福翁自伝 / 品行家風・莫逆の友なし
経済の事は右の如くにして、私は私の流義を守て生涯このまゝ替えずに終ることであろうと思いますが、ソレから又自分の一身の行状は如何であったか、家を成した後に家の有様は如何かと云うことに付て、有りのまゝの次第を語りましょう。扨私の若い時は如何だと申すに、中津に居たとき子供の時分から成年に至るまで、何としても同藩の人と打解けて真実に交わることが出来ない、本当に朋友になって共々に心事を語る所謂莫逆の友と云うような人は一人もない、世間にないのみならず親類中にもない、と云て私が偏窟者で人と交際が出来ないと云うではない。ソリャ男子に接しても婦人に逢うても快く話をして、ドチラかと云えばお饒舌りの方であったが、本当を云うと表面ばかりで、実はこの人の真似をして見たい、彼の人のように成りたいとも思わず、人に誉められて嬉しくもなく、悪く云われて怖くもなく、都て無頓着で、悪く評すれば人を馬鹿にして居たようなもので、仮初にも争う気がないその証拠には、同年輩の子供と喧嘩をしたことがない、喧嘩をしなければ怪我もしない、友達と喧嘩をして泣て家に帰て阿母さんに言告けると云うようなことは唯の一度もない。口先き計り達者で内実は無難無事な子でした。
書き下し
経済の事は右の如くにして、私は私の流義を守て生涯このまゝ替えずに終ることであろうと思いますが、ソレから又自分の一身の行状は如何であったか、家を成した後に家の有様は如何かと云うことに付て、有りのまゝの次第を語りましょう。扨私の若い時は如何だと申すに、中津に居たとき子供の時分から成年に至るまで、何としても同藩の人と打解けて真実に交わることが出来ない、本当に朋友になって共々に心事を語る所謂莫逆の友と云うような人は一人もない、世間にないのみならず親類中にもない、と云て私が偏窟者で人と交際が出来ないと云うではない。ソリャ男子に接しても婦人に逢うても快く話をして、ドチラかと云えばお饒舌りの方であったが、本当を云うと表面ばかりで、実はこの人の真似をして見たい、彼の人のように成りたいとも思わず、人に誉められて嬉しくもなく、悪く云われて怖くもなく、都て無頓着で、悪く評すれば人を馬鹿にして居たようなもので、仮初にも争う気がないその証拠には、同年輩の子供と喧嘩をしたことがない、喧嘩をしなければ怪我もしない、友達と喧嘩をして泣て家に帰て阿母さんに言告けると云うようなことは唯の一度もない。口先き計り達者で内実は無難無事な子でした。
現代語訳
経済のことは右のとおりで、私は私の流儀を守って、生涯このまま変えずに終えることだろうと思いますが、それからまた自分の一身の行状はどうであったか、家を成した後の家の有様はどうかということについて、ありのままの次第を語りましょう。さて私の若い時はどうかと申せば、中津にいたとき、子供の時分から成年に至るまで、どうしても同藩の人と打ち解けて本当に交わることができません。本当の友達になって共々に心の内を語る、いわゆる莫逆の友というような人は一人もありません。世間にいないだけでなく、親類の中にもいません。かといって私が偏屈者で人と交際ができないというのではありません。男子に接しても婦人に会っても快く話をして、どちらかといえばおしゃべりのほうでしたが、本当のところは表面ばかりで、実はこの人の真似をしてみたい、あの人のようになりたいとも思わず、人に誉められても嬉しくもなく、悪く言われても怖くもなく、すべて無頓着で、悪く評すれば人をばかにしていたようなものです。かりそめにも争う気がないその証拠に、同年輩の子供と喧嘩をしたことがありません。喧嘩をしなければ怪我もしません。友達と喧嘩をして泣いて家に帰り、お母さんに言いつけるというようなことは、ただの一度もありません。口先ばかり達者で、内実は無難無事な子でした。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・一身一家経済の由来・他人に私事を語らず私が経済上に堅固を守て臆病で大胆な事の出来ないのは、先天の性質であるか、抑も亦身の境遇に駈られて遂に堅く凝り固まったものでしょう。本年六十五歳になりますが、二十一歳のとき家を去て以来、自から一身の謀を為し、二十三歳、家兄を喪いしより後は、老母と姪と二人の身の上を引受け、二十八歳にして妻を娶り子を生み、一家の責任を自分一身に担うて、今年に至るまで四十五年のその間、二十三歳の冬大阪緒方先生に身の貧困を訴えて大恩に浴したるのみ、その他は仮初にも身事家事の私を他人に相談したこともなければ又依頼したこともない。人の智恵を借りようとも思わず、人の差図を受けようとも思わず、人間万事天運に在りと覚悟して、勉めることは飽くまでも根気能く勉めて、種々様々の方便を運らし、交際を広くして愛憎の念を絶ち、人に勧め又人の同意を求めるなどは十人並に遣りながら、ソレでも思う事の叶わぬときは、尚おそれ以上に進んで哀願はしない、唯元に立戻て独り静に思止るのみ。詰る所、他人の熱に依らぬと云うのが私の本願で、この一義は私が何時発起したやら、自分にも是れと云う覚えはないが、少年の時からソンな心掛け、イヤ心掛けと云うよりもソンな癖があったと思われます。
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福翁自伝・品行家風・大言壮語の中、忌むべきを忌むソレから国を去て長崎に行き大阪に出てその修業中も、ワイ/\朋友と共に笑い共に語て浮々して居るようにあるけれども、身の行状を慎み品行を正しくすると云うことは、努めずして自然にソレが私の体に備て居ると云ても宜しい。モウそれはさん/″\な乱暴な話をして、大言壮語、至らざる所なしと云う中にも、嫌らしい汚ない話と云うことは一寸とでも為たことがない。同窓生の話に能くある事で、昨夜、北の新地に遊んでなんと云うような事を云出そうとすると、私は態と其処を去らずに大箕坐をかいてワイ/\とその話を打消し、「馬鹿野郎、余計なことを口走るな、と云うような調子で雑ぜ返して仕舞う。ソレから江戸に出て来ても相替らずその通り、朋友も多い事だから相互に往来するのは不断の事で、頻りに飛廻て居たけれども、扨例の吉原とか深川とか云う事になると、朋友共が私に話をすることが出来ない。その癖私は能く事情を知て居る。誠に事細に知て居るその訳けは、小本なんぞ読むにも及ばず、近く朋友共が馬鹿話に浮かれて饒舌るのを、黙て聞て居れば容易に分る。六かしい事も何にもない、チャンと呑込んで知て居るけれども、如何なこと、左様な事を思出したこともないのみならず、吉原深川は扨置き、上野の花見に行たこともない。
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福翁自伝・幼少の時・兄弟五人中津の風に合わず扨中津に帰てから私の覚えて居ることを申せば、私共の兄弟五人はドウシテも中津人と一所に混和することが出来ない、その出来ないと云うのは深い由縁も何もないが、従兄弟が沢山ある、父方の従兄弟もあれば母方の従兄弟もある。マア何十人と云う従兄弟がある。又近所の小供も幾許もある、あるけれどもその者等とゴチャクチャになることは出来ぬ。第一言葉が可笑しい。私の兄弟は皆大阪言葉で、中津の人が「そうじゃちこ」と云う所を、私共は「そうでおます」なんと云うような訳けで、お互に可笑しいから先ず話が少ない。夫れから又母は素と中津生れであるが、長く大阪に居たから大阪の風に慣れて、小供の髪の塩梅式、着物の塩梅式、一切大阪風の着物より外にない。有合の着物を着せるから自然中津の風とは違わなければならぬ。着物が違い言葉が違うと云う外には何も原因はないが、子供の事だから何だか人中に出るのを気恥かしいように思て、自然、内に引込んで兄弟同士遊んで居ると云うような風でした。
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福翁自伝・幼少の時・厳ならずして家風正し今申す通り私共の兄弟は、幼少のとき中津の人と言語風俗を殊にして、他人の知らぬ処に随分淋しい思いをしましたが、その淋しい間にも家風は至極正しい。厳重な父があるでもないが、母子睦じく暮して兄弟喧嘩など唯の一度もしたことがない。のみか、仮初にも俗な卑陋な事はしられないものだと育てられて、別段に教える者もない、母も決して喧しい六かしい人でないのに、自然に爾うなったのは、矢張り父の遺風と母の感化力でしょう。その事実に現われたことを申せば、鳴物などの一条で、三味線とか何とか云うものを、聞こうとも思わなければ何とも思わぬ。斯様なものは全体私なんぞの聞くべきものでない、矧や玩ぶべき者でないと云う考を持て居るから、遂ぞ芝居見物など念頭に浮んだこともない。例えば、夏になると中津に芝居がある。祭の時には七日も芝居を興行して、田舎役者が芸をするその時には、藩から布令が出る。芝居は何日の間あるが、藩士たるものは決して立寄ることは相成らぬ、住吉の社の石垣より以外に行くことならぬと云うその布令の文面は、甚だ厳重なようにあるが、唯一片の御布令だけの事であるから、俗士族は脇差を一本挟して頬冠りをして颯々と芝居の矢来を破て這入る。若しそれを咎めれば却て叱り飛ばすと云うから、誰も怖がって咎める者はない。町の者は金を払て行くに、士族は忍姿で却て威張て只這入て観る。然るに中以下俗士族の多い中で、その芝居に行かぬのは凡そ私のところ一軒位でしょう。決して行かない。此処から先きは行くことはならぬと云えば、一足でも行かぬ、どんな事があっても。私の母は女ながらも遂ぞ一口でも芝居の事を子供に云わず、兄も亦行こうと云わず、家内中一寸でも話がない。夏、暑い時の事であるから凉には行く。併しその近くで芝居をして居るからと云て見ようともしない、どんな芝居を遣て居るとも噂にもしない、平気で居ると云うような家風でした。
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福翁自伝・大阪修業・血に交わりて赤くならず(2)自分でも不思議のようにあるが、是れは如何しても私の家の風だと思います。幼少の時から兄弟五人、他人まぜずに母に育てられて、次第に成長しても、汚ない事は仮初にも蔭にも日向にも家の中で聞たこともなければ話した事もない。清浄潔白、自から同藩普通の家族とは色を異にして、ソレカラ家を去て他人に交わっても、その風をチャント守て、別に慎むでもない、当然な事だと思て居た。ダカラ緒方の塾に居るその間も、遂ぞ茶屋遊をするとか云うような事は決してない、と云いながら前にも云う通り何も偏屈で夫れを嫌って恐れて逃げて廻って蔭で理屈らしく不平な顔をして居ると云うような事も頓としない。遊廓の話、茶屋の話、同窓生と一処になってドシ/″\話をして問答して、而して私は夫れを又冷かして、「君達は誠に野暮な奴だ。茶屋に行てフラレて来ると云うような馬鹿があるか。僕は登楼は為ない。為ないけれども、僕が一度び奮発して楼に登れば、君達の百倍被待て見せよう。君等のようなソンナ野暮な事をするなら止して仕舞え。ドウセ登楼などの出来そうな柄でない。田舎者めが、都会に出て来て茶屋遊の ABC を学んで居るなんて、ソンナ鈍いことでは生涯役に立たぬぞと云うような調子で哦鳴り廻って、実際に於てその哦鳴る本人は決して浮気でない。ダカラ人が私を馬鹿にすることは出来ぬ。能く世間にある徳行の君子なんて云う学者が、ムヅ/\してシント考えて、他人の為ることを悪い/\と心の中で思て不平を呑で居る者があるが、私は人の言行を見て不平もなければ心配もない、一緒に戯れて洒蛙々々として居るから却て面白い。
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福翁自伝・幼少の時・青天白日に徳利(1)夫れから私が世間に無頓着と云うことは少年から持て生れた性質、周囲の事情に一寸とも感じない。藩の小士族などは酒、油、醤油などを買うときは、自分自から町に使に行かなければならぬ。所がその頃の士族一般の風として、頬冠をして宵出掛て行く。私は頬冠は大嫌いだ。生れてからしたことはない。物を買うに何だ、銭を遣て買うに少しも構うことはないと云う気で、顔も頭も丸出しで、士族だから大小は挟すが、徳利を提て、夜は扨置き白昼公然、町の店に行く。銭は家の銭だ、盗んだ銭じゃないぞと云うような気位で、却て藩中者の頬冠をして見栄をするのを可笑しく思たのは少年の血気、自分独り自惚て居たのでしょう。ソレカラ又家に客を招く時に、大根や牛蒡を煮て喫せると云うことに就て、必要があるから母の指図に従て働て居た。所で私は客などがウヂャ/\酒を呑むのは大嫌い。俗な奴等だ、呑むなら早く呑で帰て仕舞えば宜いと思うのに、中々帰らぬ。家は狭くて居処もない。仕方ないから客の呑でる間は、私は押入の中に這入て寝て居る。何時でも客をする時には、客の来る迄は働く、けれども夕方になると、自分も酒が好だから颯々と酒を呑で飯を喰て押入に這入て仕舞い、客が帰た跡で押入から出て、何時も寝る処に寝直すのが常例でした。
人生を、一行の式にしてみた。
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