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福翁自伝 / 品行家風・一身の品行、亦自から効力あり

又私の内が夫婦親子睦じくて私の行状が正しいからと云て、特に誉める程の事でもない。世の中に品行方正の君子は幾らもある。私も亦、これが人間唯一の目的で一身の品行修まりて能事終るなんて自慢をするような馬鹿でもないと自から信じて居るが、扨又これが妙なもので、社会の交際に関係する所は甚だ広くて、意外の辺に力を及ぼすことがあるその一例を申せば、旧藩の奥平家に対して私は如何なる者ぞと尋ぬるに、見る影もなき貧小士族が、洋学など修業して異様な説を唱え、或は外国に行き、又或は外国の書を飜訳して大言を吐散らし、剰さえ儒流を軽蔑して憚る所を知らずと云えば、是れは所謂異端外道に違いない。同藩一般の見る所でこの通りなれば、藩主の奥なんぞにはドンな報告が這入て居るか知れない。兎に角に福澤諭吉は大変な奴だと折紙が付て居たに違いない。所が物換り星移り、段々時勢が変遷して王政維新の世の中になって見れば、藩論も自から面目を改め、世間一般西洋流の喧ましい今日、福澤もマンザラでなし、或は之を近づけて何かの役に立つこともあろうと云うような説がチラホラと涌て来たその時に、嶋津祐太郎と云う奥平家の元老は、頗る事の能く分る、云わば卓識の君子で、時勢の緩急を視察して、コリャ福澤を疏外するは不利であると云うことに着眼して居る折柄、奥平家の大奥に芳蓮院様と云う女隠居がある、この貴婦人は一橋家から奥平家に下て来た由緒ある身分で、最早や余程の老年でもあり、一家無上の御方様と崇められて居る。ソコで嶋津が先ずその御隠居様に対して色々西洋の話をする中に、彼の国には文学武備、富国強兵、医術も精しく航海術も巧なり、その中には随分日本の風俗習慣に違た事も数々ありますが、爰に西洋流義に不思議なるは男女の間柄で、男女相互に軽重なく、如何なる身分の人でも一夫一婦に限て居ます、是れ丈けは西洋の特色で御座ると云う所を持込んだ所が、その御隠居様も若い時には直接に身に覚えがある。この話を聞て心を動かさずには居られない。恰も豁然発明した様子で、ソレから福澤を近づける気になって、次第々々に奥向の方に出入の道が開けて、御隠居様を始め所謂御上通りの人に逢うて見れば、福澤の外道も唯の人間で、角も生えて居なければ尻尾のある者でもない、至極穏かな人間だと云う所からして、段々懇親になったと云うその話は、程経て後に内々嶋津から聞きました。シテ見ると一夫一婦の説も隠然の中には随分勢力のあるもので、就ては今の世に多妻の悪弊を除て文明風にするなんと論ずるは野暮だと云うような説があるけれども、畢竟負借みの苦しい遁げ口上で取るに足らない。一夫一婦の正論決して野暮でない、世間の多数は同主義で、殊に上流の婦人は悉く此方の味方であるから、私の身がこの先き何時まで生きて居るか知れぬけれども、有らん限りの力を尽して、前後左右を顧みずドンな奴を敵にしても構わぬ、多妻法を取締めて、少しでもこの人間社会の表面だけでも見られるような風にして遣ろうと思て居ます。

新字:又私の内が夫婦親子睦じくて私の行状が正しいからと云て、特に誉める程の事でもない。世の中に品行方正の君子は幾らもある。私も亦、これが人間唯一の目的で一身の品行修まりて能事終るなんて自慢をするような馬鹿でもないと自から信じて居るが、扨又これが妙なもので、社会の交際に関係する所は甚だ広くて、意外の辺に力を及ぼすことがあるその一例を申せば、旧藩の奥平家に対して私は如何なる者ぞと尋ぬるに、見る影もなき貧小士族が、洋学など修業して異様な説を唱え、或は外国に行き、又或は外国の書を翻訳して大言を吐散らし、剰さえ儒流を軽蔑して憚る所を知らずと云えば、是れは所謂異端外道に違いない。同藩一般の見る所でこの通りなれば、藩主の奥なんぞにはドンな報告が這入て居るか知れない。兎に角に福沢諭吉は大変な奴だと折紙が付て居たに違いない。所が物換り星移り、段々時勢が変遷して王政維新の世の中になって見れば、藩論も自から面目を改め、世間一般西洋流の喧ましい今日、福沢もマンザラでなし、或は之を近づけて何かの役に立つこともあろうと云うような説がチラホラと涌て来たその時に、嶋津祐太郎と云う奥平家の元老は、頗る事の能く分る、云わば卓識の君子で、時勢の緩急を視察して、コリャ福沢を疏外するは不利であると云うことに着眼して居る折柄、奥平家の大奥に芳蓮院様と云う女隠居がある、この貴婦人は一橋家から奥平家に下て来た由緒ある身分で、最早や余程の老年でもあり、一家無上の御方様と崇められて居る。ソコで嶋津が先ずその御隠居様に対して色々西洋の話をする中に、彼の国には文学武備、富国強兵、医術も精しく航海術も巧なり、その中には随分日本の風俗習慣に違た事も数々ありますが、爰に西洋流義に不思議なるは男女の間柄で、男女相互に軽重なく、如何なる身分の人でも一夫一婦に限て居ます、是れ丈けは西洋の特色で御座ると云う所を持込んだ所が、その御隠居様も若い時には直接に身に覚えがある。この話を聞て心を動かさずには居られない。恰も豁然発明した様子で、ソレから福沢を近づける気になって、次第々々に奥向の方に出入の道が開けて、御隠居様を始め所謂御上通りの人に逢うて見れば、福沢の外道も唯の人間で、角も生えて居なければ尻尾のある者でもない、至極穏かな人間だと云う所からして、段々懇親になったと云うその話は、程経て後に内々嶋津から聞きました。シテ見ると一夫一婦の説も隠然の中には随分勢力のあるもので、就ては今の世に多妻の悪弊を除て文明風にするなんと論ずるは野暮だと云うような説があるけれども、畢竟負借みの苦しい遁げ口上で取るに足らない。一夫一婦の正論決して野暮でない、世間の多数は同主義で、殊に上流の婦人は悉く此方の味方であるから、私の身がこの先き何時まで生きて居るか知れぬけれども、有らん限りの力を尽して、前後左右を顧みずドンな奴を敵にしても構わぬ、多妻法を取締めて、少しでもこの人間社会の表面だけでも見られるような風にして遣ろうと思て居ます。

書き下し

又私の内が夫婦親子睦じくて私の行状が正しいからと云て、特に誉める程の事でもない。世の中に品行方正の君子は幾らもある。私も亦、これが人間唯一の目的で一身の品行修まりて能事終るなんて自慢をするような馬鹿でもないと自から信じて居るが、扨又これが妙なもので、社会の交際に関係する所は甚だ広くて、意外の辺に力を及ぼすことがあるその一例を申せば、旧藩の奥平家に対して私は如何なる者ぞと尋ぬるに、見る影もなき貧小士族が、洋学など修業して異様な説を唱え、或は外国に行き、又或は外国の書を飜訳して大言を吐散らし、剰さえ儒流を軽蔑して憚る所を知らずと云えば、是れは所謂異端外道に違いない。同藩一般の見る所でこの通りなれば、藩主の奥なんぞにはドンな報告が這入て居るか知れない。兎に角に福澤諭吉は大変な奴だと折紙が付て居たに違いない。所が物換り星移り、段々時勢が変遷して王政維新の世の中になって見れば、藩論も自から面目を改め、世間一般西洋流の喧ましい今日、福澤もマンザラでなし、或は之を近づけて何かの役に立つこともあろうと云うような説がチラホラと涌て来たその時に、嶋津祐太郎と云う奥平家の元老は、頗る事の能く分る、云わば卓識の君子で、時勢の緩急を視察して、コリャ福澤を疏外するは不利であると云うことに着眼して居る折柄、奥平家の大奥に芳蓮院様と云う女隠居がある、この貴婦人は一橋家から奥平家に下て来た由緒ある身分で、最早や余程の老年でもあり、一家無上の御方様と崇められて居る。ソコで嶋津が先ずその御隠居様に対して色々西洋の話をする中に、彼の国には文学武備、富国強兵、医術も精しく航海術も巧なり、その中には随分日本の風俗習慣に違た事も数々ありますが、爰に西洋流義に不思議なるは男女の間柄で、男女相互に軽重なく、如何なる身分の人でも一夫一婦に限て居ます、是れ丈けは西洋の特色で御座ると云う所を持込んだ所が、その御隠居様も若い時には直接に身に覚えがある。この話を聞て心を動かさずには居られない。恰も豁然発明した様子で、ソレから福澤を近づける気になって、次第々々に奥向の方に出入の道が開けて、御隠居様を始め所謂御上通りの人に逢うて見れば、福澤の外道も唯の人間で、角も生えて居なければ尻尾のある者でもない、至極穏かな人間だと云う所からして、段々懇親になったと云うその話は、程経て後に内々嶋津から聞きました。シテ見ると一夫一婦の説も隠然の中には随分勢力のあるもので、就ては今の世に多妻の悪弊を除て文明風にするなんと論ずるは野暮だと云うような説があるけれども、畢竟負借みの苦しい遁げ口上で取るに足らない。一夫一婦の正論決して野暮でない、世間の多数は同主義で、殊に上流の婦人は悉く此方の味方であるから、私の身がこの先き何時まで生きて居るか知れぬけれども、有らん限りの力を尽して、前後左右を顧みずドンな奴を敵にしても構わぬ、多妻法を取締めて、少しでもこの人間社会の表面だけでも見られるような風にして遣ろうと思て居ます。

現代語訳

また私の家が夫婦親子睦まじく、私の行状が正しいからといって、特に誉めるほどのことでもありません。世の中に品行方正の君子はいくらでもいます。私もまた、これが人間唯一の目的で、一身の品行が修まって事が終わるなどと自慢をするような馬鹿でもないと自分で信じていますが、さてこれが不思議なもので、社会の交際に関係するところは非常に広くて、意外な辺りに力を及ぼすことがあります。その一例を申せば、旧藩の奥平家に対して、私はどんな者かと尋ねれば、見る影もない貧しい小士族が、洋学などを修業して異様な説を唱え、あるいは外国に行き、またあるいは外国の書を翻訳して大言を吐き散らし、そのうえ儒流を軽蔑して憚るところを知らないとなれば、これはいわゆる異端外道に違いありません。同藩一般の見るところがこのとおりなら、藩主の奥向きなどにはどんな報告が入っているか分かりません。とにかく福沢諭吉は大変な奴だと折り紙がついていたに違いありません。ところが物換わり星移り、次第に時勢が変遷して王政維新の世の中になってみれば、藩論もおのずから面目を改め、世間一般が西洋流でやかましい今日、福沢もまんざらでなく、あるいはこれを近づけて何かの役に立つこともあろうという説がちらほらと湧いてきたその時に、嶋津祐太郎という奥平家の元老は、非常に物の分かる、いわば卓見の君子で、時勢の緩急を視察して、これは福沢を疎外するのは不利であると着眼していた折から、奥平家の大奥に芳蓮院様という女隠居がいました。この貴婦人は一橋家から奥平家に下ってきた由緒ある身分で、もはやよほどの老年でもあり、一家無上の御方様と崇められていました。そこで嶋津がまずその御隠居様に対して、いろいろ西洋の話をするうちに、あの国には文学武備、富国強兵、医術も精しく、航海術も巧みで、その中には日本の風俗習慣と違うことも数々ありますが、ここに西洋流で不思議なのは男女の間柄で、男女互いに軽重がなく、どんな身分の人でも一夫一婦に限っています、これだけは西洋の特色でございます、というところを持ち込んだところ、その御隠居様も若い時には直接に身に覚えがある。この話を聞いて心を動かさずにはいられません。ちょうど豁然と悟った様子で、それから福沢を近づける気になって、次第に奥向きの方に出入りの道が開け、御隠居様をはじめ、いわゆる御上通りの人に会ってみれば、福沢の外道もただの人間で、角も生えていなければ尻尾のある者でもない、きわめて穏やかな人間だというところから、次第に懇親になったという、その話は、時が経ってから内々に嶋津から聞きました。してみると、一夫一婦の説も、隠然のうちにはずいぶん勢力のあるもので、ついては今の世に多妻の悪弊を除いて文明風にするなどと論ずるのは野暮だという説がありますが、結局は負け惜しみの苦しい逃げ口上で取るに足りません。一夫一婦の正論は決して野暮ではなく、世間の多数は同主義で、ことに上流の婦人はことごとくこちらの味方ですから、私の身がこの先いつまで生きているか分かりませんが、ありったけの力を尽くして、前後左右を顧みず、どんな奴を敵にしても構わぬ、多妻法を取り締まって、少しでもこの人間社会の表面だけでも見られるようにしてやろうと思っています。

解説

自身の品行が思わぬところで力を持つ、という実例です。旧藩では異端視されていた福沢が、維新後に藩の元老嶋津祐太郎が女隠居の芳蓮院に西洋の一夫一婦制を語ったことで、奥向きへの出入りが開けたといいます。女性の地位を重んじる西洋の話が、女隠居の心に響いた経緯が興味深いところです。福沢はこの経験から、一夫一婦の説は野暮でなく、世間の多数の支持を得られるとして、多妻の弊害を取り締まる決意を述べます。個人の行いや主張は、見えない場所で人を動かすことがあります。

この章句が説くこと

品行奥平家嶋津祐太郎芳蓮院一夫一婦多妻

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