福翁自伝 / 王政維新・地所払下(1)
三田の屋敷は福澤諭吉の拝借地になって、地租もなければ借地料もなし恰も私有地のようではあるが、何分にも拝借と云えば何時立退を命じられるかも知れず、東京市中を見れば私同様官地を拝借して居る者は甚だ多い、孰れも不安心に違いないと推察が出来る。如何かして之を御払下にして貰いたいと様々思案の折柄、当時政府に左院と称して議政局のようなものが立て居て、その左院の議員中に懇意の人があるからその人に面会、何か話の序には拝借地の有名無実なるを説き、等しく官地を使用せしむるならば之を私有地にして銘々に地所保存の謀を為さしむるに若かずと、頻りに利害を論じてその人の建言を促したるは毎度の事で、その他政府の筋の人にさえ逢えば同様の事を語るの常なりしが、明治四年の頃、それかあらぬか、政府は市中の拝借地をその借地人又は縁故ある者に払下げるとの風聞が聞える。是れは妙なりと大に喜び、その時東京府の課長に福田と云う人が専ら地所の事を取扱うと云う事を聞伝え、早速福田の私宅を尋ねて委細の事実を確かめ、いよ/\発令の時には知らして呉れることに約束して、帰宅して日々便りを待て居ると、数日の後に至り、今日発令したと報知が来たから、暫時も猶予は出来ず、翌朝東京府に代理の者を差出し御払下を願うて、代金を上納せんと金を出した処が、府庁にも昨日発令した計りで出願者は一人もなし、マダ帳簿も出来ず、上納金請取の書式も出来ずと云うから、その正式の請取は後日の事として今日は唯金子丈けの御収納を願うと云て、強いて金を渡して仮り御払下の姿を成し、その後、地所代価収領の本証書も下りて、いよ/\私の私有地と為り、地券面本邸の外に附属の町地面を合して一万三千何百坪、本邸の方は千坪に付き価十五円、町地の方は割合に高く、両様共算して五百何十円とは、殆んど無代価と申して宜しい。
新字:三田の屋敷は福沢諭吉の拝借地になって、地租もなければ借地料もなし恰も私有地のようではあるが、何分にも拝借と云えば何時立退を命じられるかも知れず、東京市中を見れば私同様官地を拝借して居る者は甚だ多い、孰れも不安心に違いないと推察が出来る。如何かして之を御払下にして貰いたいと様々思案の折柄、当時政府に左院と称して議政局のようなものが立て居て、その左院の議員中に懇意の人があるからその人に面会、何か話の序には拝借地の有名無実なるを説き、等しく官地を使用せしむるならば之を私有地にして銘々に地所保存の謀を為さしむるに若かずと、頻りに利害を論じてその人の建言を促したるは毎度の事で、その他政府の筋の人にさえ逢えば同様の事を語るの常なりしが、明治四年の頃、それかあらぬか、政府は市中の拝借地をその借地人又は縁故ある者に払下げるとの風聞が聞える。是れは妙なりと大に喜び、その時東京府の課長に福田と云う人が専ら地所の事を取扱うと云う事を聞伝え、早速福田の私宅を尋ねて委細の事実を確かめ、いよ/\発令の時には知らして呉れることに約束して、帰宅して日々便りを待て居ると、数日の後に至り、今日発令したと報知が来たから、暫時も猶予は出来ず、翌朝東京府に代理の者を差出し御払下を願うて、代金を上納せんと金を出した処が、府庁にも昨日発令した計りで出願者は一人もなし、マダ帳簿も出来ず、上納金請取の書式も出来ずと云うから、その正式の請取は後日の事として今日は唯金子丈けの御収納を願うと云て、強いて金を渡して仮り御払下の姿を成し、その後、地所代価収領の本証書も下りて、いよ/\私の私有地と為り、地券面本邸の外に附属の町地面を合して一万三千何百坪、本邸の方は千坪に付き価十五円、町地の方は割合に高く、両様共算して五百何十円とは、殆んど無代価と申して宜しい。
書き下し
三田の屋敷は福澤諭吉の拝借地になって、地租もなければ借地料もなし恰も私有地のようではあるが、何分にも拝借と云えば何時立退を命じられるかも知れず、東京市中を見れば私同様官地を拝借して居る者は甚だ多い、孰れも不安心に違いないと推察が出来る。如何かして之を御払下にして貰いたいと様々思案の折柄、当時政府に左院と称して議政局のようなものが立て居て、その左院の議員中に懇意の人があるからその人に面会、何か話の序には拝借地の有名無実なるを説き、等しく官地を使用せしむるならば之を私有地にして銘々に地所保存の謀を為さしむるに若かずと、頻りに利害を論じてその人の建言を促したるは毎度の事で、その他政府の筋の人にさえ逢えば同様の事を語るの常なりしが、明治四年の頃、それかあらぬか、政府は市中の拝借地をその借地人又は縁故ある者に払下げるとの風聞が聞える。是れは妙なりと大に喜び、その時東京府の課長に福田と云う人が専ら地所の事を取扱うと云う事を聞伝え、早速福田の私宅を尋ねて委細の事実を確かめ、いよ/\発令の時には知らして呉れることに約束して、帰宅して日々便りを待て居ると、数日の後に至り、今日発令したと報知が来たから、暫時も猶予は出来ず、翌朝東京府に代理の者を差出し御払下を願うて、代金を上納せんと金を出した処が、府庁にも昨日発令した計りで出願者は一人もなし、マダ帳簿も出来ず、上納金請取の書式も出来ずと云うから、その正式の請取は後日の事として今日は唯金子丈けの御収納を願うと云て、強いて金を渡して仮り御払下の姿を成し、その後、地所代価収領の本証書も下りて、いよ/\私の私有地と為り、地券面本邸の外に附属の町地面を合して一万三千何百坪、本邸の方は千坪に付き価十五円、町地の方は割合に高く、両様共算して五百何十円とは、殆んど無代価と申して宜しい。
現代語訳
三田の屋敷は福沢諭吉の拝借地になって、地租もなければ借地料もなく、まるで私有地のようではありますが、何分にも拝借である以上、いつ立ち退きを命じられるか分かりません。東京市中を見れば、私と同じように官地を拝借している者は非常に多く、いずれも不安に違いないと推察できます。どうかしてこれを払い下げにしてもらいたいと、いろいろ思案していた折から、当時、政府に左院と称する議政局のようなものが立っていて、その左院の議員の中に懇意の人がいたので、その人に会い、何かの話のついでに、拝借地の有名無実なことを説き、同じように官地を使用させるなら、これを私有地にして、めいめいに地所保存の工夫をさせるのがよい、と、しきりに利害を論じてその人の建言を促したのはたびたびのことで、その他の政府筋の人にも、会えば同じことを語るのが常でしたが、明治四年の頃、それかあらぬか、政府は市中の拝借地をその借地人または縁故ある者に払い下げるとの風聞が聞こえました。これは妙だと大いに喜び、その時、東京府の課長に福田という人が、もっぱら地所のことを取り扱うと聞き伝え、すぐに福田の私宅を訪ねて事実を詳しく確かめ、いよいよ発令の時には知らせてくれるよう約束して、帰宅して日々知らせを待っていると、数日の後に、今日発令したと報知が来たので、少しもためらってはいられず、翌朝、東京府に代理の者を差し出して払い下げを願い、代金を上納しようと金を出したところ、府庁にも昨日発令したばかりで、出願者は一人もなく、まだ帳簿もできず、上納金受け取りの書式もできていないと言います。そこでその正式の受け取りは後日のことにして、今日はただお金だけを収めてほしいと言って、強いて金を渡し、仮の払い下げの形を整えて、その後、地所代価受領の本証書も下り、いよいよ私の私有地となりました。地券面は本邸のほかに付属の町地を合わせて一万三千何百坪、本邸のほうは千坪につき価十五円、町地のほうは割合に高く、両方合わせて五百何十円とは、ほとんど無料と言ってよいでしょう。
解説
この章句が説くこと
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