福翁自伝 / 王政維新・子供の行末を思う
その時の私の心事は実に淋しい有様で、人に話したことはないが今打明けて懺悔しましょう。維新前後、無茶苦茶の形勢を見て、迚もこの有様では国の独立は六かしい、他年一日外国人から如何なる侮辱を被るかも知れぬ、左ればとて今日全国中の東西南北何れを見ても共に語るべき人はない、自分一人では勿論何事も出来ず亦その勇気もない、実に情ない事であるが、いよ/\外人が手を出して跋扈乱暴と云うときには、自分は何とかしてその禍を避けるとするも、行く先きの永い子供は可愛そうだ、一命に掛けても外国人の奴隷にはしたくない、或は耶蘇宗の坊主にして政事人事の外に独立させては如何、自力自食して他人の厄介にならず、その身は宗教の坊主と云えば自から辱しめを免かるゝこともあらんかと、自分に宗教の信心はなくして、子を思うの心より坊主にしようなどゝ種々無量に考えたことがあるが、三十年の今日より回想すれば恍として夢の如し、唯今日は世運の文明開化を難有く拝するばかりです。
書き下し
その時の私の心事は実に淋しい有様で、人に話したことはないが今打明けて懺悔しましょう。維新前後、無茶苦茶の形勢を見て、迚もこの有様では国の独立は六かしい、他年一日外国人から如何なる侮辱を被るかも知れぬ、左ればとて今日全国中の東西南北何れを見ても共に語るべき人はない、自分一人では勿論何事も出来ず亦その勇気もない、実に情ない事であるが、いよ/\外人が手を出して跋扈乱暴と云うときには、自分は何とかしてその禍を避けるとするも、行く先きの永い子供は可愛そうだ、一命に掛けても外国人の奴隷にはしたくない、或は耶蘇宗の坊主にして政事人事の外に独立させては如何、自力自食して他人の厄介にならず、その身は宗教の坊主と云えば自から辱しめを免かるゝこともあらんかと、自分に宗教の信心はなくして、子を思うの心より坊主にしようなどゝ種々無量に考えたことがあるが、三十年の今日より回想すれば恍として夢の如し、唯今日は世運の文明開化を難有く拝するばかりです。
現代語訳
そのときの私の心の内は、実に寂しいものでした。人に話したことはありませんが、今打ち明けて懺悔しましょう。維新前後、めちゃくちゃな形勢を見て、とてもこの様子では国の独立は難しい、いつか外国人からどんな侮辱を受けるかもしれない、とはいえ今日、全国の東西南北どこを見ても共に語るべき人はいない、自分一人では何事もできないし、またその勇気もない、実に情けないことですが、いよいよ外国人が手を出して好き勝手に乱暴するというときには、自分は何とかしてその禍を避けるとしても、行く先の長い子供はかわいそうだ、命にかけても外国人の奴隷にはしたくない、あるいはキリスト教の坊主にして、政治や世の中の外に独立させてはどうか、自力で食べて他人の厄介にならず、その身は宗教の坊主というなら、おのずから辱めを免れることもあろうかと、自分には信仰もないのに、子を思う心から坊主にしようなどと、さまざまに考えたことがあります。しかし三十年を経た今日から振り返ると、ぼんやりと夢のようで、ただ今日は世の中の文明開化をありがたく拝むばかりです。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・老余の半生・行路変化多し(1)回顧すれば六十何年、人生既往を想えば恍として夢の如しとは毎度聞く所であるが、私の夢は至極変化の多い賑かな夢でした。旧小藩の小士族、窮屈な小さい箱の中に詰込まれて、藩政の楊枝を以て重箱の隅をほじくるその楊枝の先きに掛た少年が、ヒョイと外に飛出して故郷を見捨るのみか、生来教育された漢学流の教をも打遣て西洋学の門に入り、以前に変た書を読み、以前に変った人に交わり、自由自在に運動して、二度も三度も外国に往来すれば考は段々広くなって、旧藩は扨置き日本が挟く見えるようになって来たのは、何と賑かな事で大きな変化ではあるまいか。或はその間に艱難辛苦など述立てれば大造のようだが、咽元通れば熱さ忘れると云うその通りで、艱難辛苦も過ぎて仕舞えば何ともない。貧乏は苦しいに違いないが、その貧乏が過ぎ去た後で昔の貧苦を思出して何が苦しいか、却て面白いくらいだから、私は洋学を修めて、その後ドウやら斯うやら人に不義理をせず頭を下げぬようにして、衣食さえ出来れば大願成就と思て居た処に、又図らずも王政維新、いよ/\日本国を開て本当の開国となったのは難有い。幕府時代に私の著わした西洋事情なんぞ、出版の時の考には、天下にコンなものを読む人が有るか無いか夫れも分らず、仮令い読んだからとて之を日本の実際に試みるなんて固より思いも寄らぬことで、一口に申せば西洋の小説、夢物語の戯作くらいに自から認めて居たものが、世間に流行して実際の役に立つのみか、新政府の勇気は西洋事情の類でない、一段も二段も先きに進んで思切た事を断行して、アベコベに著述者を驚かす程のことも折々見えるから、ソコで私も亦以前の大願成就に安んじて居られない。
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福翁自伝・暗殺の心配・廻国巡礼を羨む又真実怖い事もある。凡そ維新前、文久二、三年から維新後、明治六、七年の頃まで、十二、三年の間が最も物騒な世の中で、この間私は東京に居て夜分は決して外出せず、余儀なく旅行するときは姓名を偽り、荷物にも福澤と記さず、コソ/\して往来するその有様は、欠落者が人目を忍び、泥坊が逃げて廻わるような風で、誠に面白くない。そのとき途中で廻国巡礼に出逢い、その笠を見れば何の国何都何村の何某と明白に書てある。「扨々羨ましい事だ、乃公もアヽ云う身分になって見たいと、自分の身を思い又世の有様を考えて、妙な心持になって、ソレからその巡礼に銭など与えて、貴様達は夫婦か、故郷に子はないか、親はあるか、など色々話し、問答して別れたことは今に覚えて居ます。
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福翁自伝・老余の半生・仕官を嫌う由縁私の生涯は終始替ることなく、少年時代の辛苦、老後の安楽、何も珍らしいことはない。今の世界に人間普通の苦楽を嘗めて、今日に至るまで大に愧ることもなく大に後悔することもなく、心静に月日を送りしは、先ず以て身の仕合せと云わねばならぬ。所で世間は広し、私の苦楽を遠方から見て色々に評論し色々に疑う者もありましょう。就中私がマンザラの馬鹿でもなく政治の事も随分知て居ながら、遂に政府の役人にならぬと云うは可笑しい、日本社会の十人は十人、百人は百人、皆立身出世を求めて役人にこそなりたがるその処に、福澤が一人これをいやがるのは不審だと、蔭で窃に評論する計りでない、現に直接に私に向て質問する者もある。啻に日本人ばかりでない、知己の外国人も私の進退を疑い、何故政府に出て仕事をせぬか、政府の好地位に立て思う事を行えば、名誉にも為り金にも為り、面白いではないかと、米国人などは毎度勧めに来たことがあるけれども、私は唯笑て取合わぬ。ソコで維新の当分は政府の連中が私を評して佐幕家の一人と認め、彼れは旧幕府に操を立てゝ新政府に仕官せぬ者である、将軍政治を悦んで王政を嫌う者である、古来、革命の歴史に前朝の遺臣と云う者があるが、福澤もその遺臣を気取て、物外に瓢然として居ながら心中無限の不平を抱いて居るに違いない、心に不平があれば新政府の為めに宜いことは考えない、油断のならぬ奴だなんて、種々様々な想像を運らして居る者の多いのは、私も大抵知て居る。所が斯く評せらるゝ前朝の遺臣殿は、久しい以前から前朝の門閥制度、鎖国主義に愛想をつかして、維新の際に幕府の忠臣義士が盛んに忠義論を論じて佐幕の気焔を吐て脱走までする時に、私は強て議論もせず、脱走連中に知て居る者があれば、余計な事をするな、負けるから罷にしろと云て止めて居た位だから、福澤を評するに前朝の遺臣論も勘定が合わぬ。前朝の遺臣と云えば維新の時に幕府の忠臣義士こそ丁度適当の嵌役なれども、この忠臣義士は前朝に忠義の一役を勤めて何時の間にか早替り、第二の忠義役を勤めて第二の忠臣義士となって居るから、是れも遺臣と云われぬ。その遺臣論は姑く擱き、私の身の進退は、前に申す通り、維新の際に幕府の門閥制度、鎖国主義が腹の底から嫌だから佐幕の気がない。左ればとて勤王家の挙動を見れば、幕府に較べてお釣りの出る程の鎖国攘夷、固よりコンな連中に加勢しようと思いも寄らず、唯ジッと中立独立と説を極めて居ると、今度の新政府は開国に豹変した様子で立派な命令は出たけれども、開国の名義中、鎖攘タップリ、何が何やら少しも信ずるに足らず、東西南北何れを見ても共に語るべき人は一人もなし、唯独りで身に叶う丈けの事を勤めて開国一偏、西洋文明の一天張りでリキンで居る内に、政府の開国論が次第々々に真成のものになって来て、一切万事改進ならざるはなし、所謂文明駸々乎として進歩するの世の中になったこそ実に有り難い仕合せで、実に不思議な事で、云わば私の大願も成就したようなものだから、最早や一点の不平は云われない。
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福翁自伝・幼少の時・成長の上、坊主にする前申す通り、亡父は俗吏を勤めるのが不本意であったに違いない。左れば中津を蹴飛して外に出れば宜い。所が決してソンナ気はなかった様子だ。如何なる事にも不平を呑んで、チャント小禄に安んじて居たのは、時勢の為めに進退不自由なりし故でしょう。私は今でも独り気の毒で残念に思います。例えば父の生前に斯う云う事がある。今から推察すれば父の胸算に、福澤の家は総領に相続させる積りで宜しい、所が子供の五人目に私が生れた、その生れた時は大きな療せた骨太な子で、産婆の申すに、この子は乳さえ沢山呑ませれば必ず見事に育つと云うのを聞て、父が大層喜んで、是れは好い子だ、この子が段々成長して十か十一になれば寺に遣て坊主にすると、毎度母に語ったそうです。その事を母が又私に話して、アノ時阿父さんは何故坊主にすると仰っしゃったか合点が行かぬが、今御存命なればお前は寺の坊様になってる筈じゃと、何かの話の端には母が爾う申して居ましたが、私が成年の後その父の言葉を推察するに、中津は封建制度でチャント物を箱の中に詰めたように秩序が立て居て、何百年経ても一寸とも動かぬと云う有様、家老の家に生れた者は家老になり、足軽の家に生れた者は足軽になり、先祖代々、家老は家老、足軽は足軽、その間に挟まって居る者も同様、何年経ても一寸とも変化と云うものがない。ソコデ私の父の身になって考えて見れば、到底どんな事をしたって名を成すことは出来ない、世間を見れば茲に坊主と云うものが一つある、何でもない魚屋の息子が大僧正になったと云うような者が幾人もある話、それゆえに父が私を坊主にすると云たのは、その意味であろうと推察したことは間違いなかろう。
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福翁自伝・老余の半生・問題更らに起るソコで私の身の進退に就ても更らに問題が起る。是れまで新政府に出身しなかったのは、政府が鎖国攘夷の主義であるから之を嫌うたのだ、仮令い開国と触出してもその内実は鎖攘の根性、信ずるに足らずと見縊たのである、然るに政府の方針がいよ/\開国文明と決して着々事実に顕わるゝに於ては、官界に力を尽して政府人と共に文明の国事を経営するこそ本意ではないかと世間の人の思うのは、一寸と尤ものように見えるが、この一段になってもマダ私に動く気がない。
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福翁自伝・暗殺の心配是れまで御話し申した通り、私の言行は有心故造態と敵を求める訳けでは固よりないが、鎖国風の日本に居て一際目立つ様に開国文明論を主張すれば、自然に敵の出来るのも仕方がない。その敵も口で彼是喧しく云うて罵詈する位は何でもないが、唯怖くて堪らぬのは襲撃暗殺の一事です。是れから少しその事を述べましょうが、凡そ世の中に我身に取て好かない、不愉快な、気味の悪い、恐ろしいものは、暗殺が第一番である。この味は狙われた者より外に分るまいと思う。実に何とも口にも言われず筆にも書かれません。是れが病気を煩うとか、痛所があるとか何とか云えば、家内に相談し朋友に謀ると云う様なこともあるが、暗殺ばかりは家内の者へ云えば当人よりは却て家の者が心配しましょう、心配して呉れてソレが何にも役に立たぬ、ダカラ私はそんな事を家内の者に云た事もなければ親友に告げた事もない。固よりこの身に罪はない、仮令い粗われても恥かしい事ではないと云うことは分切て居ても、人に語て無益の事であるから、心配するのは自分一人である。私が暗殺を心配したのは毎度の事で、或は風声鶴唳にも驚きました。丁度今の狂犬を見たようなもので、おとなしい犬でも気味が悪いと云うような訳けで、どうも人を見ると気味がわるい。
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