福翁自伝 / 一身一家経済の由来・仮初にも愚痴を云わず
夫れからして、世間の人が私に対して推察する所を、私が又推察して見るに、ドウも世人の思う所は決して無理でない、と云うのは私が若い時から困たと云うことを一言でも云うたことがない、誠に家事多端で金の入用が多くて困るとか、今歳は斯う云う不時な事があって困却致すとか云うような事を、仮初にも口外したことがない、私の眼には世間が可笑しく見える、世間多数の人が動もすれば貧乏で困る、金が不自由だ、無力だ、不如意だ、なんかんと愚痴をこぼすのは、或は金を貸して貰いたいと云うような意味で言うのか、但しは洒落に言うのか、飾りに言うのか、私の眼から見れば何の事だか少しも訳けが分らない、自分の身に金があろうとなかろうと敢て他人に関係したことでない、自分一身の利害を下らなく人に語るのは独語を言うようなもので、こんな馬鹿気た事はない、私の流儀にすれば金がなければ使わない、有ても無駄に使わない、多く使うも、少なく使うも、一切世間の人のお世話に相成らぬ、使いたくなければ使わぬ、使いたければ使う、嘗て人に相談しようとも思わなければ、人に喙を容れさせようとも思わぬ、貧富苦楽、共に独立独歩、ドンな事があっても、一寸でも困たなんて泣言を云わずに何時も悠々として居るから、凡俗世界ではその様子を見て、コリャ何でも金持だと測量する人もありましょう。所が私は又その測量者があろうとなかろうと、その推測が中ろうと中るまいと、少しも頓着なしに相替らず悠々として居ます。既に先年、所得税法の始めて発布せられた時などは可笑しい、区内の所得税掛りとか何とか云う人が、私の家には財産が凡そ七十万円あるその割合で税を取ると、内々云て来た者があるから、私がその者に云うに、何卒その言葉を忘れて呉れるな、見て居る前で福澤の一家残らず裸体になって出て行くから、七十万で買て貰いたい、財産は帳面のまゝ渡して、家も倉も衣服も諸道具も鍋も釜も皆遣るから、ソックリ買取て七十万円の金に易えたい、唯漠然たる評価は迷惑だ、現金で売買したい、爾うなれば生来始めての大儲けで、生涯さぞ安楽であろうと云て、大笑いしたことがあります。
新字:夫れからして、世間の人が私に対して推察する所を、私が又推察して見るに、ドウも世人の思う所は決して無理でない、と云うのは私が若い時から困たと云うことを一言でも云うたことがない、誠に家事多端で金の入用が多くて困るとか、今歳は斯う云う不時な事があって困却致すとか云うような事を、仮初にも口外したことがない、私の眼には世間が可笑しく見える、世間多数の人が動もすれば貧乏で困る、金が不自由だ、無力だ、不如意だ、なんかんと愚痴をこぼすのは、或は金を貸して貰いたいと云うような意味で言うのか、但しは洒落に言うのか、飾りに言うのか、私の眼から見れば何の事だか少しも訳けが分らない、自分の身に金があろうとなかろうと敢て他人に関係したことでない、自分一身の利害を下らなく人に語るのは独語を言うようなもので、こんな馬鹿気た事はない、私の流儀にすれば金がなければ使わない、有ても無駄に使わない、多く使うも、少なく使うも、一切世間の人のお世話に相成らぬ、使いたくなければ使わぬ、使いたければ使う、嘗て人に相談しようとも思わなければ、人に喙を容れさせようとも思わぬ、貧富苦楽、共に独立独歩、ドンな事があっても、一寸でも困たなんて泣言を云わずに何時も悠々として居るから、凡俗世界ではその様子を見て、コリャ何でも金持だと測量する人もありましょう。所が私は又その測量者があろうとなかろうと、その推測が中ろうと中るまいと、少しも頓着なしに相替らず悠々として居ます。既に先年、所得税法の始めて発布せられた時などは可笑しい、区内の所得税掛りとか何とか云う人が、私の家には財産が凡そ七十万円あるその割合で税を取ると、内々云て来た者があるから、私がその者に云うに、何卒その言葉を忘れて呉れるな、見て居る前で福沢の一家残らず裸体になって出て行くから、七十万で買て貰いたい、財産は帳面のまゝ渡して、家も倉も衣服も諸道具も鍋も釜も皆遣るから、ソックリ買取て七十万円の金に易えたい、唯漠然たる評価は迷惑だ、現金で売買したい、爾うなれば生来始めての大儲けで、生涯さぞ安楽であろうと云て、大笑いしたことがあります。
書き下し
夫れからして、世間の人が私に対して推察する所を、私が又推察して見るに、ドウも世人の思う所は決して無理でない、と云うのは私が若い時から困たと云うことを一言でも云うたことがない、誠に家事多端で金の入用が多くて困るとか、今歳は斯う云う不時な事があって困却致すとか云うような事を、仮初にも口外したことがない、私の眼には世間が可笑しく見える、世間多数の人が動もすれば貧乏で困る、金が不自由だ、無力だ、不如意だ、なんかんと愚痴をこぼすのは、或は金を貸して貰いたいと云うような意味で言うのか、但しは洒落に言うのか、飾りに言うのか、私の眼から見れば何の事だか少しも訳けが分らない、自分の身に金があろうとなかろうと敢て他人に関係したことでない、自分一身の利害を下らなく人に語るのは独語を言うようなもので、こんな馬鹿気た事はない、私の流儀にすれば金がなければ使わない、有ても無駄に使わない、多く使うも、少なく使うも、一切世間の人のお世話に相成らぬ、使いたくなければ使わぬ、使いたければ使う、嘗て人に相談しようとも思わなければ、人に喙を容れさせようとも思わぬ、貧富苦楽、共に独立独歩、ドンな事があっても、一寸でも困たなんて泣言を云わずに何時も悠々として居るから、凡俗世界ではその様子を見て、コリャ何でも金持だと測量する人もありましょう。所が私は又その測量者があろうとなかろうと、その推測が中ろうと中るまいと、少しも頓着なしに相替らず悠々として居ます。既に先年、所得税法の始めて発布せられた時などは可笑しい、区内の所得税掛りとか何とか云う人が、私の家には財産が凡そ七十万円あるその割合で税を取ると、内々云て来た者があるから、私がその者に云うに、何卒その言葉を忘れて呉れるな、見て居る前で福澤の一家残らず裸体になって出て行くから、七十万で買て貰いたい、財産は帳面のまゝ渡して、家も倉も衣服も諸道具も鍋も釜も皆遣るから、ソックリ買取て七十万円の金に易えたい、唯漠然たる評価は迷惑だ、現金で売買したい、爾うなれば生来始めての大儲けで、生涯さぞ安楽であろうと云て、大笑いしたことがあります。
現代語訳
それから、世間の人が私に対して推察するところを、私がまた推察してみると、どうも世人の思うところは決して無理ではありません。というのは、私が若い時から困ったということを一言でも言ったことがない。家事が多端で金の入用が多くて困るとか、今年はこういう不時のことがあって困っているとか、そういうことをかりそめにも口外したことがありません。私の目には世間がおかしく見えます。世間の多数の人がともすれば貧乏で困る、金が不自由だ、無力だ、不如意だなどと愚痴をこぼすのは、あるいは金を貸してもらいたいという意味で言うのか、それともしゃれで言うのか、飾りで言うのか、私の目から見ると何のことだか少しも分かりません。自分の身に金があろうとなかろうと、他人に関係したことではない。自分一身の利害をくだらなく人に語るのは独り言を言うようなもので、こんな馬鹿げたことはありません。私の流儀にすれば、金がなければ使わない、あっても無駄に使わない、多く使うも少なく使うも、一切世間の人のお世話にならない。使いたくなければ使わない、使いたければ使う。人に相談しようとも思わなければ、人に口を挟ませようとも思わない。貧富苦楽、ともに独立独歩、どんなことがあっても、ちょっとでも困ったなどと泣き言を言わず、いつも悠々としているから、凡俗の世界ではその様子を見て、これはきっと金持ちだと推し量る人もいるでしょう。ところが私はまた、その推し量る者があろうとなかろうと、その推測が当たろうと当たるまいと、少しも頓着なく、相変わらず悠々としています。以前、所得税法が初めて発布されたときなどはおかしかった。区内の所得税掛りとかいう人が、私の家には財産がおよそ七十万円あるからその割合で税を取ると内々に言ってきたので、私がその者に言うには、どうかその言葉を忘れないでくれ、見ている前で福沢の一家が残らず裸になって出ていくから、七十万円で買ってもらいたい。財産は帳面のまま渡して、家も蔵も衣服も諸道具も鍋も釜もみなやるから、そっくり買い取って七十万円の金に換えたい。ただ漠然とした評価は迷惑だ、現金で売買したい。そうなれば生まれて初めての大儲けで、生涯さぞ安楽だろうと言って、大笑いしたことがあります。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・一身一家経済の由来・借用証書があらば百万円遣ろうソコで或時例の金融家のエライ人が私方に来て、何か金の話になって、千種万様、実に目に染みるような混雑な事を云うから、扨て/\如何もウルサイ事だ、この金を彼方に向けて、彼の金は此方に返えすと云う話であるが、人に貸す金があれば借りなくても宜さそうなものだ、商売人は人の金を借りて商売すると云うことは私も能く知て居るが、苟も人に金を貸すと云うことは余た金があるから貸すのだ、仮令い商売人でも貸す金があるなら成る丈けソレを自分に運転して、他人の金をば成る丈け借用しないようにするのが本意ではないか、然るに自分に資本を持て居ながら、態々人に借用とは入らざる事をしたものだ、余計な苦労を求めるようなものだと云うと、その人が大に笑て、迂闊千万、途方もない事を云う、商売人と云うものは入組んで/\滅茶々々になったと云うその間に、又種々様々の面白いことのあるもので、そんな馬鹿な事が出来るものか、啻に商売人に眼らず、凡そ人の金を借用せずに世の中を渡ると云うことが出来るものか、ソンな人が何処に在るかと云て私を冷却するから、私はその時始めてヒョイと思付た。今御話を聞けば、世の中に借金しない者が何処に在るかと云うが、その人は今こゝに居ます。私は是れまで只の一度も人の金を借りたことがない。「そんな馬鹿な事を云いなさるな。「イヤ如何してもない。生れて五十年(是れは十四、五年前の話)人の金を一銭でも借りたことはない。ソレが嘘ならば、試に私の印形の据て居るものとは云わない、反古でも何でも宜しい、ソレを捜して持て来て御覧。私が百万円で買おう。ドウしたってありはしない。日本国中に福澤の書た借用証文と云うものはソレこそ有る気遣いはないが如何だ、と云うような訳けで、その時に私も始めて思い出したが、私は生れてこの方遂ぞ金を借りたことがない。是れはマア私の眼から見れば尋常一様の事と思うけれども、世間の人が見たらば甚だ尋常一様でないのかも知れぬ。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・他人に私事を語らず私が経済上に堅固を守て臆病で大胆な事の出来ないのは、先天の性質であるか、抑も亦身の境遇に駈られて遂に堅く凝り固まったものでしょう。本年六十五歳になりますが、二十一歳のとき家を去て以来、自から一身の謀を為し、二十三歳、家兄を喪いしより後は、老母と姪と二人の身の上を引受け、二十八歳にして妻を娶り子を生み、一家の責任を自分一身に担うて、今年に至るまで四十五年のその間、二十三歳の冬大阪緒方先生に身の貧困を訴えて大恩に浴したるのみ、その他は仮初にも身事家事の私を他人に相談したこともなければ又依頼したこともない。人の智恵を借りようとも思わず、人の差図を受けようとも思わず、人間万事天運に在りと覚悟して、勉めることは飽くまでも根気能く勉めて、種々様々の方便を運らし、交際を広くして愛憎の念を絶ち、人に勧め又人の同意を求めるなどは十人並に遣りながら、ソレでも思う事の叶わぬときは、尚おそれ以上に進んで哀願はしない、唯元に立戻て独り静に思止るのみ。詰る所、他人の熱に依らぬと云うのが私の本願で、この一義は私が何時発起したやら、自分にも是れと云う覚えはないが、少年の時からソンな心掛け、イヤ心掛けと云うよりもソンな癖があったと思われます。
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福翁自伝・品行家風・莫逆の友なし経済の事は右の如くにして、私は私の流義を守て生涯このまゝ替えずに終ることであろうと思いますが、ソレから又自分の一身の行状は如何であったか、家を成した後に家の有様は如何かと云うことに付て、有りのまゝの次第を語りましょう。扨私の若い時は如何だと申すに、中津に居たとき子供の時分から成年に至るまで、何としても同藩の人と打解けて真実に交わることが出来ない、本当に朋友になって共々に心事を語る所謂莫逆の友と云うような人は一人もない、世間にないのみならず親類中にもない、と云て私が偏窟者で人と交際が出来ないと云うではない。ソリャ男子に接しても婦人に逢うても快く話をして、ドチラかと云えばお饒舌りの方であったが、本当を云うと表面ばかりで、実はこの人の真似をして見たい、彼の人のように成りたいとも思わず、人に誉められて嬉しくもなく、悪く云われて怖くもなく、都て無頓着で、悪く評すれば人を馬鹿にして居たようなもので、仮初にも争う気がないその証拠には、同年輩の子供と喧嘩をしたことがない、喧嘩をしなければ怪我もしない、友達と喧嘩をして泣て家に帰て阿母さんに言告けると云うようなことは唯の一度もない。口先き計り達者で内実は無難無事な子でした。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・頼母子の金弐朱を返す是れから私が一身一家の経済の事を陳べましょう。凡そ世の中に何が怖いと云ても、暗殺は別にして、借金ぐらい怖いものはない。他人に対して金銭の不義理は相済まぬ事と決定すれば、借金はます/\怖くなります。私共の兄弟姉妹は幼少の時から貧乏の味を嘗め尽して、母の苦労した様子を見ても生涯忘れられません。貧小士族の衣食住その艱難の中に、母の精神を以て自から私共を感化した事の数々あるその一例を申せば、私が十三、四歳のとき母に云付けられて金子返済の使をしたことがあります。その次第柄は斯う云うことです。天保七年、大阪に於て私共が亡父の不幸で母に従て故郷の中津に帰りましたとき、家の普請をするとか何とか云うに、勝手向は勿論不如意ですから、人の世話で頼母子講を拵えて一口金二朱ずつで何両とやら纏まった金が出来て一時の用を弁じて、その後、毎年幾度か講中が二朱ずつの金を持寄り、鬮引にて満座に至りて皆済になる仕組であるが、大家の人は二朱計りの金の為めに何年もこんな事に関係して居るのは面倒だと云う所から、一時二朱の掛金を出したまゝに手を引く者がある。之を掛棄と云います。その実は講主が人に金を唯貰うような事なれども、一般の風俗で左まで世間に怪しむ者もない。所が福澤の頼母子に大阪屋五郎兵衛と云う廻船屋が一口二朱を掛棄にしたそうです。勿論私の三、四歳頃か幼少の時の事で何も知りませんでしたが、十三、四歳のとき或日母が私に申すに、「お前は何も知らぬ事だが、十年前に斯う/\云う事があって大阪屋が掛棄にして、福澤の家は大阪屋に金二朱を貰うたようなものだ。誠に気に済まぬ。武家が町人から金を恵まれて夫れを唯貰うて黙て居ることは出来ません。疾うから返したい/\と思ては居たがドウも爾う行かずに、ヤッと今年は少し融通が付いたから、この二朱のお金を大阪屋に持て行て厚う礼を述べて返して来いと申して、その金を紙に包んで私に渡しました。ソレから私は大阪屋に参て金の包みを出すと、先方では意外に思うたか、「御返済など却て痛入ります。最早や古い事です。決してそんな御心配には及びませんと云て頻りに辞退すれども、私は母の云うことを聞て居るから、是非渡さねばならぬと、互に押し返して口喧嘩のように争うて、金を置て帰たことがあります。今はハヤ五十二、三年も過ぎてむかし/\の事であるが、そのとき母に云付けられた口上も、先方の大阪屋の事も、チャンと記憶に存して忘れません。年月日は覚えないが何でも朝のことゝ思う、豊前中津下小路の西南の角屋敷、大阪屋五郎兵衛の家に行て主人五郎兵衛は留守で、弟の源七に金を渡したと云うことまで覚えて居ます。こんなことが少年の時から私の脳中に遺て居るから、金銭の事に就ては何としても大胆な横着な挙動は出来られません。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・金を預けるも面倒なりソレで私は今でも多少の財産を持て居る、持て居たけれども私ところの会計と云うものは至極簡単で、少しも入込んだことはない。この金を誰に返えさなければならぬ、之を此方に振向けなければならぬと云うような事は絶えてない。ソレで僅かばかり二百円とか三百円とか云う金が、手元にあってもなくても構わない、ソレを銀行に預けて、必要のとき小切手で払いをすれば利息が徳になると云う、ソレは私も能く知て居て、世間一体そう云う風になりたいとは思えども、扨自分には小面倒臭い、ソンな事にドタバタするよりか、金は金で仕舞て置て、払うときにはその紙幣を計えて渡して遣ると、斯う云う趣向にして、私も家内もその通りな考えで、真実封建武士の机の抽斗の会計と云うことになって、その話になると丸で別世界のようで、文明流の金融法は私の家に這入りません。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・駕籠に乗らず下駄、傘を買うソコで私が金を大事にする心掛けの事実に現われた例を申せば、江戸に参てから下谷練塀小路の大槻俊斎先生の塾に朋友があって、私はその時鉄砲洲に居たが、その朋友の処へ話に行て、夜になって練塀小路を出掛けて、和泉橋の処に来ると雨が降出した。こりゃドウも困たことが出来た、迚も鉄砲洲までは行かれないと思うと、和泉橋の側に辻駕籠が居たから、その駕籠屋に鉄砲洲まで幾らで行くかと聞たら、三朱だと云う。ドウも三朱と云う金を出してこの駕籠に乗るは無益だ、此方は足がある。ソレは乗らぬことにして、その少し先きに下駄屋が見えるから、下駄屋へ寄て下駄一足に傘一本買て両方で二朱余り、三朱出ない。夫れから雪駄を懐に入れて、下駄を穿て傘をさして鉄砲洲まで帰て来た。デその途中私は独り首肯き、この下駄と傘が又役に立つ、駕籠に乗たって何も後に残るものはない、こんな処が慎むべきことだと思たことがあります、マアその位に注意して居たから、外は推して知るべし、一切無駄な金を使たことがない。紙入に金を入れて置く、ソレは二分か三分か入れてある、入れてあるけれども何時まで経てもその金のなくなったことがない。酒は固より好きだから朋友と酒を飲みに行くことはある、ソンな時には金も入りますが、唯独りでブラリと料理茶屋に這入て酒を飲むなぞと云うことは仮初にもしたことがない。ソレ程に私が金を大事にするから、又同時に人の金も決して貪らない。ソリャ以前奥平家に対して朝鮮人を気取たのは別な話にして、その外と云うのは決して金は貪らないと、自身独立、自力自活と覚悟を極めました。
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