福翁自伝 / 一身一家経済の由来・事変の当日、約束の金を渡す(2)
仮令い今買えばと云ても、三百五十五両を半価にしろと云えば半価にするに違いない、只の百両でも悦んで売るだろう、兎に角に見合せだ、罷めだ/\と云て相手にならぬから、私は押返して、「イヤそれは出来ません。大橋さん、能くお聞きなさい。先達これを有馬から買おうと云うときに、何と貴方は約束なすったか、只十二月の廿五日即ち今日、金を渡そう、受取ろうと、ソレより外に何にも約束はなかった。若し万が一、世の中に変乱があれば破約する、その価を半分にすると云う言葉が、約束の中にあるかないかと云うに、そんな約束はないではないか。仮令い約条書がなかろうと、人と人と話したのが何寄の証拠だ、売買の約束をした以上は当然に金を払わぬこそ大きな間近いだ、何でも払わんければならぬ。加之ならず、マダ私が云うことがある。若し大橋さんの言う通りにこの三百五十五両を半価にせよとか百両にせよとか云えば、時節柄有馬家では承知するであろう。ソコで私が三百五十五両の物を百両に買たと斯うした所で、この変乱がどんなになるか分らない。今あの通り酒井の人数が三田の薩州屋敷を焼払て居るが、是れが何でもない事で天下奉平、安全の世の中になるまいものでもない。扨いよ/\天下泰平になって、私が彼の買屋敷の内に住い込んで居る。スルと有馬の家来も大勢あるから、私の処の門前を通る度に睨んで通るだろう、彼の屋敷は三百五十五両の約束をしたが、金の請取渡しのその日に三田に大変乱があったその為めに百両で売た、福澤は二百五十五両得をして、有馬家では二百五十五両損をしたと、通る度に睨んで通るに違いない。口に言わないでも心に爾う思て忌な顔をするに極て居る。私はソンな不愉快な屋敷に住もうと思わない。何は扨置き、構うことはない、ドウぞこの金を渡して下ださい。皆無損をしても宜しい。この金を唯渡した計りで、その屋敷に住まうどころではない、逃出して行くと云うような大騒動があるかも知れない。有ればあった時の話だ。人間世界の事は何が何やら分らない、確かに生きて居ると思う人が死んだりする。矧んや金だ、渡さなければならぬと捩くれ込んで、到頭持て行て貰いました。爾う云う訳けで誠に私が金と云うことに就て極めて律義に正しく遣て居たと云うのは、是れは矢張り昔の武家根性で、金銭の損得に心を動かすは卑劣だ、気が餒えると云うような事を思たものと見えます。
新字:仮令い今買えばと云ても、三百五十五両を半価にしろと云えば半価にするに違いない、只の百両でも悦んで売るだろう、兎に角に見合せだ、罷めだ/\と云て相手にならぬから、私は押返して、「イヤそれは出来ません。大橋さん、能くお聞きなさい。先達これを有馬から買おうと云うときに、何と貴方は約束なすったか、只十二月の廿五日即ち今日、金を渡そう、受取ろうと、ソレより外に何にも約束はなかった。若し万が一、世の中に変乱があれば破約する、その価を半分にすると云う言葉が、約束の中にあるかないかと云うに、そんな約束はないではないか。仮令い約条書がなかろうと、人と人と話したのが何寄の証拠だ、売買の約束をした以上は当然に金を払わぬこそ大きな間近いだ、何でも払わんければならぬ。加之ならず、マダ私が云うことがある。若し大橋さんの言う通りにこの三百五十五両を半価にせよとか百両にせよとか云えば、時節柄有馬家では承知するであろう。ソコで私が三百五十五両の物を百両に買たと斯うした所で、この変乱がどんなになるか分らない。今あの通り酒井の人数が三田の薩州屋敷を焼払て居るが、是れが何でもない事で天下奉平、安全の世の中になるまいものでもない。扨いよ/\天下泰平になって、私が彼の買屋敷の内に住い込んで居る。スルと有馬の家来も大勢あるから、私の処の門前を通る度に睨んで通るだろう、彼の屋敷は三百五十五両の約束をしたが、金の請取渡しのその日に三田に大変乱があったその為めに百両で売た、福沢は二百五十五両得をして、有馬家では二百五十五両損をしたと、通る度に睨んで通るに違いない。口に言わないでも心に爾う思て忌な顔をするに極て居る。私はソンな不愉快な屋敷に住もうと思わない。何は扨置き、構うことはない、ドウぞこの金を渡して下ださい。皆無損をしても宜しい。この金を唯渡した計りで、その屋敷に住まうどころではない、逃出して行くと云うような大騒動があるかも知れない。有ればあった時の話だ。人間世界の事は何が何やら分らない、確かに生きて居ると思う人が死んだりする。矧んや金だ、渡さなければならぬと捩くれ込んで、到頭持て行て貰いました。爾う云う訳けで誠に私が金と云うことに就て極めて律義に正しく遣て居たと云うのは、是れは矢張り昔の武家根性で、金銭の損得に心を動かすは卑劣だ、気が餒えると云うような事を思たものと見えます。
書き下し
仮令い今買えばと云ても、三百五十五両を半価にしろと云えば半価にするに違いない、只の百両でも悦んで売るだろう、兎に角に見合せだ、罷めだ/\と云て相手にならぬから、私は押返して、「イヤそれは出来ません。大橋さん、能くお聞きなさい。先達これを有馬から買おうと云うときに、何と貴方は約束なすったか、只十二月の廿五日即ち今日、金を渡そう、受取ろうと、ソレより外に何にも約束はなかった。若し万が一、世の中に変乱があれば破約する、その価を半分にすると云う言葉が、約束の中にあるかないかと云うに、そんな約束はないではないか。仮令い約条書がなかろうと、人と人と話したのが何寄の証拠だ、売買の約束をした以上は当然に金を払わぬこそ大きな間近いだ、何でも払わんければならぬ。加之ならず、マダ私が云うことがある。若し大橋さんの言う通りにこの三百五十五両を半価にせよとか百両にせよとか云えば、時節柄有馬家では承知するであろう。ソコで私が三百五十五両の物を百両に買たと斯うした所で、この変乱がどんなになるか分らない。今あの通り酒井の人数が三田の薩州屋敷を焼払て居るが、是れが何でもない事で天下奉平、安全の世の中になるまいものでもない。扨いよ/\天下泰平になって、私が彼の買屋敷の内に住い込んで居る。スルと有馬の家来も大勢あるから、私の処の門前を通る度に睨んで通るだろう、彼の屋敷は三百五十五両の約束をしたが、金の請取渡しのその日に三田に大変乱があったその為めに百両で売た、福澤は二百五十五両得をして、有馬家では二百五十五両損をしたと、通る度に睨んで通るに違いない。口に言わないでも心に爾う思て忌な顔をするに極て居る。私はソンな不愉快な屋敷に住もうと思わない。何は扨置き、構うことはない、ドウぞこの金を渡して下ださい。皆無損をしても宜しい。この金を唯渡した計りで、その屋敷に住まうどころではない、逃出して行くと云うような大騒動があるかも知れない。有ればあった時の話だ。人間世界の事は何が何やら分らない、確かに生きて居ると思う人が死んだりする。矧んや金だ、渡さなければならぬと捩くれ込んで、到頭持て行て貰いました。爾う云う訳けで誠に私が金と云うことに就て極めて律義に正しく遣て居たと云うのは、是れは矢張り昔の武家根性で、金銭の損得に心を動かすは卑劣だ、気が餒えると云うような事を思たものと見えます。
現代語訳
「たとえ今買えば、三百五十五両を半値にしろと言えば半値にするに違いない。ただの百両でも喜んで売るだろう。とにかく見合わせだ、やめだやめだ」と言って相手にならないので、私は押し返しました。「いや、それはできません。大橋さん、よくお聞きなさい。先ごろ、これを有馬から買おうというときに、貴方は何と約束なさったか。ただ十二月の二十五日、すなわち今日、金を渡そう、受け取ろうと、それより外には何の約束もなかった。もし万が一、世の中に変乱があれば破約する、その値を半分にするという言葉が約束のなかにあるかないかというと、そんな約束はないではないか。たとえ約条書がなくても、人と人とが話したのが何よりの証拠だ。売買の約束をした以上は、当然に金を払わないほうが大きな間違いだ。何でも払わなければならない。そればかりでなく、まだ私が言うことがある。もし大橋さんの言うとおり、この三百五十五両を半値にせよとか百両にせよと言えば、時節柄、有馬家は承知するでしょう。そこで私が三百五十五両の物を百両で買ったとしても、この変乱がどうなるか分かりません。今あのとおり酒井の人数が三田の薩州屋敷を焼き払っていますが、これが何でもないことで天下泰平、安全の世の中にならないとも限らない。さてよいよ天下泰平になって、私があの買い屋敷のなかに住み込んでいる。すると有馬の家来も大勢いるから、私の家の門前を通るたびに睨んで通るでしょう。あの屋敷は三百五十五両の約束をしたが、金の受け渡しのその日に三田に大変乱があったためで百両で売った、福沢は二百五十五両得をして、有馬家は二百五十五両損をした、と、通るたびに睨んで通るに違いない。口に言わなくても、心にそう思って嫌な顔をするに決まっています。私はそんな不愉快な屋敷に住もうとは思いません。何はさておき、構うことはない、どうぞこの金を渡してください。全部損をしてもいい。この金をただ渡しただけで、その屋敷に住むどころか、逃げ出して行くというような大騒動があるかもしれない。あればあったときの話だ。人間世界のことは何が何やら分からない。確かに生きていると思う人が死んだりする。まして金だ。渡さなければならぬ」と、ねじ込んで、とうとう持って行って渡してもらいました。そういうわけで、私が金というものについて極めて律義に正しくやっていたのは、これはやはり昔の武家根性で、金銭の損得に心を動かすのは卑劣だ、気が餒えるというようなことを思ったものとみえます。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・一身一家経済の由来・事変の当日、約束の金を渡す(1)ソコで以て慶応三年、即ち王政維新の前年の冬、芝新銭座に有馬家(大名)の中屋敷が四百坪ばかりあるその屋敷を私が買いました。徳川の昔からの法律に依ると、武家屋敷は換え屋敷を許しても売買は許さないと云うのが掟であった。所が徳川もその末年になると様々な根本的改革と云うような事が行われて、武家屋敷でも代金を以て売買勝手次第と云うことになって、新銭座の有馬の中屋敷が売物になると人の話を聞て、同じ新銭座住居の木村摂津守の用人大橋栄次と云う人に周旋を頼んで、その有馬屋敷を買うことに約束して、価は三百五十五両、その時の事だから買うと云た所が、武家と武家との間で手金だの証書取換せなどゝ云うことのあろう訳けはない、唯売りましょう然らば則ち買いましょうと云う丈けの話で約束が出来て、その金の受取渡しは何時だと云うと、十二月二十五日に金を相渡し申す、請取ろうと、チャンと約束が出来て居て、夫れから私はその前日、三百五十五両の金を揃えて風呂敷に包んで、翌早朝新銭座の木村の屋敷に行て見ると、門が締て潜戸まで鎖してある。夫れから門番に、此処を明けて呉れ、何で締めて置くかと云うと、「イーエ此処は明けられません。「明けられませんたって福澤だと云うのは、私は亜米利加行の由縁で、木村家には常に出入して家の者のようにして居たから、門番も福澤と聞て潜戸を明けて呉れたは呉れたが、何だか門前が騒々しい、ドタバタ遣て居る。何事か知らんと思て南の方を見ると、真黒な煙が立て居る。ソレで木村の玄関に上て大橋に遇て、大変騒々しいが何だと云うと、大橋がヒソ/\して、「お前さんは何も知らぬか、大変な事が出来ました、大騒動だ、酒井の人数が三田の薩州の屋敷を焼払おうと云う、ドウもそりゃ大騒動、戦争で御座ると云うから、私も驚いて、ソリャ少しも知らなかった、成程ドウも容易ならぬ形勢だが、夫れは夫れとして、時にあの屋敷の金を持て来たから渡してお呉んなさいと云うと、大橋が、途方もない、屋敷どころの話じゃない、何の事だ、モウこりゃ江戸中の屋敷が一銭の価なしだ、ソレを屋敷を買うなんてソンな馬鹿らしい事は一切罷めだ、マアそんな事を為なさるなと云て取合ぬから、私は不承知だ。ソリャ爾うでない、今日渡と云う約束だからこの金は渡さなくてはならぬと云うと、大橋は脇の方に向て、「約束したからと云て時勢に依たものだ、この大変な騒動中に屋敷を買うと云うような馬鹿気たことがあるものか。
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