福翁自伝 / 一身一家経済の由来・金を預けるも面倒なり
ソレで私は今でも多少の財産を持て居る、持て居たけれども私ところの会計と云うものは至極簡単で、少しも入込んだことはない。この金を誰に返えさなければならぬ、之を此方に振向けなければならぬと云うような事は絶えてない。ソレで僅かばかり二百円とか三百円とか云う金が、手元にあってもなくても構わない、ソレを銀行に預けて、必要のとき小切手で払いをすれば利息が徳になると云う、ソレは私も能く知て居て、世間一体そう云う風になりたいとは思えども、扨自分には小面倒臭い、ソンな事にドタバタするよりか、金は金で仕舞て置て、払うときにはその紙幣を計えて渡して遣ると、斯う云う趣向にして、私も家内もその通りな考えで、真実封建武士の机の抽斗の会計と云うことになって、その話になると丸で別世界のようで、文明流の金融法は私の家に這入りません。
書き下し
ソレで私は今でも多少の財産を持て居る、持て居たけれども私ところの会計と云うものは至極簡単で、少しも入込んだことはない。この金を誰に返えさなければならぬ、之を此方に振向けなければならぬと云うような事は絶えてない。ソレで僅かばかり二百円とか三百円とか云う金が、手元にあってもなくても構わない、ソレを銀行に預けて、必要のとき小切手で払いをすれば利息が徳になると云う、ソレは私も能く知て居て、世間一体そう云う風になりたいとは思えども、扨自分には小面倒臭い、ソンな事にドタバタするよりか、金は金で仕舞て置て、払うときにはその紙幣を計えて渡して遣ると、斯う云う趣向にして、私も家内もその通りな考えで、真実封建武士の机の抽斗の会計と云うことになって、その話になると丸で別世界のようで、文明流の金融法は私の家に這入りません。
現代語訳
それで私は今でも多少の財産を持っています。持ってはいますが、私の家の会計というものはごく簡単で、少しも込み入ったことはありません。この金を誰に返さなければならない、あれをこちらに振り向けなければならないというようなことはまったくありません。そのため、わずか二百円とか三百円とかいう金が手元にあってもなくても構わない。それを銀行に預けて、必要なときに小切手で払いをすれば利息が得になるということは、私もよく知っていて、世間一般がそういう風になってほしいとは思うけれども、さて自分にはこまごまして面倒くさい。そんなことにばたばたするよりも、金は金でしまっておいて、払うときにはその紙幣を数えて渡してやる、こういう趣向にして、私も家内も同じ考えで、本当に封建武士の机の引き出しの会計ということになっています。その話になるとまるで別世界のようで、文明流の金融法は私の家には入りません。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・一身一家経済の由来・金がなければ出来る時まで待つソレから段々成長して、中津に居る間は漢学修業の傍に内職のような事をして多少でも家の活計を助け、畑もすれば米も搗き飯も炊き、鄙事多能、あらん限りの辛苦して貧小士族の家に居り、年二十一のとき始めて長崎に行て、勿論学費のあろう訳けもない、寺の留守番をしたり砲術家の食客になったりして、不自由ながら蘭学を学んで、その後大阪に出て、大阪の緒方先生の塾に修業中も、相替らず金の事は恐ろしくて唯の一度でも他人に借りたことはない。人に借用すれば必ず返済せねばならぬ。当然のことで分り切て居るから、その返済する金が出来る位ならば、出来る時節まで待て居て借金はしないと、斯う覚悟を極めて、ソコで二朱や一分は扨置き、百文の銭でも人に借りたことはない。チャンと自分の金の出来るまで待て居る。夫れから又私は質に置たことがない。着物は塾に居るときも故郷の母が夏冬手織木綿の品を送て呉れましたが、ソレを質に置くと云えば何時か一度は請還さなければならぬ。請還す金があるならその金の出来るまで待て居るが宜いと斯う思うから、金の入用はあっても只の一度も質に入れたことがない。けれどもいよ/\金に迫て如何してもなくてならぬと云うときか、恥かしい事だが酒が飲みたくて堪らないと云うようなことがあれば、思切てその着物を売て仕舞います。例えばその時に浴衣一枚を質に入れゝば弐朱貸して呉れる、之を手離して売ると云えば弐朱と弐百文になるから売ることにすると云うような経済法にして、且つ又私は写本で銭を取ることもしない。大事な修業の身を以て銭の為めに時を費すは勿体ない、吾身の為めには一刻千金の時である、金がなければ唯使わぬと覚悟を定めて、大阪に居る間とう/\一銭の金も借用したことなくして、その後江戸に来ても同様、仮初にも人に借用したことはない。折節自分で想像しては唯怖くて堪らない、借金が出来て人から催促されたら如何だろう、世間の人、朋友の中にも毎度ある話だ、借金が出来て返さなければならぬと云て、此方から借りては彼方に返し、又彼方から借りては此方に返すと云う者があるが、私は少しも感服しない。誠に気の済まぬ話で、金を借りて返さなくてならぬなんて嘸忙しい事であろう、能くもアレで一日でも半日でも安んじて居られたものだと思うて、殆んど推量が出来ない。一口に云えば私は借金の事に就て大の臆病者で、少しも勇気がない。人に金を借用してその催促に逢うて返すことが出来ないと云うときの心配は、恰も白刃を以て後ろから追蒐けられるような心地がするだろうと思います。
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