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福翁自伝 / 暗殺の心配・増田宗太郎に窺わる

以上は維新前の事で、直に私の身に害を及ぼしたでもなし、唯無暗に私が怖く思たばかり、所謂世間の風声鶴唳に臆病心を起したのかも知れないが、維新後になっても忌な風聞は絶えず行われて、何分にも不安心のみか、歳月を経て後に聞けば、実際恐るべき事も毎度のことでした。頃は明治三年、私が豊前中津へ老母の迎いに参て、母と姪と両人を守護して東京に帰たことがあります。その時は中津滞留も左まで怖いとも思わず、先ず安心して居ましたが、数年の後に至て実際の話を聞けば、恐ろしいとも何とも、実に命拾いをしたような事です。私の再従弟に増田宗太部と云う男があります。この男は後に九州西南の役に賊軍に投じて城山で死に就た一種の人物で、世間にも名を知られて居ますが、私が中津に行たときはマダ年も若く、私より十三、四歳も下ですから、私は之を子供のように思い、且つ住居の家も近処で朝夕往来して交際は前年の通り、宗さん/\と云て親しくして居ましたが、元来この宗太郎の母は神官の家の妹で、その神官の倅即ち宗太郎の従兄に水戸学風の学者があって、宗太郎はその従兄を先生にして勉強したから中々エライ、その上に増田の家は年来堅固なる家風で、封建の武家としては一点も愧る所はない。宗太郎の実父は私の母の従兄ですから、私もその風采を知て居ますが、ソレハソレハ立派な侍と申して宜しい。この父母に養育せられた宗太郎が水戸学国学を勉強したとあれば、所謂尊攘家に違いはあるまい。ソコで私は今度中津に帰ても宗太郎をば乳臭の小児と思い、相替らず宗さん/\で待遇して居た処が、何ぞ料らん、この宗さんが胸に一物、恐ろしい事をたくらんで居て、そのニコ/\優しい顔をして私方に出入したのは全く探偵の為めであったと云う。扨探偵も届いたか、いよ/\今夜は福澤を片付けると云うので、忍び/\に動静を窺いに来た、田舎の事で外廻りの囲いもなければ戸締りもない、所が丁度その夜は私の処に客があって、その客は服部五郎兵衛と云う私の先進先生、至極磊落な人で、主客相対して酒を飲みながら談論は尽きぬ。その間宗太郎は外に立て居たが、十二時になっても寝そうにもしない、一時になっても寝そうにもしない、何時までも二人差向いで飲んで話をして居るので、余儀なくお罷めになったと云う。是れは私が大酒夜更しの功名ではない僥倖である。

新字:以上は維新前の事で、直に私の身に害を及ぼしたでもなし、唯無暗に私が怖く思たばかり、所謂世間の風声鶴唳に臆病心を起したのかも知れないが、維新後になっても忌な風聞は絶えず行われて、何分にも不安心のみか、歳月を経て後に聞けば、実際恐るべき事も毎度のことでした。頃は明治三年、私が豊前中津へ老母の迎いに参て、母と姪と両人を守護して東京に帰たことがあります。その時は中津滞留も左まで怖いとも思わず、先ず安心して居ましたが、数年の後に至て実際の話を聞けば、恐ろしいとも何とも、実に命拾いをしたような事です。私の再従弟に増田宗太部と云う男があります。この男は後に九州西南の役に賊軍に投じて城山で死に就た一種の人物で、世間にも名を知られて居ますが、私が中津に行たときはマダ年も若く、私より十三、四歳も下ですから、私は之を子供のように思い、且つ住居の家も近処で朝夕往来して交際は前年の通り、宗さん/\と云て親しくして居ましたが、元来この宗太郎の母は神官の家の妹で、その神官の倅即ち宗太郎の従兄に水戸学風の学者があって、宗太郎はその従兄を先生にして勉強したから中々エライ、その上に増田の家は年来堅固なる家風で、封建の武家としては一点も愧る所はない。宗太郎の実父は私の母の従兄ですから、私もその風采を知て居ますが、ソレハソレハ立派な侍と申して宜しい。この父母に養育せられた宗太郎が水戸学国学を勉強したとあれば、所謂尊攘家に違いはあるまい。ソコで私は今度中津に帰ても宗太郎をば乳臭の小児と思い、相替らず宗さん/\で待遇して居た処が、何ぞ料らん、この宗さんが胸に一物、恐ろしい事をたくらんで居て、そのニコ/\優しい顔をして私方に出入したのは全く探偵の為めであったと云う。扨探偵も届いたか、いよ/\今夜は福沢を片付けると云うので、忍び/\に動静を窺いに来た、田舎の事で外廻りの囲いもなければ戸締りもない、所が丁度その夜は私の処に客があって、その客は服部五郎兵衛と云う私の先進先生、至極磊落な人で、主客相対して酒を飲みながら談論は尽きぬ。その間宗太郎は外に立て居たが、十二時になっても寝そうにもしない、一時になっても寝そうにもしない、何時までも二人差向いで飲んで話をして居るので、余儀なくお罷めになったと云う。是れは私が大酒夜更しの功名ではない僥倖である。

書き下し

以上は維新前の事で、直に私の身に害を及ぼしたでもなし、唯無暗に私が怖く思たばかり、所謂世間の風声鶴唳に臆病心を起したのかも知れないが、維新後になっても忌な風聞は絶えず行われて、何分にも不安心のみか、歳月を経て後に聞けば、実際恐るべき事も毎度のことでした。頃は明治三年、私が豊前中津へ老母の迎いに参て、母と姪と両人を守護して東京に帰たことがあります。その時は中津滞留も左まで怖いとも思わず、先ず安心して居ましたが、数年の後に至て実際の話を聞けば、恐ろしいとも何とも、実に命拾いをしたような事です。私の再従弟に増田宗太部と云う男があります。この男は後に九州西南の役に賊軍に投じて城山で死に就た一種の人物で、世間にも名を知られて居ますが、私が中津に行たときはマダ年も若く、私より十三、四歳も下ですから、私は之を子供のように思い、且つ住居の家も近処で朝夕往来して交際は前年の通り、宗さん/\と云て親しくして居ましたが、元来この宗太郎の母は神官の家の妹で、その神官の倅即ち宗太郎の従兄に水戸学風の学者があって、宗太郎はその従兄を先生にして勉強したから中々エライ、その上に増田の家は年来堅固なる家風で、封建の武家としては一点も愧る所はない。宗太郎の実父は私の母の従兄ですから、私もその風采を知て居ますが、ソレハソレハ立派な侍と申して宜しい。この父母に養育せられた宗太郎が水戸学国学を勉強したとあれば、所謂尊攘家に違いはあるまい。ソコで私は今度中津に帰ても宗太郎をば乳臭の小児と思い、相替らず宗さん/\で待遇して居た処が、何ぞ料らん、この宗さんが胸に一物、恐ろしい事をたくらんで居て、そのニコ/\優しい顔をして私方に出入したのは全く探偵の為めであったと云う。扨探偵も届いたか、いよ/\今夜は福澤を片付けると云うので、忍び/\に動静を窺いに来た、田舎の事で外廻りの囲いもなければ戸締りもない、所が丁度その夜は私の処に客があって、その客は服部五郎兵衛と云う私の先進先生、至極磊落な人で、主客相対して酒を飲みながら談論は尽きぬ。その間宗太郎は外に立て居たが、十二時になっても寝そうにもしない、一時になっても寝そうにもしない、何時までも二人差向いで飲んで話をして居るので、余儀なくお罷めになったと云う。是れは私が大酒夜更しの功名ではない僥倖である。

現代語訳

以上は維新前のことで、直接私の身に害を及ぼしたこともなく、ただむやみに私が怖がっただけの、いわゆる風声鶴唳に臆病心を起こしたのかもしれません。しかし維新後になっても嫌な風聞は絶えず、何分にも不安なだけでなく、年月を経た後に聞けば、実際に恐ろしいことも毎度のことでした。 頃は明治三年、私が豊前中津へ老母を迎えに行き、母と姪の二人を守って東京に帰ったことがあります。そのときは、中津に滞在してもそれほど怖いとも思わず、まず安心していましたが、数年後に実際の話を聞けば、恐ろしいとも何とも、実に命拾いをしたようなことでした。 私の再従弟に増田宗太郎という男がいます。この男は後に九州の西南の役で賊軍に身を投じ、城山で死んだ一種の人物で、世間にも名を知られていますが、私が中津に行ったときはまだ年も若く、私より十三、四歳も下ですから、私はこれを子供のように思い、かつ住居の家も近所で朝夕往来して、交際は前年の通り、宗さん、宗さんと呼んで親しくしていました。ところがもともとこの宗太郎の母は神官の家の妹で、その神官の息子、つまり宗太郎の従兄に水戸学風の学者がいて、宗太郎はその従兄を先生にして勉強したので、なかなかえらい。そのうえ増田の家は年来堅固な家風で、封建の武家としては一点も恥じるところはありません。宗太郎の実父は私の母の従兄ですから、私もその風采を知っていますが、それはそれは立派な侍と言ってよいでしょう。この父母に養育された宗太郎が水戸学や国学を勉強したとあれば、いわゆる尊攘家に違いありません。 そこで私は、今度中津に帰っても宗太郎を乳臭い子供と思い、相変わらず宗さん、宗さんと呼んで待遇していたところ、何ぞ図らん、この宗さんが胸に一物、恐ろしいことをたくらんでいて、にこにこと優しい顔をして私の家に出入りしたのは、全く探偵のためだったといいます。さて探偵も届いたか、いよいよ今夜は福沢を片付けるというので、こっそりと動静を窺いに来ました。田舎のことで、外回りの囲いもなく、戸締まりもありません。ところがちょうどその夜は私のところに客があって、その客は服部五郎兵衛という私の先輩の先生で、きわめて磊落な人で、主客が向かい合って酒を飲みながら談論は尽きません。その間、宗太郎は外に立っていましたが、十二時になっても寝そうにもしない、一時になっても寝そうにもしない、いつまでも二人差し向かいで飲んで話をしているので、やむなくお止めになった、ということです。これは私の大酒夜更かしの手柄ではなく、僥倖です。

解説

維新後の明治三年、中津に母を迎えに行った福沢は、親しくしていた再従弟の増田宗太郎が実は自分を狙っていたことを、後になって知ります。にこにこ出入りしていたのは探偵のためで、その夜は先輩の服部五郎兵衛と酒を飲み、夜更けまで話し込んでいたので襲撃をあきらめたといいます。増田宗太郎は後に西南戦争の城山で死ぬ人物と、福沢自身が記しています。身近な人を善意だけで見ていた自分の盲点と、偶然の幸運で助かった事実とを、そのまま語っています。

この章句が説くこと

増田宗太郎服部五郎兵衛命拾い明治三年中津僥倖

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