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福翁自伝 / 暗殺の心配・廻国巡礼を羨む

又真実怖い事もある。凡そ維新前、文久二、三年から維新後、明治六、七年の頃まで、十二、三年の間が最も物騒な世の中で、この間私は東京に居て夜分は決して外出せず、余儀なく旅行するときは姓名を偽り、荷物にも福澤と記さず、コソ/\して往来するその有様は、欠落者が人目を忍び、泥坊が逃げて廻わるような風で、誠に面白くない。そのとき途中で廻国巡礼に出逢い、その笠を見れば何の国何都何村の何某と明白に書てある。「扨々羨ましい事だ、乃公もアヽ云う身分になって見たいと、自分の身を思い又世の有様を考えて、妙な心持になって、ソレからその巡礼に銭など与えて、貴様達は夫婦か、故郷に子はないか、親はあるか、など色々話し、問答して別れたことは今に覚えて居ます。

新字:又真実怖い事もある。凡そ維新前、文久二、三年から維新後、明治六、七年の頃まで、十二、三年の間が最も物騒な世の中で、この間私は東京に居て夜分は決して外出せず、余儀なく旅行するときは姓名を偽り、荷物にも福沢と記さず、コソ/\して往来するその有様は、欠落者が人目を忍び、泥坊が逃げて廻わるような風で、誠に面白くない。そのとき途中で廻国巡礼に出逢い、その笠を見れば何の国何都何村の何某と明白に書てある。「扨々羨ましい事だ、乃公もアヽ云う身分になって見たいと、自分の身を思い又世の有様を考えて、妙な心持になって、ソレからその巡礼に銭など与えて、貴様達は夫婦か、故郷に子はないか、親はあるか、など色々話し、問答して別れたことは今に覚えて居ます。

書き下し

又真実怖い事もある。凡そ維新前、文久二、三年から維新後、明治六、七年の頃まで、十二、三年の間が最も物騒な世の中で、この間私は東京に居て夜分は決して外出せず、余儀なく旅行するときは姓名を偽り、荷物にも福澤と記さず、コソ/\して往来するその有様は、欠落者が人目を忍び、泥坊が逃げて廻わるような風で、誠に面白くない。そのとき途中で廻国巡礼に出逢い、その笠を見れば何の国何都何村の何某と明白に書てある。「扨々羨ましい事だ、乃公もアヽ云う身分になって見たいと、自分の身を思い又世の有様を考えて、妙な心持になって、ソレからその巡礼に銭など与えて、貴様達は夫婦か、故郷に子はないか、親はあるか、など色々話し、問答して別れたことは今に覚えて居ます。

現代語訳

また本当に怖いこともありました。維新前の文久二、三年から維新後の明治六、七年の頃まで、十二、三年の間が最も物騒な世の中で、この間、私は東京にいて夜は決して外出せず、やむを得ず旅行するときは姓名を偽り、荷物にも福沢と記さず、こそこそと往来するその様子は、欠落者が人目を忍び、泥棒が逃げ回るような風で、まことに面白くありません。そのとき、道中で廻国巡礼に出会い、その笠を見れば、何の国、何の郡、何の村の何某と明白に書いてあります。「さてさて羨ましいことだ。俺もああいう身分になってみたい」と、自分の身を思い、また世の中の様子を考えて、妙な心持ちになり、それからその巡礼に銭などを与えて、お前たちは夫婦か、故郷に子はないか、親はあるか、などといろいろ話し、問答して別れたことは、今も覚えています。

解説

十二、三年のあいだ夜は外出せず、旅では姓名を偽って荷物にも福沢と書かない。そんな暮らしの中で、笠に住所氏名を堂々と書いた巡礼を羨ましく思った、という挿話です。名前を隠さずに生きられる自由の価値が、逆照射されています。福沢が後に言う独立や自由は、この種の実感に根があるのかもしれません。何を言っても隠れて暮らさなくてよい場の価値は、組織でも同じで、心理的な安心感が人の力を引き出すことと重なります。

この章句が説くこと

物騒な世姓名を偽る廻国巡礼羨望自由十二三年

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