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福翁自伝 / 暗殺の心配・疑心暗鬼互に走る(1)

時は違うが維新前、文久三、四年の頃、江戸深川六軒掘に藤沢志摩守と云う旗本がある。是れは時の陸軍の将官を勤め、極の西洋家で、或日その人の家に集会を催し、客は小出播磨守、成島柳北を始め、その外皆むかしの大家と唱うる蘭学医者、私とも合して七、八名でした。その時の一体の事情を申せば、前に申した通り、私は十二、三年間、夜分外出しないと云う時分で、最も自から警めて、内々刀にも心を用い、能く研がせて斬れるようにして居ます。敢て之を頼みにするではなけれども、集会の話が面白く、ツイ/\怖い事を忘れて思わず夜を更かして、十二時にもなった所で、座中みな気が付て、サア帰りが怖い。疵持つ身と云う訳けではないが、いずれも洋学臭い連中だから皆な怖がって、「大分晩うなったが如何だろうと云うと、主人が気を利かして屋根舟を用意し、七、八人の客を乗せて、六軒堀の川岸から市中の川、即ち堀割を通り、行く/\成島は柳橋から上り、それから近いもの/\と段々に上げて、仕舞に戸塚と云う老医と私と二人になり、新橋の川岸に着て、戸塚は麻布に帰り私は新銭座に帰らねばならぬ。新橋から新銭座まで凡そ十丁もある。時刻はハヤ一時過ぎ、然かもその夜は寒い晩で、冬の月が誠に能く照して何となく物凄い。新橋の川岸へ上って大通りを通り、自から新銭座の方へ行くのだから、此方側即ち大通り東側の方を通て四辺を見れば人は唯の一人も居ない。その頃は浪人者が徘徊して、其処にも此処にも毎夜のように辻斬とて容易に人を斬ることがあって、物騒とも何とも云うに云われぬ、夫れから袴の股立を取て進退に都合の好いように趣向して、颯々と歩いて行くと丁度源助町の央あたりと思う、向から一人やって来るその男は大層大きく見えた。実は如何だか知らぬが、大男に見えた。「ソリや来た、どうもこれは逃げた所がおっ付ない。今ならば巡査が居るとか人の家に駈込むとか云うこともあるが、如何して/\騒々しい時だから不意に人の家に入られるものでない、却て戸を閉て仕舞て、出て加勢しようなんと云うものゝないのは分り切てる。

書き下し

時は違うが維新前、文久三、四年の頃、江戸深川六軒掘に藤沢志摩守と云う旗本がある。是れは時の陸軍の将官を勤め、極の西洋家で、或日その人の家に集会を催し、客は小出播磨守、成島柳北を始め、その外皆むかしの大家と唱うる蘭学医者、私とも合して七、八名でした。その時の一体の事情を申せば、前に申した通り、私は十二、三年間、夜分外出しないと云う時分で、最も自から警めて、内々刀にも心を用い、能く研がせて斬れるようにして居ます。敢て之を頼みにするではなけれども、集会の話が面白く、ツイ/\怖い事を忘れて思わず夜を更かして、十二時にもなった所で、座中みな気が付て、サア帰りが怖い。疵持つ身と云う訳けではないが、いずれも洋学臭い連中だから皆な怖がって、「大分晩うなったが如何だろうと云うと、主人が気を利かして屋根舟を用意し、七、八人の客を乗せて、六軒堀の川岸から市中の川、即ち堀割を通り、行く/\成島は柳橋から上り、それから近いもの/\と段々に上げて、仕舞に戸塚と云う老医と私と二人になり、新橋の川岸に着て、戸塚は麻布に帰り私は新銭座に帰らねばならぬ。新橋から新銭座まで凡そ十丁もある。時刻はハヤ一時過ぎ、然かもその夜は寒い晩で、冬の月が誠に能く照して何となく物凄い。新橋の川岸へ上って大通りを通り、自から新銭座の方へ行くのだから、此方側即ち大通り東側の方を通て四辺を見れば人は唯の一人も居ない。その頃は浪人者が徘徊して、其処にも此処にも毎夜のように辻斬とて容易に人を斬ることがあって、物騒とも何とも云うに云われぬ、夫れから袴の股立を取て進退に都合の好いように趣向して、颯々と歩いて行くと丁度源助町の央あたりと思う、向から一人やって来るその男は大層大きく見えた。実は如何だか知らぬが、大男に見えた。「ソリや来た、どうもこれは逃げた所がおっ付ない。今ならば巡査が居るとか人の家に駈込むとか云うこともあるが、如何して/\騒々しい時だから不意に人の家に入られるものでない、却て戸を閉て仕舞て、出て加勢しようなんと云うものゝないのは分り切てる。

現代語訳

時は違いますが、維新前の文久三、四年の頃、江戸深川の六軒堀に藤沢志摩守という旗本がいました。この人は当時の陸軍の将官を務めた、きわめて西洋かぶれの人で、ある日その人の家で集会を催し、客は小出播磨守、成島柳北をはじめ、その他みな昔からの大家と唱えられる蘭学医者、私も合わせて七、八名でした。その時の一体の事情を申せば、前に申した通り、私は十二、三年間、夜に外出しないという時分で、とくに自らを戒めて、内々刀にも心を配り、よく研がせて斬れるようにしています。あえてこれを頼りにするわけではありませんが、集会の話が面白く、つい怖いことを忘れて思わず夜を更かし、十二時にもなったところで、座中の者がみな気づいて、さあ帰りが怖い。疵持つ身というわけではないが、いずれも洋学臭い連中だから皆怖がって、「だいぶ遅くなったがどうだろう」と言うと、主人が気を利かせて、屋根舟を用意し、七、八人の客を乗せて、六軒堀の川岸から市中の川、つまり堀割を通って、行く行く成島は柳橋から上がり、それから近い者から順々に上げて、しまいに戸塚という老医と私の二人になり、新橋の川岸に着いて、戸塚は麻布に帰り、私は新銭座に帰らなければなりません。新橋から新銭座まではおよそ十丁もあります。時刻はもう一時過ぎ、しかもその夜は寒い晩で、冬の月がまことによく照らして、何となく物凄い。新橋の川岸に上がって大通りを通り、新銭座のほうへ行くのですから、こちら側、つまり大通りの東側を通って四辺を見ると、人は一人もいません。その頃は浪人者がさまよっていて、そこにもここにも毎夜のように、辻斬りといって容易に人を斬ることがあり、物騒とも何とも言いようがありません。それから袴の股立ちを取って、動きやすいように支度をして、さっさと歩いて行くと、ちょうど源助町の真ん中あたりと思うところで、向こうから一人やって来ます。その男は、たいへん大きく見えました。実はどうだか知りませんが、大男に見えたのです。「それ来た、どうもこれは逃げたところで追いつかれる。今なら巡査がいるとか、人の家に駆け込むということもあるが、どうして、騒々しい時だから、不意に人の家に入られるものではない。かえって戸を閉めてしまい、出て加勢しようなどという者のないのは分かりきっている。

解説

文久三、四年ごろ、深川の旗本宅での集まりの帰り、福沢は新橋から新銭座まで一人で夜道を歩きます。舟で送られる一行の描写から、洋学者たちが皆、夜道を怖がっていた当時の空気が分かります。月の明るい寒い夜、向こうから来る大きな人影。福沢は、本当に大男だったかどうかは分からない、そう見えたのだと言います。恐怖が実際以上に相手を大きく見せる、という自覚が冷静です。

この章句が説くこと

屋根舟夜道辻斬り洋学者大男新銭座

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