋友共が馬鹿話に浮かれて饒舌るのを、黙て聞て居れば容易に分る。六かしい事も何にもない、チャンと呑込んで知て居るけれども、如何なこと、左様な事を思出したこともないのみならず、吉原深川は扨置き、上野の花見に行たこともない。
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福翁自伝・大阪修業・血に交わりて赤くならず(1)この通り幼少の時から酒が数寄で酒の為めには有らん限りの悪い事をして随分不養生も犯しましたが、又一方から見ると私の性質として品行は正しい。是れだけは少年時代、乱暴書生に交っても、家を成して後、世の中に交際しても、少し人に変って大きな口が利かれる。滔々たる濁水社会にチト変人のように窮屈なようにあるが、左ればとて実際浮気な花柳談と云うことは大抵事細に知て居る。何故と云うに他人の夢中になって汚ない事を話して居るのを能く注意して聞て心に留めて置くから、何でも分らぬことはない。例えば、私は元来囲碁を知らぬ、少しも分らないけれども、塾中の書生仲間に囲碁が始まると、ジャ/″\張り出て巧者なことを云て、ヤア黒のその手は間違いだ、夫れ又やられたではないか、油断をすると此方の方が危いぞ、馬鹿な奴だあれを知らぬかなどゝ、宜い加減に饒舌れば、書生の素人の拙囲碁で、助言は固より勝手次第で、何方が負けそうなと云う事は双方の顔色を見て能く分るから、勝つ方の手を誉めて負ける方を悪くさえ云えば間違いはない。ソコデ私は中々囲碁が強いように見えて、「福澤一番遣ろうかと云われると、「馬鹿云うな、君達を相手にするのは手間潰しだ、そんな暇はないと、高くとまって澄し込んで居るから、いよ/\上手のように思われて凡そ一年ばかりは胡摩化して居たが、何かの拍子にツイ化の皮が現われて散々罵しられたことがある、と云うようなもので、花柳社会の事も他人の話を聞きその様子を見て大抵こまかに知て居る、知て居ながら自分一身は鉄石の如く大丈夫である。マア申せば血に交わりて赤くならぬとは私の事でしょう。
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福翁自伝・幼少の時・厳ならずして家風正し今申す通り私共の兄弟は、幼少のとき中津の人と言語風俗を殊にして、他人の知らぬ処に随分淋しい思いをしましたが、その淋しい間にも家風は至極正しい。厳重な父があるでもないが、母子睦じく暮して兄弟喧嘩など唯の一度もしたことがない。のみか、仮初にも俗な卑陋な事はしられないものだと育てられて、別段に教える者もない、母も決して喧しい六かしい人でないのに、自然に爾うなったのは、矢張り父の遺風と母の感化力でしょう。その事実に現われたことを申せば、鳴物などの一条で、三味線とか何とか云うものを、聞こうとも思わなければ何とも思わぬ。斯様なものは全体私なんぞの聞くべきものでない、矧や玩ぶべき者でないと云う考を持て居るから、遂ぞ芝居見物など念頭に浮んだこともない。例えば、夏になると中津に芝居がある。祭の時には七日も芝居を興行して、田舎役者が芸をするその時には、藩から布令が出る。芝居は何日の間あるが、藩士たるものは決して立寄ることは相成らぬ、住吉の社の石垣より以外に行くことならぬと云うその布令の文面は、甚だ厳重なようにあるが、唯一片の御布令だけの事であるから、俗士族は脇差を一本挟して頬冠りをして颯々と芝居の矢来を破て這入る。若しそれを咎めれば却て叱り飛ばすと云うから、誰も怖がって咎める者はない。町の者は金を払て行くに、士族は忍姿で却て威張て只這入て観る。然るに中以下俗士族の多い中で、その芝居に行かぬのは凡そ私のところ一軒位でしょう。決して行かない。此処から先きは行くことはならぬと云えば、一足でも行かぬ、どんな事があっても。私の母は女ながらも遂ぞ一口でも芝居の事を子供に云わず、兄も亦行こうと云わず、家内中一寸でも話がない。夏、暑い時の事であるから凉には行く。併しその近くで芝居をして居るからと云て見ようともしない、どんな芝居を遣て居るとも噂にもしない、平気で居ると云うような家風でした。
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福翁自伝・品行家風・嫌疑を憚らず左様いう訳けで私は若い時から婦人に対して仮初にも無礼はしない。仮令い酒に酔ても謹しむ所は屹と謹しみ、女の忌がるような禁句を口外したことはない。上戸本性で、謹みながら女を相手に話もすれば笑いもして談笑自在、何時も慣れ/\しくして、その極は世間で云う嫌疑と云うような事を何とも思わぬ。血に交わりて赤くならぬこそ男子たる者の本領であると、チャンと自分に説を極めてあるから、男女夜行くときは灯を照らすとか、物を受授するに手より手にせずとか、アンな古めかしい教訓は、私の眼から見ると唯可笑しいばかり。扨も/\卑怯なる哉、ソンな窮窟な事で人間世界が渡れるものか、世間の人が妙な処に用心するのはサゾ忙しいことであろう、自分は古人の教に縛れる気はないと、自から自分の身を信じて颯々と人の家に出入して、其処にお嬢さんが居ようと、若い内君が独り留守して居ようと、又は杯盤狼藉の常に芸妓とか何とか云う者が騒いで居ようと、少しも遠慮はしない。酒を飲で大きな声をしてドン/\話をして、酔えば面白くなって戯れて居ると云うような風であるから、或は人が見たらば変に思うこともありましょう。
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福翁自伝・品行家風・莫逆の友なし経済の事は右の如くにして、私は私の流義を守て生涯このまゝ替えずに終ることであろうと思いますが、ソレから又自分の一身の行状は如何であったか、家を成した後に家の有様は如何かと云うことに付て、有りのまゝの次第を語りましょう。扨私の若い時は如何だと申すに、中津に居たとき子供の時分から成年に至るまで、何としても同藩の人と打解けて真実に交わることが出来ない、本当に朋友になって共々に心事を語る所謂莫逆の友と云うような人は一人もない、世間にないのみならず親類中にもない、と云て私が偏窟者で人と交際が出来ないと云うではない。ソリャ男子に接しても婦人に逢うても快く話をして、ドチラかと云えばお饒舌りの方であったが、本当を云うと表面ばかりで、実はこの人の真似をして見たい、彼の人のように成りたいとも思わず、人に誉められて嬉しくもなく、悪く云われて怖くもなく、都て無頓着で、悪く評すれば人を馬鹿にして居たようなもので、仮初にも争う気がないその証拠には、同年輩の子供と喧嘩をしたことがない、喧嘩をしなければ怪我もしない、友達と喧嘩をして泣て家に帰て阿母さんに言告けると云うようなことは唯の一度もない。口先き計り達者で内実は無難無事な子でした。
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福翁自伝・幼少の時・青天白日に徳利(1)夫れから私が世間に無頓着と云うことは少年から持て生れた性質、周囲の事情に一寸とも感じない。藩の小士族などは酒、油、醤油などを買うときは、自分自から町に使に行かなければならぬ。所がその頃の士族一般の風として、頬冠をして宵出掛て行く。私は頬冠は大嫌いだ。生れてからしたことはない。物を買うに何だ、銭を遣て買うに少しも構うことはないと云う気で、顔も頭も丸出しで、士族だから大小は挟すが、徳利を提て、夜は扨置き白昼公然、町の店に行く。銭は家の銭だ、盗んだ銭じゃないぞと云うような気位で、却て藩中者の頬冠をして見栄をするのを可笑しく思たのは少年の血気、自分独り自惚て居たのでしょう。ソレカラ又家に客を招く時に、大根や牛蒡を煮て喫せると云うことに就て、必要があるから母の指図に従て働て居た。所で私は客などがウヂャ/\酒を呑むのは大嫌い。俗な奴等だ、呑むなら早く呑で帰て仕舞えば宜いと思うのに、中々帰らぬ。家は狭くて居処もない。仕方ないから客の呑でる間は、私は押入の中に這入て寝て居る。何時でも客をする時には、客の来る迄は働く、けれども夕方になると、自分も酒が好だから颯々と酒を呑で飯を喰て押入に這入て仕舞い、客が帰た跡で押入から出て、何時も寝る処に寝直すのが常例でした。
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