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福翁自伝 / 一身一家経済の由来・子供の学資金を謝絶す(3)

幸にして金が出来れば教育して遣る、出来なければ無学文盲のまゝにして打遣て置くと、私の心に決断して、扨先方の人は誠に厚意を以て話して呉れたので、固より私の心事を知る訳けもないから、体能く礼を述べて断りましたが、その問答応接の間、私は眼前に子供を見てその行末を思い、又顧みて自分の身を思い、一進一退これを決断するには随分心を悩ましました。その話は相済み、その後も相替らず真面目に家を治めて著書飜訳の事を勉めて居ると、存外に利益が多くて、マダその二人の小供が外国行の年頃にならぬ先きに金の方が出来たから、小供を後廻しにして中上川彦次郎を英国に遣りました。彦次郎は私の為めに只た一人の甥で、彼方も亦只た一人の叔父さんで外に叔父はない、私も亦彦次郎の外に甥はないから、先ず親子のようなものです。彼れが三、四年も英国に居る間には随分金も費しましたが、ソレでも後の小供を修業に遣ると云う金はチャンと用意が出来て、二人とも亜米利加に六年ばかり遣て置きました。私は今思い出しても誠に宜い心持がします。能くあの時に金を貰わなかった、貰えば生涯気掛りだが、宜い事をしたと、今日までも折々思い出して、大事な玉に瑾を付けなかったような心持がします。

新字:幸にして金が出来れば教育して遣る、出来なければ無学文盲のまゝにして打遣て置くと、私の心に決断して、扨先方の人は誠に厚意を以て話して呉れたので、固より私の心事を知る訳けもないから、体能く礼を述べて断りましたが、その問答応接の間、私は眼前に子供を見てその行末を思い、又顧みて自分の身を思い、一進一退これを決断するには随分心を悩ましました。その話は相済み、その後も相替らず真面目に家を治めて著書翻訳の事を勉めて居ると、存外に利益が多くて、マダその二人の小供が外国行の年頃にならぬ先きに金の方が出来たから、小供を後廻しにして中上川彦次郎を英国に遣りました。彦次郎は私の為めに只た一人の甥で、彼方も亦只た一人の叔父さんで外に叔父はない、私も亦彦次郎の外に甥はないから、先ず親子のようなものです。彼れが三、四年も英国に居る間には随分金も費しましたが、ソレでも後の小供を修業に遣ると云う金はチャンと用意が出来て、二人とも亜米利加に六年ばかり遣て置きました。私は今思い出しても誠に宜い心持がします。能くあの時に金を貰わなかった、貰えば生涯気掛りだが、宜い事をしたと、今日までも折々思い出して、大事な玉に瑾を付けなかったような心持がします。

書き下し

幸にして金が出来れば教育して遣る、出来なければ無学文盲のまゝにして打遣て置くと、私の心に決断して、扨先方の人は誠に厚意を以て話して呉れたので、固より私の心事を知る訳けもないから、体能く礼を述べて断りましたが、その問答応接の間、私は眼前に子供を見てその行末を思い、又顧みて自分の身を思い、一進一退これを決断するには随分心を悩ましました。その話は相済み、その後も相替らず真面目に家を治めて著書飜訳の事を勉めて居ると、存外に利益が多くて、マダその二人の小供が外国行の年頃にならぬ先きに金の方が出来たから、小供を後廻しにして中上川彦次郎を英国に遣りました。彦次郎は私の為めに只た一人の甥で、彼方も亦只た一人の叔父さんで外に叔父はない、私も亦彦次郎の外に甥はないから、先ず親子のようなものです。彼れが三、四年も英国に居る間には随分金も費しましたが、ソレでも後の小供を修業に遣ると云う金はチャンと用意が出来て、二人とも亜米利加に六年ばかり遣て置きました。私は今思い出しても誠に宜い心持がします。能くあの時に金を貰わなかった、貰えば生涯気掛りだが、宜い事をしたと、今日までも折々思い出して、大事な玉に瑾を付けなかったような心持がします。

現代語訳

幸いに金ができれば教育してやる。できなければ無学文盲のままに打ち捨てておく、と私は心に決断しました。さて、先方の人はまことに厚意をもって話してくれたので、もとより私の心の内を知るわけもないですから、体裁よく礼を述べて断りましたが、その問答応接の間、私は目の前に子供を見てその行く末を思い、また顧みて自分の身を思い、一進一退これを決断するには、ずいぶん心を悩ましました。その話は済み、その後も相変わらず真面目に家を治めて著書翻訳の事に励んでいると、思いのほか利益が多くて、まだその二人の子供が外国行きの年ごろにならないうちに金のほうができたので、子供を後回しにして、中上川彦次郎をイギリスにやりました。彦次郎は私にとってただひとりの甥で、彼もまたただひとりの叔父で、ほかに叔父はなく、私もまた彦次郎のほかに甥はないので、まず親子のようなものです。彼が三、四年もイギリスにいる間には、ずいぶん金も費やしましたが、それでも後の子供を修業にやるという金はちゃんと用意ができて、二人ともアメリカに六年ばかりやっておきました。私は今思い出しても、まことによい心持ちがします。よくもあのとき金をもらわなかった、もらえば生涯気にかかるところだが、いいことをした、と今日までも折々思い出して、大事な玉に傷をつけなかったような心持ちがします。

解説

申し出を断ってからも、福沢は悩みました。それでも著訳書の収入が思いのほか増え、子供が年ごろになる前に金が用意できたと語ります。先に甥の中上川彦次郎をイギリスに遊学させ、のちに一太郎と捨次郎の二人をアメリカに六年ほどやりました。ここで福沢が強調するのは、結果の成功より、あの時もらわなかったことの後味のよさです。大事な玉に傷をつけなかったという感覚です。苦しい時に原則を守った経験は、後年になって揺るがない誇りになる、ということを教えてくれます。

この章句が説くこと

中上川彦次郎洋行アメリカ留学著訳書の収入決断後味

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