福翁自伝 / 品行家風・大言壮語の中、忌むべきを忌む
ソレから国を去て長崎に行き大阪に出てその修業中も、ワイ/\朋友と共に笑い共に語て浮々して居るようにあるけれども、身の行状を慎み品行を正しくすると云うことは、努めずして自然にソレが私の体に備て居ると云ても宜しい。モウそれはさん/″\な乱暴な話をして、大言壮語、至らざる所なしと云う中にも、嫌らしい汚ない話と云うことは一寸とでも為たことがない。同窓生の話に能くある事で、昨夜、北の新地に遊んでなんと云うような事を云出そうとすると、私は態と其処を去らずに大箕坐をかいてワイ/\とその話を打消し、「馬鹿野郎、余計なことを口走るな、と云うような調子で雑ぜ返して仕舞う。ソレから江戸に出て来ても相替らずその通り、朋友も多い事だから相互に往来するのは不断の事で、頻りに飛廻て居たけれども、扨例の吉原とか深川とか云う事になると、朋友共が私に話をすることが出来ない。その癖私は能く事情を知て居る。誠に事細に知て居るその訳けは、小本なんぞ読むにも及ばず、近く朋友共が馬鹿話に浮かれて饒舌るのを、黙て聞て居れば容易に分る。六かしい事も何にもない、チャンと呑込んで知て居るけれども、如何なこと、左様な事を思出したこともないのみならず、吉原深川は扨置き、上野の花見に行たこともない。
書き下し
ソレから国を去て長崎に行き大阪に出てその修業中も、ワイ/\朋友と共に笑い共に語て浮々して居るようにあるけれども、身の行状を慎み品行を正しくすると云うことは、努めずして自然にソレが私の体に備て居ると云ても宜しい。モウそれはさん/″\な乱暴な話をして、大言壮語、至らざる所なしと云う中にも、嫌らしい汚ない話と云うことは一寸とでも為たことがない。同窓生の話に能くある事で、昨夜、北の新地に遊んでなんと云うような事を云出そうとすると、私は態と其処を去らずに大箕坐をかいてワイ/\とその話を打消し、「馬鹿野郎、余計なことを口走るな、と云うような調子で雑ぜ返して仕舞う。ソレから江戸に出て来ても相替らずその通り、朋友も多い事だから相互に往来するのは不断の事で、頻りに飛廻て居たけれども、扨例の吉原とか深川とか云う事になると、朋友共が私に話をすることが出来ない。その癖私は能く事情を知て居る。誠に事細に知て居るその訳けは、小本なんぞ読むにも及ばず、近く朋友共が馬鹿話に浮かれて饒舌るのを、黙て聞て居れば容易に分る。六かしい事も何にもない、チャンと呑込んで知て居るけれども、如何なこと、左様な事を思出したこともないのみならず、吉原深川は扨置き、上野の花見に行たこともない。
現代語訳
それから国を去って長崎に行き、大阪に出て、その修業中も、わいわいと友達とともに笑い、ともに語って浮き浮きしているようでしたが、身の行状を慎み、品行を正しくするということは、努めずに自然に私の体に備わっていたと言ってもよろしい。もう乱暴な話はさんざんして、大言壮語、至らないところがないという中にも、いやらしい汚い話というものは、ちょっとでもしたことがありません。同窓生の話によくあることで、昨夜、北の新地に遊んで、などと言い出そうとすると、私はわざとそこを去らずに大あぐらをかいて、わいわいとその話を打ち消し、「ばか野郎、余計なことを口走るな」といった調子で混ぜ返してしまいます。それから江戸に出てきても相変わらずそのとおりで、友達も多いことですから互いに往来するのは日常のことで、しきりに飛び回っていましたが、さて例の吉原とか深川とかいうことになると、友達どもが私に話をすることができません。そのくせ私はよく事情を知っています。たいへん詳しく知っているわけは、小本なんかを読むまでもなく、近くで友達どもがばか話に浮かれてしゃべるのを黙って聞いていれば容易に分かります。難しいことも何もなく、ちゃんと呑み込んで知っていますが、どうしてか、そういうことを思い出したこともないばかりか、吉原や深川はさておき、上野の花見に行ったこともありません。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・大阪修業・血に交わりて赤くならず(2)自分でも不思議のようにあるが、是れは如何しても私の家の風だと思います。幼少の時から兄弟五人、他人まぜずに母に育てられて、次第に成長しても、汚ない事は仮初にも蔭にも日向にも家の中で聞たこともなければ話した事もない。清浄潔白、自から同藩普通の家族とは色を異にして、ソレカラ家を去て他人に交わっても、その風をチャント守て、別に慎むでもない、当然な事だと思て居た。ダカラ緒方の塾に居るその間も、遂ぞ茶屋遊をするとか云うような事は決してない、と云いながら前にも云う通り何も偏屈で夫れを嫌って恐れて逃げて廻って蔭で理屈らしく不平な顔をして居ると云うような事も頓としない。遊廓の話、茶屋の話、同窓生と一処になってドシ/″\話をして問答して、而して私は夫れを又冷かして、「君達は誠に野暮な奴だ。茶屋に行てフラレて来ると云うような馬鹿があるか。僕は登楼は為ない。為ないけれども、僕が一度び奮発して楼に登れば、君達の百倍被待て見せよう。君等のようなソンナ野暮な事をするなら止して仕舞え。ドウセ登楼などの出来そうな柄でない。田舎者めが、都会に出て来て茶屋遊の ABC を学んで居るなんて、ソンナ鈍いことでは生涯役に立たぬぞと云うような調子で哦鳴り廻って、実際に於てその哦鳴る本人は決して浮気でない。ダカラ人が私を馬鹿にすることは出来ぬ。能く世間にある徳行の君子なんて云う学者が、ムヅ/\してシント考えて、他人の為ることを悪い/\と心の中で思て不平を呑で居る者があるが、私は人の言行を見て不平もなければ心配もない、一緒に戯れて洒蛙々々として居るから却て面白い。
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福翁自伝・大阪修業・血に交わりて赤くならず(1)この通り幼少の時から酒が数寄で酒の為めには有らん限りの悪い事をして随分不養生も犯しましたが、又一方から見ると私の性質として品行は正しい。是れだけは少年時代、乱暴書生に交っても、家を成して後、世の中に交際しても、少し人に変って大きな口が利かれる。滔々たる濁水社会にチト変人のように窮屈なようにあるが、左ればとて実際浮気な花柳談と云うことは大抵事細に知て居る。何故と云うに他人の夢中になって汚ない事を話して居るのを能く注意して聞て心に留めて置くから、何でも分らぬことはない。例えば、私は元来囲碁を知らぬ、少しも分らないけれども、塾中の書生仲間に囲碁が始まると、ジャ/″\張り出て巧者なことを云て、ヤア黒のその手は間違いだ、夫れ又やられたではないか、油断をすると此方の方が危いぞ、馬鹿な奴だあれを知らぬかなどゝ、宜い加減に饒舌れば、書生の素人の拙囲碁で、助言は固より勝手次第で、何方が負けそうなと云う事は双方の顔色を見て能く分るから、勝つ方の手を誉めて負ける方を悪くさえ云えば間違いはない。ソコデ私は中々囲碁が強いように見えて、「福澤一番遣ろうかと云われると、「馬鹿云うな、君達を相手にするのは手間潰しだ、そんな暇はないと、高くとまって澄し込んで居るから、いよ/\上手のように思われて凡そ一年ばかりは胡摩化して居たが、何かの拍子にツイ化の皮が現われて散々罵しられたことがある、と云うようなもので、花柳社会の事も他人の話を聞きその様子を見て大抵こまかに知て居る、知て居ながら自分一身は鉄石の如く大丈夫である。マア申せば血に交わりて赤くならぬとは私の事でしょう。
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福翁自伝・品行家風・莫逆の友なし経済の事は右の如くにして、私は私の流義を守て生涯このまゝ替えずに終ることであろうと思いますが、ソレから又自分の一身の行状は如何であったか、家を成した後に家の有様は如何かと云うことに付て、有りのまゝの次第を語りましょう。扨私の若い時は如何だと申すに、中津に居たとき子供の時分から成年に至るまで、何としても同藩の人と打解けて真実に交わることが出来ない、本当に朋友になって共々に心事を語る所謂莫逆の友と云うような人は一人もない、世間にないのみならず親類中にもない、と云て私が偏窟者で人と交際が出来ないと云うではない。ソリャ男子に接しても婦人に逢うても快く話をして、ドチラかと云えばお饒舌りの方であったが、本当を云うと表面ばかりで、実はこの人の真似をして見たい、彼の人のように成りたいとも思わず、人に誉められて嬉しくもなく、悪く云われて怖くもなく、都て無頓着で、悪く評すれば人を馬鹿にして居たようなもので、仮初にも争う気がないその証拠には、同年輩の子供と喧嘩をしたことがない、喧嘩をしなければ怪我もしない、友達と喧嘩をして泣て家に帰て阿母さんに言告けると云うようなことは唯の一度もない。口先き計り達者で内実は無難無事な子でした。
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