福翁自伝 / 暗殺の心配・一夜の危険(2)
福澤の運命はいよ/\切迫した、老人子供の寝て居る処に血気の壮士が暴れ込んでは迚も助かる道はない、所が爰に不思議とや云わん、天の恵とや云わん、壮士連の中に争論を生じたと云うのは、如何にも今夜は好機会で、行きさえすれば必ず上首尾と極て居るから、功名手柄を争うは武士の習いで、仲間中の両三人が、「乃公が魁すると云えば、又一方の者は、「爾う甘くは行かん、乃公の腕前で遣て見せると言出して、負けず劣らず、とう/\仲間喧嘩が始まって、深更に及ぶまで如何しても決しない、余り喧嘩が騒々しく、大きな声が近処まで聞えると、その隣家に中西与太夫と云う人の住居がある、この人は私などより余程年を取て居る、その人が何の事か知らんと行て見た所が、斯う/\云う訳けだと云う。中西は流石に老成の士族だけあって、「人を殺すと云うのは宜くない事だ、思止まるが宜いと云うと、壮士等は中々聞入れず、「イヤ思止まらぬと威張る、ヤレ止まれ、イヤ止まらぬと、今度は老人を相手に大議論を始めて、彼れ此れと悶着して居る間に夜が明けて仕舞い、私は何にも知らずにその朝船に乗て海上無事神戸に着きました。
新字:福沢の運命はいよ/\切迫した、老人子供の寝て居る処に血気の壮士が暴れ込んでは迚も助かる道はない、所が爰に不思議とや云わん、天の恵とや云わん、壮士連の中に争論を生じたと云うのは、如何にも今夜は好機会で、行きさえすれば必ず上首尾と極て居るから、功名手柄を争うは武士の習いで、仲間中の両三人が、「乃公が魁すると云えば、又一方の者は、「爾う甘くは行かん、乃公の腕前で遣て見せると言出して、負けず劣らず、とう/\仲間喧嘩が始まって、深更に及ぶまで如何しても決しない、余り喧嘩が騒々しく、大きな声が近処まで聞えると、その隣家に中西与太夫と云う人の住居がある、この人は私などより余程年を取て居る、その人が何の事か知らんと行て見た所が、斯う/\云う訳けだと云う。中西は流石に老成の士族だけあって、「人を殺すと云うのは宜くない事だ、思止まるが宜いと云うと、壮士等は中々聞入れず、「イヤ思止まらぬと威張る、ヤレ止まれ、イヤ止まらぬと、今度は老人を相手に大議論を始めて、彼れ此れと悶着して居る間に夜が明けて仕舞い、私は何にも知らずにその朝船に乗て海上無事神戸に着きました。
書き下し
福澤の運命はいよ/\切迫した、老人子供の寝て居る処に血気の壮士が暴れ込んでは迚も助かる道はない、所が爰に不思議とや云わん、天の恵とや云わん、壮士連の中に争論を生じたと云うのは、如何にも今夜は好機会で、行きさえすれば必ず上首尾と極て居るから、功名手柄を争うは武士の習いで、仲間中の両三人が、「乃公が魁すると云えば、又一方の者は、「爾う甘くは行かん、乃公の腕前で遣て見せると言出して、負けず劣らず、とう/\仲間喧嘩が始まって、深更に及ぶまで如何しても決しない、余り喧嘩が騒々しく、大きな声が近処まで聞えると、その隣家に中西与太夫と云う人の住居がある、この人は私などより余程年を取て居る、その人が何の事か知らんと行て見た所が、斯う/\云う訳けだと云う。中西は流石に老成の士族だけあって、「人を殺すと云うのは宜くない事だ、思止まるが宜いと云うと、壮士等は中々聞入れず、「イヤ思止まらぬと威張る、ヤレ止まれ、イヤ止まらぬと、今度は老人を相手に大議論を始めて、彼れ此れと悶着して居る間に夜が明けて仕舞い、私は何にも知らずにその朝船に乗て海上無事神戸に着きました。
現代語訳
福沢の運命はいよいよ切迫しました。老人や子供の寝ているところに血気の壮士が暴れ込めば、とても助かる道はありません。ところがここに不思議とでも言いましょうか、天の恵みとでも言いましょうか、壮士連の中に争論が生じたというのは、いかにも今夜は好機会で、行きさえすれば必ず上首尾と決まっているので、功名手柄を争うのは武士の習いで、仲間のうちの両三人が「俺が先駆けする」と言えば、また一方の者は「そう甘くはいかん、俺の腕前でやって見せる」と言い出して、負けず劣らず、とうとう仲間喧嘩が始まり、深夜に及んでもどうしても決まりません。あまり喧嘩が騒がしく、大きな声が近所まで聞こえると、その隣家に中西与太夫という人の住居があります。この人は私などよりよほど年を取っていて、その人が何事かと行ってみたところ、こういうわけだと言います。中西はさすがに老成した士族だけあって、「人を殺すというのはよくないことだ、思いとどまるがよい」と言うと、壮士らはなかなか聞き入れず、「いや思いとどまらぬ」と威張る。やれ止まれ、いや止まらぬと、今度は老人を相手に大議論を始めて、あれこれと悶着しているうちに夜が明けてしまい、私は何も知らずにその朝、船に乗り、海上無事に神戸に着きました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
福翁自伝・暗殺の心配・一夜の危険(1)ソレから家の始末も大抵出来て、いよ/\中津の廻米船に乗て神戸まで行き、神戸から東京までの間は外国の郵船に乗る積りで、サア乗船と云う所が、中津の海は浅くて都合が悪い。中津の西一里ばかりの処に鵜ノ島と云う港があって、其処に船が掛って居ると云うから、私はそのとき大病後ではあるし、老人、子供の連れであるから、前日から鵜ノ島に行て一泊して翌朝ゆるりと乗船する趣向にして、その晩鵜ノ島の船宿のような家に泊りましたが、知らぬが仏とは申しながら、後に聞けばこの夜が私の万死一生、恐ろしい時であったと云うは、その船宿の若い主人が例の有志者の仲間であるとは恐ろしい、私の一行は老母と姪とその外に近親今泉の後室と小児(小児は秀太郎六歳)役に立ちそうな男は私一人、是れも病後のヒョロ/\と云うその人数を留めて置いて、宿の奴が中津の同志者に使を走らして、「今夜は上都合云々と内通したから堪らない。ソコデ以て中津の有志者即ち暗殺者は、金谷と云う処に集会を催して、今夜いよ/\鵜ノ島に押掛けて福澤を殺すことに議決した、その理由は、福澤が近来奥平の若殿様を誘引して亜米利加に遣ろうなんと云う大反れた計画をして居るのは怪しからぬ、不臣な奴だと云う罪状であるから、満座同音、国賊の誅罰に異論はない。
-
福翁自伝・暗殺の心配・増田宗太郎に窺わる以上は維新前の事で、直に私の身に害を及ぼしたでもなし、唯無暗に私が怖く思たばかり、所謂世間の風声鶴唳に臆病心を起したのかも知れないが、維新後になっても忌な風聞は絶えず行われて、何分にも不安心のみか、歳月を経て後に聞けば、実際恐るべき事も毎度のことでした。頃は明治三年、私が豊前中津へ老母の迎いに参て、母と姪と両人を守護して東京に帰たことがあります。その時は中津滞留も左まで怖いとも思わず、先ず安心して居ましたが、数年の後に至て実際の話を聞けば、恐ろしいとも何とも、実に命拾いをしたような事です。私の再従弟に増田宗太部と云う男があります。この男は後に九州西南の役に賊軍に投じて城山で死に就た一種の人物で、世間にも名を知られて居ますが、私が中津に行たときはマダ年も若く、私より十三、四歳も下ですから、私は之を子供のように思い、且つ住居の家も近処で朝夕往来して交際は前年の通り、宗さん/\と云て親しくして居ましたが、元来この宗太郎の母は神官の家の妹で、その神官の倅即ち宗太郎の従兄に水戸学風の学者があって、宗太郎はその従兄を先生にして勉強したから中々エライ、その上に増田の家は年来堅固なる家風で、封建の武家としては一点も愧る所はない。宗太郎の実父は私の母の従兄ですから、私もその風采を知て居ますが、ソレハソレハ立派な侍と申して宜しい。この父母に養育せられた宗太郎が水戸学国学を勉強したとあれば、所謂尊攘家に違いはあるまい。ソコで私は今度中津に帰ても宗太郎をば乳臭の小児と思い、相替らず宗さん/\で待遇して居た処が、何ぞ料らん、この宗さんが胸に一物、恐ろしい事をたくらんで居て、そのニコ/\優しい顔をして私方に出入したのは全く探偵の為めであったと云う。扨探偵も届いたか、いよ/\今夜は福澤を片付けると云うので、忍び/\に動静を窺いに来た、田舎の事で外廻りの囲いもなければ戸締りもない、所が丁度その夜は私の処に客があって、その客は服部五郎兵衛と云う私の先進先生、至極磊落な人で、主客相対して酒を飲みながら談論は尽きぬ。その間宗太郎は外に立て居たが、十二時になっても寝そうにもしない、一時になっても寝そうにもしない、何時までも二人差向いで飲んで話をして居るので、余儀なくお罷めになったと云う。是れは私が大酒夜更しの功名ではない僥倖である。
-
福翁自伝・暗殺の心配・疑心暗鬼互に走る(2)「コリャ困た、今から引返すと却て引身になって追駈けられて後から遣られる、寧そ大胆に此方から進むに若かず、進むからには臆病な風を見せると付上るから、衝当るように遣ろうと決心して、今まで私は往来の左の方を通て居たのを、斯う斜に道の真中へ出掛けると、彼方の奴も斜に出て来た。コリャ大変だと思たが、最う寸歩も後に引かれぬ。いよ/\となれば兼て少し居合の心得もあるから、如何して呉れようか、これは一ツ下から刎ねて遣りましょうと云う考で、一生懸命、イザと云えば真実に遣る所存で行くと、先方もノソ/\遣って来る。私は実に人を斬と云うことは大嫌い、見るのも嫌いだ、けれども逃げれば斬られる、仕方がない、愈よ先方が抜掛れば背に腹は換えられぬ、此方も抜て先を取らねばならん、その頃は裁判もなければ警察もない、人を斬たからと云て咎められもせぬ、只その場を逃げさえすれば宜しいと覚悟して、段々行くと一歩々々近くなって、到頭すれ違いになった、所が先方の奴も抜かん、此方は勿論抜かん、所で擦違たから、それを拍子に私はドン/\逃げた。どの位足が早かったか覚えはない、五、六間先へ行て振返て見ると、その男もドン/\逃げて行く。如何も何とも云われぬ、実に怖かったが、双方逃げた跡で、先ずホッと呼吸をついて安心して可笑しかった。双方共に臆病者と臆病者との出逢い、拵えた芝居のようで、先方の奴の心中も推察が出来る。コンな可笑しい芝居はない。初めから此方は斬る気はない、唯逃げては不味い、屹と殺られると思たから進んだ所が、先方も中々心得て居る、内心怖わ/\表面颯々と出て来て、丁度抜きさえすれば切先の届く位すれ/\になった処で、身を飜して逃出したのは誠にエライ。こんな処で殺されるのは真実の犬死だから、此方も怖かったが、彼方もさぞ/\怖かったろうと思う。今その人は何処に居るやら、三十何年前若い男だから、まだ生きて居られる年だが、生きて居るなら逢うて見たい。その時の怖さ加減を互に話したら面白い事でしょう。
-
福翁自伝・暗殺の心配・警戒却て無益なり前の鵜ノ島の話に引替えて、誠に馬鹿々々しい事もあります。明治五年かと思う。私が中津の学校を視察に行き、その時旧藩主に勧めて一家挙って東京に引越し、私が供をして参ると云うことになった。処で藩主が藩地を去るは固より士族の悦ぶことでない。私も能くその情実は知て居るけれども、昔の大名風で藩地に居れば奥平家の維持が出来ない、思切て断行せよと云うので、疾雷耳を掩うに暇あらず、僅か六、七日間の支度で、御隠居様も御姫様も中津の浜から船に乗て馬関に行き、馬関で蒸気船に乗替えて神戸と、都ての用意調い、いよ/\中津の船に乗て夕刻沖の方に出掛けた処が生憎風がない、夜中水尾木の処にボチャ/\して少しも前に進まない。ソコで私は考えた。「コリャ大変だ、爰にグヅ/\して居ると例の若武者が屹と遣て来るに違いない、来ればその目指す敵は自分一人だ、幸い夜の明けぬ中に船を上て陸行するに若くはなしと決断して、極暑の時であったが、払暁マダ暗い中に中津の城下に引返して、その足で小倉まで駈けて行きました。所が大きに御苦労、後に聞けばこの時には藩士も至極穏かで何の議論もなかったと云う。此方が邪推を運らして用心する時は何でもなく、ポカンとして居る時は一番危い、実に困たものです。
-
福翁自伝・暗殺の心配・疑心暗鬼互に走る(1)時は違うが維新前、文久三、四年の頃、江戸深川六軒掘に藤沢志摩守と云う旗本がある。是れは時の陸軍の将官を勤め、極の西洋家で、或日その人の家に集会を催し、客は小出播磨守、成島柳北を始め、その外皆むかしの大家と唱うる蘭学医者、私とも合して七、八名でした。その時の一体の事情を申せば、前に申した通り、私は十二、三年間、夜分外出しないと云う時分で、最も自から警めて、内々刀にも心を用い、能く研がせて斬れるようにして居ます。敢て之を頼みにするではなけれども、集会の話が面白く、ツイ/\怖い事を忘れて思わず夜を更かして、十二時にもなった所で、座中みな気が付て、サア帰りが怖い。疵持つ身と云う訳けではないが、いずれも洋学臭い連中だから皆な怖がって、「大分晩うなったが如何だろうと云うと、主人が気を利かして屋根舟を用意し、七、八人の客を乗せて、六軒堀の川岸から市中の川、即ち堀割を通り、行く/\成島は柳橋から上り、それから近いもの/\と段々に上げて、仕舞に戸塚と云う老医と私と二人になり、新橋の川岸に着て、戸塚は麻布に帰り私は新銭座に帰らねばならぬ。新橋から新銭座まで凡そ十丁もある。時刻はハヤ一時過ぎ、然かもその夜は寒い晩で、冬の月が誠に能く照して何となく物凄い。新橋の川岸へ上って大通りを通り、自から新銭座の方へ行くのだから、此方側即ち大通り東側の方を通て四辺を見れば人は唯の一人も居ない。その頃は浪人者が徘徊して、其処にも此処にも毎夜のように辻斬とて容易に人を斬ることがあって、物騒とも何とも云うに云われぬ、夫れから袴の股立を取て進退に都合の好いように趣向して、颯々と歩いて行くと丁度源助町の央あたりと思う、向から一人やって来るその男は大層大きく見えた。実は如何だか知らぬが、大男に見えた。「ソリや来た、どうもこれは逃げた所がおっ付ない。今ならば巡査が居るとか人の家に駈込むとか云うこともあるが、如何して/\騒々しい時だから不意に人の家に入られるものでない、却て戸を閉て仕舞て、出て加勢しようなんと云うものゝないのは分り切てる。
-
福翁自伝・暗殺の心配・長州室津の心配是れも私が姓名を隠して豊前中津から江戸に帰て来た時の事です。元治元年、私が中津に行て、小幡篤次郎兄弟を始め同藩子弟七、八名に洋学修業を勧めて共に出府するときに、中津から先ず船に乗て出帆すると、二、三日天気が悪くて、風次第で何処の港に入るか知れない、スルと南無三宝、攘夷最中の長州室津と云う港に船が着た。そのとき私は同行少年の名を借りて三輪光五郎(今日は府下目黒のビール会社に居る)と名乗て居たが、一寸上陸して髪結床に行た所が、床の親仁が喋々述べて居る、「幕府を打潰す――毛唐人を追巻くると云い、女子供の唄の文句は忘れたが、「やがて長門は江戸になるとか何とか云うことを面白そうに唄うて居る、そのあたりを見れば兵隊が色々な服装をして鉄砲を担いで威張て居るから、若しも福澤と云う正体が現われては、たった一発と、安い気はしないが、爰が大事と思い態と平気な顔をして、唯順風を祈て船の出られるのを待て居るその間の怖さと云うものは、何の事はない、躄者が病犬に囲まれたようなものでした。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る