福翁自伝 / 一身一家経済の由来・借用証書があらば百万円遣ろう
ソコで或時例の金融家のエライ人が私方に来て、何か金の話になって、千種万様、実に目に染みるような混雑な事を云うから、扨て/\如何もウルサイ事だ、この金を彼方に向けて、彼の金は此方に返えすと云う話であるが、人に貸す金があれば借りなくても宜さそうなものだ、商売人は人の金を借りて商売すると云うことは私も能く知て居るが、苟も人に金を貸すと云うことは余た金があるから貸すのだ、仮令い商売人でも貸す金があるなら成る丈けソレを自分に運転して、他人の金をば成る丈け借用しないようにするのが本意ではないか、然るに自分に資本を持て居ながら、態々人に借用とは入らざる事をしたものだ、余計な苦労を求めるようなものだと云うと、その人が大に笑て、迂闊千万、途方もない事を云う、商売人と云うものは入組んで/\滅茶々々になったと云うその間に、又種々様々の面白いことのあるもので、そんな馬鹿な事が出来るものか、啻に商売人に眼らず、凡そ人の金を借用せずに世の中を渡ると云うことが出来るものか、ソンな人が何処に在るかと云て私を冷却するから、私はその時始めてヒョイと思付た。今御話を聞けば、世の中に借金しない者が何処に在るかと云うが、その人は今こゝに居ます。私は是れまで只の一度も人の金を借りたことがない。「そんな馬鹿な事を云いなさるな。「イヤ如何してもない。生れて五十年(是れは十四、五年前の話)人の金を一銭でも借りたことはない。ソレが嘘ならば、試に私の印形の据て居るものとは云わない、反古でも何でも宜しい、ソレを捜して持て来て御覧。私が百万円で買おう。ドウしたってありはしない。日本国中に福澤の書た借用証文と云うものはソレこそ有る気遣いはないが如何だ、と云うような訳けで、その時に私も始めて思い出したが、私は生れてこの方遂ぞ金を借りたことがない。是れはマア私の眼から見れば尋常一様の事と思うけれども、世間の人が見たらば甚だ尋常一様でないのかも知れぬ。
新字:ソコで或時例の金融家のエライ人が私方に来て、何か金の話になって、千種万様、実に目に染みるような混雑な事を云うから、扨て/\如何もウルサイ事だ、この金を彼方に向けて、彼の金は此方に返えすと云う話であるが、人に貸す金があれば借りなくても宜さそうなものだ、商売人は人の金を借りて商売すると云うことは私も能く知て居るが、苟も人に金を貸すと云うことは余た金があるから貸すのだ、仮令い商売人でも貸す金があるなら成る丈けソレを自分に運転して、他人の金をば成る丈け借用しないようにするのが本意ではないか、然るに自分に資本を持て居ながら、態々人に借用とは入らざる事をしたものだ、余計な苦労を求めるようなものだと云うと、その人が大に笑て、迂闊千万、途方もない事を云う、商売人と云うものは入組んで/\滅茶々々になったと云うその間に、又種々様々の面白いことのあるもので、そんな馬鹿な事が出来るものか、啻に商売人に眼らず、凡そ人の金を借用せずに世の中を渡ると云うことが出来るものか、ソンな人が何処に在るかと云て私を冷却するから、私はその時始めてヒョイと思付た。今御話を聞けば、世の中に借金しない者が何処に在るかと云うが、その人は今こゝに居ます。私は是れまで只の一度も人の金を借りたことがない。「そんな馬鹿な事を云いなさるな。「イヤ如何してもない。生れて五十年(是れは十四、五年前の話)人の金を一銭でも借りたことはない。ソレが嘘ならば、試に私の印形の据て居るものとは云わない、反古でも何でも宜しい、ソレを捜して持て来て御覧。私が百万円で買おう。ドウしたってありはしない。日本国中に福沢の書た借用証文と云うものはソレこそ有る気遣いはないが如何だ、と云うような訳けで、その時に私も始めて思い出したが、私は生れてこの方遂ぞ金を借りたことがない。是れはマア私の眼から見れば尋常一様の事と思うけれども、世間の人が見たらば甚だ尋常一様でないのかも知れぬ。
書き下し
ソコで或時例の金融家のエライ人が私方に来て、何か金の話になって、千種万様、実に目に染みるような混雑な事を云うから、扨て/\如何もウルサイ事だ、この金を彼方に向けて、彼の金は此方に返えすと云う話であるが、人に貸す金があれば借りなくても宜さそうなものだ、商売人は人の金を借りて商売すると云うことは私も能く知て居るが、苟も人に金を貸すと云うことは余た金があるから貸すのだ、仮令い商売人でも貸す金があるなら成る丈けソレを自分に運転して、他人の金をば成る丈け借用しないようにするのが本意ではないか、然るに自分に資本を持て居ながら、態々人に借用とは入らざる事をしたものだ、余計な苦労を求めるようなものだと云うと、その人が大に笑て、迂闊千万、途方もない事を云う、商売人と云うものは入組んで/\滅茶々々になったと云うその間に、又種々様々の面白いことのあるもので、そんな馬鹿な事が出来るものか、啻に商売人に眼らず、凡そ人の金を借用せずに世の中を渡ると云うことが出来るものか、ソンな人が何処に在るかと云て私を冷却するから、私はその時始めてヒョイと思付た。今御話を聞けば、世の中に借金しない者が何処に在るかと云うが、その人は今こゝに居ます。私は是れまで只の一度も人の金を借りたことがない。「そんな馬鹿な事を云いなさるな。「イヤ如何してもない。生れて五十年(是れは十四、五年前の話)人の金を一銭でも借りたことはない。ソレが嘘ならば、試に私の印形の据て居るものとは云わない、反古でも何でも宜しい、ソレを捜して持て来て御覧。私が百万円で買おう。ドウしたってありはしない。日本国中に福澤の書た借用証文と云うものはソレこそ有る気遣いはないが如何だ、と云うような訳けで、その時に私も始めて思い出したが、私は生れてこの方遂ぞ金を借りたことがない。是れはマア私の眼から見れば尋常一様の事と思うけれども、世間の人が見たらば甚だ尋常一様でないのかも知れぬ。
現代語訳
そこで、ある時、例の金融家の偉い人が私の家に来て、何か金の話になって、千種万様、実に目に染みるような混雑したことを言うので、さてさていかにもうるさいことだ、この金をあちらに向けて、あの金をこちらに返すという話だが、人に貸す金があれば借りなくてもよさそうなものだ、商売人は人の金を借りて商売するということは私もよく知っているが、そもそも人に金を貸すということは余った金があるから貸すのだ、たとえ商売人でも貸す金があるなら、できるだけそれを自分で運転して、他人の金はできるだけ借用しないようにするのが本意ではないか、ところが自分に資本を持っていながら、わざわざ人に借用とは、要らぬことをしたものだ、余計な苦労を求めるようなものだ、と言うと、その人は大いに笑って、迂闊千万、途方もないことを言う、商売人というものは入り組んで入り組んで、めちゃくちゃになったというその間に、またさまざまの面白いことがあるもので、そんな馬鹿なことができるものか、ただ商売人に限らず、およそ人の金を借りずに世の中を渡るということができるものか、そんな人がどこにいるか、と言って私を冷やかすので、私はその時初めてひょいと思いつきました。今お話を聞けば、世の中に借金をしない者がどこにいるかと言うが、その人は今ここにいます。私はこれまでただの一度も人の金を借りたことがありません。「そんな馬鹿なことを言いなさるな。」「いや、どうしてもない。生まれて五十年(これは十四、五年前の話)、人の金を一銭でも借りたことはない。それが嘘なら、試しに私の印の押してあるものとは言わない、反故でも何でもよろしい、それを探して持ってきてごらん。私が百万円で買おう。どうしたってありはしない。日本国中に福沢の書いた借用証文というものは、それこそあるはずがないが、どうだ」と言うようなわけで、その時に私も初めて思い出しましたが、私は生まれてこのかた、ついぞ金を借りたことがありません。これはまあ私の目から見れば、ごくふつうのことと思いますが、世間の人が見たらたいへん普通でないことかもしれません。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・一身一家経済の由来・仮初にも愚痴を云わず夫れからして、世間の人が私に対して推察する所を、私が又推察して見るに、ドウも世人の思う所は決して無理でない、と云うのは私が若い時から困たと云うことを一言でも云うたことがない、誠に家事多端で金の入用が多くて困るとか、今歳は斯う云う不時な事があって困却致すとか云うような事を、仮初にも口外したことがない、私の眼には世間が可笑しく見える、世間多数の人が動もすれば貧乏で困る、金が不自由だ、無力だ、不如意だ、なんかんと愚痴をこぼすのは、或は金を貸して貰いたいと云うような意味で言うのか、但しは洒落に言うのか、飾りに言うのか、私の眼から見れば何の事だか少しも訳けが分らない、自分の身に金があろうとなかろうと敢て他人に関係したことでない、自分一身の利害を下らなく人に語るのは独語を言うようなもので、こんな馬鹿気た事はない、私の流儀にすれば金がなければ使わない、有ても無駄に使わない、多く使うも、少なく使うも、一切世間の人のお世話に相成らぬ、使いたくなければ使わぬ、使いたければ使う、嘗て人に相談しようとも思わなければ、人に喙を容れさせようとも思わぬ、貧富苦楽、共に独立独歩、ドンな事があっても、一寸でも困たなんて泣言を云わずに何時も悠々として居るから、凡俗世界ではその様子を見て、コリャ何でも金持だと測量する人もありましょう。所が私は又その測量者があろうとなかろうと、その推測が中ろうと中るまいと、少しも頓着なしに相替らず悠々として居ます。既に先年、所得税法の始めて発布せられた時などは可笑しい、区内の所得税掛りとか何とか云う人が、私の家には財産が凡そ七十万円あるその割合で税を取ると、内々云て来た者があるから、私がその者に云うに、何卒その言葉を忘れて呉れるな、見て居る前で福澤の一家残らず裸体になって出て行くから、七十万で買て貰いたい、財産は帳面のまゝ渡して、家も倉も衣服も諸道具も鍋も釜も皆遣るから、ソックリ買取て七十万円の金に易えたい、唯漠然たる評価は迷惑だ、現金で売買したい、爾うなれば生来始めての大儲けで、生涯さぞ安楽であろうと云て、大笑いしたことがあります。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・頼母子の金弐朱を返す是れから私が一身一家の経済の事を陳べましょう。凡そ世の中に何が怖いと云ても、暗殺は別にして、借金ぐらい怖いものはない。他人に対して金銭の不義理は相済まぬ事と決定すれば、借金はます/\怖くなります。私共の兄弟姉妹は幼少の時から貧乏の味を嘗め尽して、母の苦労した様子を見ても生涯忘れられません。貧小士族の衣食住その艱難の中に、母の精神を以て自から私共を感化した事の数々あるその一例を申せば、私が十三、四歳のとき母に云付けられて金子返済の使をしたことがあります。その次第柄は斯う云うことです。天保七年、大阪に於て私共が亡父の不幸で母に従て故郷の中津に帰りましたとき、家の普請をするとか何とか云うに、勝手向は勿論不如意ですから、人の世話で頼母子講を拵えて一口金二朱ずつで何両とやら纏まった金が出来て一時の用を弁じて、その後、毎年幾度か講中が二朱ずつの金を持寄り、鬮引にて満座に至りて皆済になる仕組であるが、大家の人は二朱計りの金の為めに何年もこんな事に関係して居るのは面倒だと云う所から、一時二朱の掛金を出したまゝに手を引く者がある。之を掛棄と云います。その実は講主が人に金を唯貰うような事なれども、一般の風俗で左まで世間に怪しむ者もない。所が福澤の頼母子に大阪屋五郎兵衛と云う廻船屋が一口二朱を掛棄にしたそうです。勿論私の三、四歳頃か幼少の時の事で何も知りませんでしたが、十三、四歳のとき或日母が私に申すに、「お前は何も知らぬ事だが、十年前に斯う/\云う事があって大阪屋が掛棄にして、福澤の家は大阪屋に金二朱を貰うたようなものだ。誠に気に済まぬ。武家が町人から金を恵まれて夫れを唯貰うて黙て居ることは出来ません。疾うから返したい/\と思ては居たがドウも爾う行かずに、ヤッと今年は少し融通が付いたから、この二朱のお金を大阪屋に持て行て厚う礼を述べて返して来いと申して、その金を紙に包んで私に渡しました。ソレから私は大阪屋に参て金の包みを出すと、先方では意外に思うたか、「御返済など却て痛入ります。最早や古い事です。決してそんな御心配には及びませんと云て頻りに辞退すれども、私は母の云うことを聞て居るから、是非渡さねばならぬと、互に押し返して口喧嘩のように争うて、金を置て帰たことがあります。今はハヤ五十二、三年も過ぎてむかし/\の事であるが、そのとき母に云付けられた口上も、先方の大阪屋の事も、チャンと記憶に存して忘れません。年月日は覚えないが何でも朝のことゝ思う、豊前中津下小路の西南の角屋敷、大阪屋五郎兵衛の家に行て主人五郎兵衛は留守で、弟の源七に金を渡したと云うことまで覚えて居ます。こんなことが少年の時から私の脳中に遺て居るから、金銭の事に就ては何としても大胆な横着な挙動は出来られません。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・金がなければ出来る時まで待つソレから段々成長して、中津に居る間は漢学修業の傍に内職のような事をして多少でも家の活計を助け、畑もすれば米も搗き飯も炊き、鄙事多能、あらん限りの辛苦して貧小士族の家に居り、年二十一のとき始めて長崎に行て、勿論学費のあろう訳けもない、寺の留守番をしたり砲術家の食客になったりして、不自由ながら蘭学を学んで、その後大阪に出て、大阪の緒方先生の塾に修業中も、相替らず金の事は恐ろしくて唯の一度でも他人に借りたことはない。人に借用すれば必ず返済せねばならぬ。当然のことで分り切て居るから、その返済する金が出来る位ならば、出来る時節まで待て居て借金はしないと、斯う覚悟を極めて、ソコで二朱や一分は扨置き、百文の銭でも人に借りたことはない。チャンと自分の金の出来るまで待て居る。夫れから又私は質に置たことがない。着物は塾に居るときも故郷の母が夏冬手織木綿の品を送て呉れましたが、ソレを質に置くと云えば何時か一度は請還さなければならぬ。請還す金があるならその金の出来るまで待て居るが宜いと斯う思うから、金の入用はあっても只の一度も質に入れたことがない。けれどもいよ/\金に迫て如何してもなくてならぬと云うときか、恥かしい事だが酒が飲みたくて堪らないと云うようなことがあれば、思切てその着物を売て仕舞います。例えばその時に浴衣一枚を質に入れゝば弐朱貸して呉れる、之を手離して売ると云えば弐朱と弐百文になるから売ることにすると云うような経済法にして、且つ又私は写本で銭を取ることもしない。大事な修業の身を以て銭の為めに時を費すは勿体ない、吾身の為めには一刻千金の時である、金がなければ唯使わぬと覚悟を定めて、大阪に居る間とう/\一銭の金も借用したことなくして、その後江戸に来ても同様、仮初にも人に借用したことはない。折節自分で想像しては唯怖くて堪らない、借金が出来て人から催促されたら如何だろう、世間の人、朋友の中にも毎度ある話だ、借金が出来て返さなければならぬと云て、此方から借りては彼方に返し、又彼方から借りては此方に返すと云う者があるが、私は少しも感服しない。誠に気の済まぬ話で、金を借りて返さなくてならぬなんて嘸忙しい事であろう、能くもアレで一日でも半日でも安んじて居られたものだと思うて、殆んど推量が出来ない。一口に云えば私は借金の事に就て大の臆病者で、少しも勇気がない。人に金を借用してその催促に逢うて返すことが出来ないと云うときの心配は、恰も白刃を以て後ろから追蒐けられるような心地がするだろうと思います。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・金を預けるも面倒なりソレで私は今でも多少の財産を持て居る、持て居たけれども私ところの会計と云うものは至極簡単で、少しも入込んだことはない。この金を誰に返えさなければならぬ、之を此方に振向けなければならぬと云うような事は絶えてない。ソレで僅かばかり二百円とか三百円とか云う金が、手元にあってもなくても構わない、ソレを銀行に預けて、必要のとき小切手で払いをすれば利息が徳になると云う、ソレは私も能く知て居て、世間一体そう云う風になりたいとは思えども、扨自分には小面倒臭い、ソンな事にドタバタするよりか、金は金で仕舞て置て、払うときにはその紙幣を計えて渡して遣ると、斯う云う趣向にして、私も家内もその通りな考えで、真実封建武士の机の抽斗の会計と云うことになって、その話になると丸で別世界のようで、文明流の金融法は私の家に這入りません。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・商売の実地を知らず話は以前に立還て復た経済を語りましょう。私は金銭の事を至極大切にするが、商売は甚だ不得手である、その不得手とは敢て商売の趣意を知らぬではない、その道理は一通り心得て居る積りだが、自分に手を着けて売買貸借は何分ウルサクて面倒臭くて遣る気がない。且つむかしの士族書生の気風として、利を貪るは君子の事に非ずなんと云うことが脳に染込んで、商売は愧かしいような心持がして、是れも自から身に着き纏うて居るでしょう。既に江戸に始めて来たとき、同藩の先輩岡見彦曹と云う人が、和蘭辞書の原書を飜刻して一冊の代価五両、その時には安いもので随分望む人もある中に、私が世話をして朋友に一冊買わせて、その代金五両を岡見に持て行くと、主人が金一分、紙に包んで呉れたから驚いた、是れは何の事か少しも分らん、本の世話をして売たその礼とは呆れた話だ、畢竟主人が少年書生と見縊て金を恵む了簡であろう、無礼な事をするもの哉と少し心に立腹して、真面目になって争う事があると云うような次第で、物の売買に手数料などゝ云うことは町人共の話として、書生の身には夢ほども知らない。
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