福翁自伝 / 品行家風・小僧に盃を差す
斯う云うような次第で、一寸と人が考えると私は奇人偏窟者のように思われましょうが、決して爾うでない。私の性質は人に附合いして愛憎のない積りで、貴賤貧富、君子も小人も平等一様、芸妓に逢うても女郎を見ても塵も埃も之を見て何とも思わぬ。何とも思わぬから困ることもない。此奴は穢れた動物だ、同席は出来ないなんて、妙な渋い顔色して内実プリ/\怒ると云うような事は決してない。古いむかしの事であるが、四十余年前、長崎に居るとき、光永寺と云う真宗寺に同藩の家老が滞留中、或日市中の芸妓か女郎か五、六人も変な女を集めて酒宴の愉快、私はその時酒を禁じて居るけれども陪席御相伴を仰せ付けられ、一座杯盤狼藉の最中、家老が私に杯をさして、「この酒を飲んで、その杯を座中の誰でも宜しい、足下の一番好いてる者へさすが宜かろうと云うのは、実は其処に美人が幾人も居る、私はその杯を美人にさしても可笑しい、態と避けてさゝなくても可笑しい、屹と困るであろうと嬲るのはチャント分て居る。所が私は少しも困らない。杯をグイと干して、大夫さんの命に従い一番好いた人に上げます、ソレ高さん、と云て杯をさしたのは、六、七歳ばかりの寺の末子で、私が瀉蛙々々として笑て居たから家老殿も興にならぬ。既に今年春ジャパン・タイムス社の山田季治が長崎へ行くと聞き、不図光永寺の事を思出して、あの時は如何なってるか、高さんと云う小僧があった筈だが、如何して居るか尋ねて見たいと申したら、山田の返事に、寺は旧の通り焼けもせず、高さんも無事息災、今は五十一歳の老僧で隠居して居るとて写真など寄送しましたが、右の一件も私の二十一歳の時だから、計えて見ると高さんは七歳でしたろうに、恐ろしい古い話です。
書き下し
斯う云うような次第で、一寸と人が考えると私は奇人偏窟者のように思われましょうが、決して爾うでない。私の性質は人に附合いして愛憎のない積りで、貴賤貧富、君子も小人も平等一様、芸妓に逢うても女郎を見ても塵も埃も之を見て何とも思わぬ。何とも思わぬから困ることもない。此奴は穢れた動物だ、同席は出来ないなんて、妙な渋い顔色して内実プリ/\怒ると云うような事は決してない。古いむかしの事であるが、四十余年前、長崎に居るとき、光永寺と云う真宗寺に同藩の家老が滞留中、或日市中の芸妓か女郎か五、六人も変な女を集めて酒宴の愉快、私はその時酒を禁じて居るけれども陪席御相伴を仰せ付けられ、一座杯盤狼藉の最中、家老が私に杯をさして、「この酒を飲んで、その杯を座中の誰でも宜しい、足下の一番好いてる者へさすが宜かろうと云うのは、実は其処に美人が幾人も居る、私はその杯を美人にさしても可笑しい、態と避けてさゝなくても可笑しい、屹と困るであろうと嬲るのはチャント分て居る。所が私は少しも困らない。杯をグイと干して、大夫さんの命に従い一番好いた人に上げます、ソレ高さん、と云て杯をさしたのは、六、七歳ばかりの寺の末子で、私が瀉蛙々々として笑て居たから家老殿も興にならぬ。既に今年春ジャパン・タイムス社の山田季治が長崎へ行くと聞き、不図光永寺の事を思出して、あの時は如何なってるか、高さんと云う小僧があった筈だが、如何して居るか尋ねて見たいと申したら、山田の返事に、寺は旧の通り焼けもせず、高さんも無事息災、今は五十一歳の老僧で隠居して居るとて写真など寄送しましたが、右の一件も私の二十一歳の時だから、計えて見ると高さんは七歳でしたろうに、恐ろしい古い話です。
現代語訳
このような次第で、ちょっと人が考えると私は奇人や偏屈者のように思われるでしょうが、決してそうではありません。私の性質は人と付き合うのに愛憎がないつもりで、貴賤貧富、君子も小人も平等一様で、芸妓に会っても女郎を見ても、塵や埃のように見て何とも思いません。何とも思わないから困ることもありません。こいつは穢れた動物だ、同席はできない、などと妙に渋い顔をして内心ぷりぷり怒るということは決してありません。古い昔のことですが、四十余年前、長崎にいるとき、光永寺という真宗の寺に同藩の家老が滞在中、ある日、市中の芸妓か女郎か、五、六人も変な女を集めて酒宴の愉快を尽くし、私はその時、酒を禁じていたのですが、陪席して御相伴を仰せ付けられ、一座が杯盤狼藉の最中に、家老が私に杯を差して、「この酒を飲んで、その杯を座中の誰でもよい、君が一番好いている者に差すがよかろう」と言いました。これは、そこに美人が何人もいて、私がその杯を美人に差してもおかしい、わざと避けて差さなくてもおかしい、きっと困るだろうとからかうつもりであることは、ちゃんと分かっていました。ところが私は少しも困りません。杯をぐいと干して、「大夫さんの命に従い、一番好いた人に上げます。それ、高さん」と言って杯を差したのは、六、七歳ばかりの寺の末子で、私がにこにこと笑っていたから、家老殿も興が乗りませんでした。つい今年の春、ジャパン・タイムス社の山田季治が長崎に行くと聞き、ふと光永寺のことを思い出して、あの時はどうなっているか、高さんという小僧があったはずだがどうしているか尋ねてみたいと言ったら、山田の返事で、寺は昔のまま焼けもせず、高さんも無事息災で、今は五十一歳の老僧で隠居しているとのことで、写真などを送ってきましたが、右の一件も私が二十一歳の時だから、数えてみると高さんは七歳でしたろうに、恐ろしい古い話です。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・幼少の時・青天白日に徳利(1)夫れから私が世間に無頓着と云うことは少年から持て生れた性質、周囲の事情に一寸とも感じない。藩の小士族などは酒、油、醤油などを買うときは、自分自から町に使に行かなければならぬ。所がその頃の士族一般の風として、頬冠をして宵出掛て行く。私は頬冠は大嫌いだ。生れてからしたことはない。物を買うに何だ、銭を遣て買うに少しも構うことはないと云う気で、顔も頭も丸出しで、士族だから大小は挟すが、徳利を提て、夜は扨置き白昼公然、町の店に行く。銭は家の銭だ、盗んだ銭じゃないぞと云うような気位で、却て藩中者の頬冠をして見栄をするのを可笑しく思たのは少年の血気、自分独り自惚て居たのでしょう。ソレカラ又家に客を招く時に、大根や牛蒡を煮て喫せると云うことに就て、必要があるから母の指図に従て働て居た。所で私は客などがウヂャ/\酒を呑むのは大嫌い。俗な奴等だ、呑むなら早く呑で帰て仕舞えば宜いと思うのに、中々帰らぬ。家は狭くて居処もない。仕方ないから客の呑でる間は、私は押入の中に這入て寝て居る。何時でも客をする時には、客の来る迄は働く、けれども夕方になると、自分も酒が好だから颯々と酒を呑で飯を喰て押入に這入て仕舞い、客が帰た跡で押入から出て、何時も寝る処に寝直すのが常例でした。
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福翁自伝・品行家風・大言壮語の中、忌むべきを忌むソレから国を去て長崎に行き大阪に出てその修業中も、ワイ/\朋友と共に笑い共に語て浮々して居るようにあるけれども、身の行状を慎み品行を正しくすると云うことは、努めずして自然にソレが私の体に備て居ると云ても宜しい。モウそれはさん/″\な乱暴な話をして、大言壮語、至らざる所なしと云う中にも、嫌らしい汚ない話と云うことは一寸とでも為たことがない。同窓生の話に能くある事で、昨夜、北の新地に遊んでなんと云うような事を云出そうとすると、私は態と其処を去らずに大箕坐をかいてワイ/\とその話を打消し、「馬鹿野郎、余計なことを口走るな、と云うような調子で雑ぜ返して仕舞う。ソレから江戸に出て来ても相替らずその通り、朋友も多い事だから相互に往来するのは不断の事で、頻りに飛廻て居たけれども、扨例の吉原とか深川とか云う事になると、朋友共が私に話をすることが出来ない。その癖私は能く事情を知て居る。誠に事細に知て居るその訳けは、小本なんぞ読むにも及ばず、近く朋友共が馬鹿話に浮かれて饒舌るのを、黙て聞て居れば容易に分る。六かしい事も何にもない、チャンと呑込んで知て居るけれども、如何なこと、左様な事を思出したこともないのみならず、吉原深川は扨置き、上野の花見に行たこともない。
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福翁自伝・大阪修業・血に交わりて赤くならず(1)この通り幼少の時から酒が数寄で酒の為めには有らん限りの悪い事をして随分不養生も犯しましたが、又一方から見ると私の性質として品行は正しい。是れだけは少年時代、乱暴書生に交っても、家を成して後、世の中に交際しても、少し人に変って大きな口が利かれる。滔々たる濁水社会にチト変人のように窮屈なようにあるが、左ればとて実際浮気な花柳談と云うことは大抵事細に知て居る。何故と云うに他人の夢中になって汚ない事を話して居るのを能く注意して聞て心に留めて置くから、何でも分らぬことはない。例えば、私は元来囲碁を知らぬ、少しも分らないけれども、塾中の書生仲間に囲碁が始まると、ジャ/″\張り出て巧者なことを云て、ヤア黒のその手は間違いだ、夫れ又やられたではないか、油断をすると此方の方が危いぞ、馬鹿な奴だあれを知らぬかなどゝ、宜い加減に饒舌れば、書生の素人の拙囲碁で、助言は固より勝手次第で、何方が負けそうなと云う事は双方の顔色を見て能く分るから、勝つ方の手を誉めて負ける方を悪くさえ云えば間違いはない。ソコデ私は中々囲碁が強いように見えて、「福澤一番遣ろうかと云われると、「馬鹿云うな、君達を相手にするのは手間潰しだ、そんな暇はないと、高くとまって澄し込んで居るから、いよ/\上手のように思われて凡そ一年ばかりは胡摩化して居たが、何かの拍子にツイ化の皮が現われて散々罵しられたことがある、と云うようなもので、花柳社会の事も他人の話を聞きその様子を見て大抵こまかに知て居る、知て居ながら自分一身は鉄石の如く大丈夫である。マア申せば血に交わりて赤くならぬとは私の事でしょう。
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福翁自伝・品行家風・嫌疑を憚らず左様いう訳けで私は若い時から婦人に対して仮初にも無礼はしない。仮令い酒に酔ても謹しむ所は屹と謹しみ、女の忌がるような禁句を口外したことはない。上戸本性で、謹みながら女を相手に話もすれば笑いもして談笑自在、何時も慣れ/\しくして、その極は世間で云う嫌疑と云うような事を何とも思わぬ。血に交わりて赤くならぬこそ男子たる者の本領であると、チャンと自分に説を極めてあるから、男女夜行くときは灯を照らすとか、物を受授するに手より手にせずとか、アンな古めかしい教訓は、私の眼から見ると唯可笑しいばかり。扨も/\卑怯なる哉、ソンな窮窟な事で人間世界が渡れるものか、世間の人が妙な処に用心するのはサゾ忙しいことであろう、自分は古人の教に縛れる気はないと、自から自分の身を信じて颯々と人の家に出入して、其処にお嬢さんが居ようと、若い内君が独り留守して居ようと、又は杯盤狼藉の常に芸妓とか何とか云う者が騒いで居ようと、少しも遠慮はしない。酒を飲で大きな声をしてドン/\話をして、酔えば面白くなって戯れて居ると云うような風であるから、或は人が見たらば変に思うこともありましょう。
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福翁自伝・大阪修業・血に交わりて赤くならず(2)自分でも不思議のようにあるが、是れは如何しても私の家の風だと思います。幼少の時から兄弟五人、他人まぜずに母に育てられて、次第に成長しても、汚ない事は仮初にも蔭にも日向にも家の中で聞たこともなければ話した事もない。清浄潔白、自から同藩普通の家族とは色を異にして、ソレカラ家を去て他人に交わっても、その風をチャント守て、別に慎むでもない、当然な事だと思て居た。ダカラ緒方の塾に居るその間も、遂ぞ茶屋遊をするとか云うような事は決してない、と云いながら前にも云う通り何も偏屈で夫れを嫌って恐れて逃げて廻って蔭で理屈らしく不平な顔をして居ると云うような事も頓としない。遊廓の話、茶屋の話、同窓生と一処になってドシ/″\話をして問答して、而して私は夫れを又冷かして、「君達は誠に野暮な奴だ。茶屋に行てフラレて来ると云うような馬鹿があるか。僕は登楼は為ない。為ないけれども、僕が一度び奮発して楼に登れば、君達の百倍被待て見せよう。君等のようなソンナ野暮な事をするなら止して仕舞え。ドウセ登楼などの出来そうな柄でない。田舎者めが、都会に出て来て茶屋遊の ABC を学んで居るなんて、ソンナ鈍いことでは生涯役に立たぬぞと云うような調子で哦鳴り廻って、実際に於てその哦鳴る本人は決して浮気でない。ダカラ人が私を馬鹿にすることは出来ぬ。能く世間にある徳行の君子なんて云う学者が、ムヅ/\してシント考えて、他人の為ることを悪い/\と心の中で思て不平を呑で居る者があるが、私は人の言行を見て不平もなければ心配もない、一緒に戯れて洒蛙々々として居るから却て面白い。
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福翁自伝・幼少の時・喜怒色に顕わさず或時私が何か漢書を読む中に、喜怨色に顕さずと云う一句を読で、その時にハット思うて大に自分で安心決定したことがある。「是れはドウモ金言だと思い、始終忘れぬようにして独りこの教を守り、ソコデ誰が何と云て賞めて呉れても、唯表面に程よく受けて心の中には決して喜ばぬ。又何と軽蔑されても決して怒らない。どんな事があっても怒った事はない。矧や朋輩同士で喧嘩をしたと云うことは只の一度もない。ツイゾ人と掴合ったの、打ったの、打たれたのと云うことは一寸ともない。是れは少年の時ばかりでない。少年の時分から老年の今日に至るまで、私の手は怒に乗じて人の身体に触れたことはない。所が先年二十何年前、塾の書生に何とも仕方のない放蕩者があって、私が多年衣食を授けて世話をして遣るにも拘わらず、再三再四の不埓、或るときそのものが何処に何をしたか夜中酒に酔て生意気な風をして帰て来たゆえ、貴様は今夜寝ることはならぬ、起きてチャント正座して居ろと申渡して置て、少して行て見ればグウ/″\鼾をして居る。この不埓者めと云て、その肩の処をつらまえて引起して、目の醒めてるのを尚おグン/″\ゆたぶって遣たことがある。その時跡で独り考えて、「コリャ悪い事をした、乃公は生涯、人に向て此方から腕力を仕掛けたようなことはなかったに、今夜は気に済まぬ事をしたと思て、何だか坊主が戒律でも破たような心地がして、今に忘れることが出来ません。その癖私は少年の時から能く饒舌り、人並よりか口数の多い程に饒舌って、爾うして何でも為ることは甲斐々々しく遣て、決して人に負けないけれども、書生流儀の議論と云うことをしない。似合い議論すればと云ても、ほんとうに顔を赧めて如何あっても勝たなければならぬと云う議論をしたことはない。何か議論を始めて、ひどく相手の者が躍起となって来れば、此方はスラリと流して仕舞う。「彼の馬鹿が何を馬鹿を云て居るのだと斯う思て、頓と深く立入ると云うことは決して遣らなかった。ソレでモウ自分の一身は何処に行て如何な辛苦も厭わぬ、唯この中津に居ないで如何かして出て行きたいものだと、独り夫ればかり祈って居た処が、とうと長崎に行くことが出来ました。
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