福翁自伝 / 王政維新・米国前の国務卿又日本を評す
又その頃、亜米利加の前国務卿シーワルトと云う人が、令嬢と同伴して日本に来遊したことがある。この人は米国有名の政治家で、彼の南北戦争のとき専ら事に当て、リンコルンの遭難と同時に兇徒に傷けられたこともある。元来英国人とは反りが合わずに、云わば日本贔屓の人でありながら、今度来遊、その日本の実際を見て何分にも贔屓が出来ぬ、こんな根性の人民では気の毒ながら自立は六かしいと断言したこともある。ソコデ私の見る所で、新政府人の挙動は都て儒教の糟粕を嘗め、古学の固陋主義より割出して空威張りするのみ。顧みて外国人の評論を聞けば右の通り。迚も是れは仕方がないと真実落胆したれども、左りとて自分は日本人なり、無為にしては居られず、政治は兎も角も之を成行に任せて、自分は自分にて聊か身に覚えたる洋学を後進生に教え、又根気のあらん限り著書飜訳の事を勉めて、万が一にも斯民を文明に導くの僥倖もあらんかと、便り少なくも独り身構えした事である。
新字:又その頃、亜米利加の前国務卿シーワルトと云う人が、令嬢と同伴して日本に来遊したことがある。この人は米国有名の政治家で、彼の南北戦争のとき専ら事に当て、リンコルンの遭難と同時に兇徒に傷けられたこともある。元来英国人とは反りが合わずに、云わば日本贔屓の人でありながら、今度来遊、その日本の実際を見て何分にも贔屓が出来ぬ、こんな根性の人民では気の毒ながら自立は六かしいと断言したこともある。ソコデ私の見る所で、新政府人の挙動は都て儒教の糟粕を嘗め、古学の固陋主義より割出して空威張りするのみ。顧みて外国人の評論を聞けば右の通り。迚も是れは仕方がないと真実落胆したれども、左りとて自分は日本人なり、無為にしては居られず、政治は兎も角も之を成行に任せて、自分は自分にて聊か身に覚えたる洋学を後進生に教え、又根気のあらん限り著書翻訳の事を勉めて、万が一にも斯民を文明に導くの僥倖もあらんかと、便り少なくも独り身構えした事である。
書き下し
又その頃、亜米利加の前国務卿シーワルトと云う人が、令嬢と同伴して日本に来遊したことがある。この人は米国有名の政治家で、彼の南北戦争のとき専ら事に当て、リンコルンの遭難と同時に兇徒に傷けられたこともある。元来英国人とは反りが合わずに、云わば日本贔屓の人でありながら、今度来遊、その日本の実際を見て何分にも贔屓が出来ぬ、こんな根性の人民では気の毒ながら自立は六かしいと断言したこともある。ソコデ私の見る所で、新政府人の挙動は都て儒教の糟粕を嘗め、古学の固陋主義より割出して空威張りするのみ。顧みて外国人の評論を聞けば右の通り。迚も是れは仕方がないと真実落胆したれども、左りとて自分は日本人なり、無為にしては居られず、政治は兎も角も之を成行に任せて、自分は自分にて聊か身に覚えたる洋学を後進生に教え、又根気のあらん限り著書飜訳の事を勉めて、万が一にも斯民を文明に導くの僥倖もあらんかと、便り少なくも独り身構えした事である。
現代語訳
またその頃、アメリカの前国務長官シュワードという人が、令嬢と一緒に日本に来遊したことがあります。この人はアメリカで有名な政治家で、あの南北戦争のときにもっぱら事に当たり、リンカーンの遭難と同時に暴漢に傷つけられたこともあります。もともとイギリス人とは反りが合わず、いわば日本びいきの人でしたが、今度来遊して日本の実際を見て、どうにもひいきができない、こんな気風の人民では気の毒だが自立は難しい、と断言したこともあります。 そこで私の見るところでは、新政府の人々の挙動は、すべて儒教の糟粕をなめ、古学の頑固な主義から割り出して空威張りするだけです。顧みて外国人の評論を聞けばこの通り。とてもこれは仕方がないと本当に落胆しましたが、そうかといって自分は日本人で、何もせずにはいられません。政治はともかく成り行きに任せて、自分は自分で、いささか身につけた洋学を後進の若者に教え、また根気のある限り著書や翻訳の事業に努めて、万が一にもこの国民を文明に導く幸運もあろうかと、頼りは少なくても一人で身構えたのです。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・老余の半生・独立の手本を示さんとす(1)第四には、勤王佐幕など云う喧しい議論は差置き、維新政府の基礎が定まると、日本国中の士族は無論、百姓の子も町人の弟も、少しばかり文字でも分る奴は皆役人になりたいと云う。仮令い役人にならぬでも、兎に角に政府に近づいて何か金儲でもしようと云う熱心で、その有様は臭い物に蠅のたかるようだ。全国の人民、政府に依らねば身を立てる処のないように思うて、一身独立と云う考は少しもない。偶ま外国修業の書生などが帰て来て、僕は畢生独立の覚悟で政府仕官は思いも寄らぬ、なんかんと鹿爪らしく私方へ来て満腹の気焔を吐く者は幾らもある。私は最初から当てにせずに宜い加減に聞流して居ると、その独立先生が久しく見えぬ。スルと後に聞けばその男はチャンと何省の書記官に為り、運の好い奴は地方官になって居ると云うような風で、何も之を咎めるではない、人々の進退はその人の自由自在なれども、全国の人が唯政府の一方を目的にして外に立身の道なしと思込んで居るのは、畢竟漢学教育の余弊で、所謂宿昔青雲の志と云うことが先祖以来の遺伝に存して居る一種の迷である。今この迷を醒まして文明独立の本義を知らせようとするには、天下一人でもその真実の手本を見せたい、亦自からその方針に向う者もあるだろう、一国の独立は国民の独立心から湧て出てることだ、国中を挙げて古風の奴隷根性では迚も国が持てない、出来ることか出来ないことかソンな事に躊躇せず、自分がその手本になって見ようと思付き、人間万事無頓着と覚悟を定めて、唯独立独歩と安心決定したから、政府に依りすがる気もない、役人達に頼む気もない。貧乏すれば金を使わない、金が出来れば自分の勝手に使う。人に交わるには出来る丈けの誠を尽して交わる、ソレでも忌と云えば交わって呉れなくても宜しい。客を招待すれば此方の家風の通りに心を用いて饗応する、その風が嫌いなら来て呉れなくても苦しうない。此方の身に叶う丈けを尽して、ソレから上は先方の領分だ。誉めるなり譏るなり喜ぶなり怒るなり勝手次第にしろ、誉められて左まで歓びもせず、譏られて左まで腹も立てず、いよ/\気が合わねば遠くに離れて附合わぬ計りだ。一切万事、人にも物にもぶら下らずに、云わば捨身になって世の中を渡るとチャンと説を定めて居るから、何としても政府へ仕官などは出来ない。この流儀が果して世の中の手本になって宜い事か、悪い事か、ソレも無頓着だ、宜ければ甚だ宜しい、悪るければソレまでの事だ、その先きまで責任を脊負い込もうとは思いません。
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福翁自伝・王政維新・学者を誉めるなら豆腐屋も誉めろ夫れから幾ら呼びに来ても政府へはモウ一切出ないと説を極めて居た所が、或日細川潤次郎が私の処へ来たことがある。その時はマダ文部省と云うものゝない時で、何でもこの政府の学校の世話をしろと云う。イヤそれは往けない、自分は何もそんな事はしないと答え、夫れからいろ/\の話もあったが、細川の云うに、ドウしても政府に於て只棄てゝ置くと云う理屈はないのだから、政府から君が国家に尽した功労を誉めるようにしなければならぬと云うから、私は自分の説を主張して、誉めるの誉められぬのと全体ソリャ何の事だ、人間が人間当前の仕事をして居るに何も不思議はない、車屋は車を挽き豆腐屋は豆腐を拵えて書生は書を読むと云うのは人間当前の仕事として居るのだ、その仕事をして居るのを政府が誉めると云うなら、先ず隣の豆腐屋から誉めて貰わなければならぬ、ソンな事は一切止しなさいと云て断たことがある。是れも随分暴論である。 マア斯う云うような調子で、私は酷く政府を嫌うようにあるけれども、その真実の大本を云えば、前に申した通りドウしても今度の明治政府は古風一天張りの攘夷政府と思込んで仕舞たからである。攘夷は私の何より嫌いな事で、コンな始末では仮令い政府は替ても迚も国は持てない、大切な日本国を滅茶苦茶にして仕舞うだろう本当に爾う思た所が、後に至てその政府が段々文明開化の道に進んで今日に及んだと云うのは、実に難有い目出たい次第であるが、その目出たかろうと云うことが私には始めから測量が出来ずに、唯その時に現れた実の有様に値を付けて、コンな古臭い攘夷政府を造て馬鹿な事を働いて居る諸藩の分らず屋は、国を亡ぼし兼ねぬ奴等じゃと思て、身は政府に近づかずに、唯日本に居て何か勉めて見ようと安心決定したことである。
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福翁自伝・老余の半生・仕官を嫌う由縁私の生涯は終始替ることなく、少年時代の辛苦、老後の安楽、何も珍らしいことはない。今の世界に人間普通の苦楽を嘗めて、今日に至るまで大に愧ることもなく大に後悔することもなく、心静に月日を送りしは、先ず以て身の仕合せと云わねばならぬ。所で世間は広し、私の苦楽を遠方から見て色々に評論し色々に疑う者もありましょう。就中私がマンザラの馬鹿でもなく政治の事も随分知て居ながら、遂に政府の役人にならぬと云うは可笑しい、日本社会の十人は十人、百人は百人、皆立身出世を求めて役人にこそなりたがるその処に、福澤が一人これをいやがるのは不審だと、蔭で窃に評論する計りでない、現に直接に私に向て質問する者もある。啻に日本人ばかりでない、知己の外国人も私の進退を疑い、何故政府に出て仕事をせぬか、政府の好地位に立て思う事を行えば、名誉にも為り金にも為り、面白いではないかと、米国人などは毎度勧めに来たことがあるけれども、私は唯笑て取合わぬ。ソコで維新の当分は政府の連中が私を評して佐幕家の一人と認め、彼れは旧幕府に操を立てゝ新政府に仕官せぬ者である、将軍政治を悦んで王政を嫌う者である、古来、革命の歴史に前朝の遺臣と云う者があるが、福澤もその遺臣を気取て、物外に瓢然として居ながら心中無限の不平を抱いて居るに違いない、心に不平があれば新政府の為めに宜いことは考えない、油断のならぬ奴だなんて、種々様々な想像を運らして居る者の多いのは、私も大抵知て居る。所が斯く評せらるゝ前朝の遺臣殿は、久しい以前から前朝の門閥制度、鎖国主義に愛想をつかして、維新の際に幕府の忠臣義士が盛んに忠義論を論じて佐幕の気焔を吐て脱走までする時に、私は強て議論もせず、脱走連中に知て居る者があれば、余計な事をするな、負けるから罷にしろと云て止めて居た位だから、福澤を評するに前朝の遺臣論も勘定が合わぬ。前朝の遺臣と云えば維新の時に幕府の忠臣義士こそ丁度適当の嵌役なれども、この忠臣義士は前朝に忠義の一役を勤めて何時の間にか早替り、第二の忠義役を勤めて第二の忠臣義士となって居るから、是れも遺臣と云われぬ。その遺臣論は姑く擱き、私の身の進退は、前に申す通り、維新の際に幕府の門閥制度、鎖国主義が腹の底から嫌だから佐幕の気がない。左ればとて勤王家の挙動を見れば、幕府に較べてお釣りの出る程の鎖国攘夷、固よりコンな連中に加勢しようと思いも寄らず、唯ジッと中立独立と説を極めて居ると、今度の新政府は開国に豹変した様子で立派な命令は出たけれども、開国の名義中、鎖攘タップリ、何が何やら少しも信ずるに足らず、東西南北何れを見ても共に語るべき人は一人もなし、唯独りで身に叶う丈けの事を勤めて開国一偏、西洋文明の一天張りでリキンで居る内に、政府の開国論が次第々々に真成のものになって来て、一切万事改進ならざるはなし、所謂文明駸々乎として進歩するの世の中になったこそ実に有り難い仕合せで、実に不思議な事で、云わば私の大願も成就したようなものだから、最早や一点の不平は云われない。
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福翁自伝・再度米国行・幕府人の無法を厭う、安いドルラルそれは扨置き、私の一身に就てその時甚だ穏かならぬ事があった、と云うのは私は幕府の用をして居るけれども、如何なこと幕府を佐けなければならぬとか云うような事を考えたことがない。私の主義にすれば第一鎖国が嫌い、古風の門閥無理圧制が大嫌いで、何でもこの主義に背く者は皆敵のように思うから、此方が思う通りに、先方の鎖国家古風家も亦洋学者を外道のように悪むだろう。所で私が幕府の様子を見るに、全く古風のそのまゝで、少しも開国主義と思われない、自由主義と見えない。例えば年来、政府の御用達は三井八郎右衛門で、政府の用を聞くのみならず、役人等の私用をも周旋するの慣行でした。ソコで今度の米国行に付ても、役人が幕府から手当の金を一歩銀で請取れば、亜米利加に行くときには之を洋銀の弗に替えなければならぬ。然るにその時は弗相場の毎日変化する最中で、両替が甚だ面倒である。スルト一行中の或る役人が三井の手代を横浜の旅宿に呼出し、色々弗の相場を聞糺して扨云うよう、「成程昨今の弗は安くない、併し三井にはズットその前安い時に買入れた弗もあるだろう、拙者のこの一歩銀はその安い弗と両替して貰いたいと云うと、三井の手代は平伏して、畏りました、お安い弗と両替いたしましょうと云て、幾らか割合を安くして弗を持て来た。私は傍に居てこの様子を見て居て「ドウモ無鉄砲な事を言う奴だ、金の両替をするに、安いときに買入れた金と云て、ドウ云う印があるか、安いも高いもその日の相場に定まったものを、夫れを相場外れにせよと云いながら、愧る気色もなく平気な顔をして居るのみならず、その人の平生も賤しからぬ立派な士君子であるとは驚いた。又三井の手代も算盤を知るまいことか、チャント知て居ながら平気で損をして何とも云わぬ。畢竟人の罪でない、時の気風の然らしむる所、腐敗の極度だ、こんな政府の立行こう筈はないと思たことがある。
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福翁自伝・老余の半生・問題更らに起るソコで私の身の進退に就ても更らに問題が起る。是れまで新政府に出身しなかったのは、政府が鎖国攘夷の主義であるから之を嫌うたのだ、仮令い開国と触出してもその内実は鎖攘の根性、信ずるに足らずと見縊たのである、然るに政府の方針がいよ/\開国文明と決して着々事実に顕わるゝに於ては、官界に力を尽して政府人と共に文明の国事を経営するこそ本意ではないかと世間の人の思うのは、一寸と尤ものように見えるが、この一段になってもマダ私に動く気がない。
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福翁自伝・雑記・独立敢て新事例を開く(1)私の考は塾に少年を集めて原書を読ませる計りが目的ではない。如何様にもしてこの鎖国の日本を開て西洋流の文明に導き、富国強兵以て世界中に後れを取らぬようにしたい。左りとて唯これを口に言うばかりでなく、近く自分の身より始めて、仮初めにも言行齟齬しては済まぬ事だと、先ず一身の私を慎しみ、一家の生活法を謀り、他人の世話にならぬようにと心掛けて、扨一方に世の中を見て文明改進の為めに施して見たいと思う事があれば、世論に頓着せず思切て試みました。例えば前にも申した通り、学生から授業料の金を取立てる事なり、武士の魂と云う双刀を棄てゝ丸腰になる事なり、演説の新法を人に説て之を実地に施す事なり、又は著訳書に古来の文章法を破て平易なる通俗文を用うる事なり、凡そ是等は当時の古風家に嫌われる事であるが、幸に私の著訳は世間の人気に役じて渇する者に水を与え、大旱に夕立のしたようなもので、その売れたことは実に驚く程の数でした。時節の悪いときに、ドンな文章家ドンな学者が何を著述したって何を飜訳したって、私の出版書のように売れよう訳けはない。畢竟私の才力がエライと云うよりも、時節柄がエラかったのである。又その時代の学者達が筆不調法であったか、馬鹿に青雲熱に浮かされて身の程を知らず時勢を見ることを知らなかったか、マアそのくらいの事だと思われる。兎にも角にも著訳書が私の身を立て家を成す唯一の基本になって、ソレで私塾を開ても、生徒から僅ばかりの授業料を掻集めて私の身に着けるようなケチな事をせずに、全く教師等の所得にすることが出来たその上に、折々私の財嚢から金を出して塾用を弁ずることも出来ました。 所で私の性質は全体放任主義と云おうか、又は小慾にして大無慾とでも云おうか、塾の事に就て朝夕心を用いて一生懸命、些細の事まで種々無量に心配しながら、又一方ではこの塾にブラサガッて居る身ではない、是非とも慶應義塾を永久に遺して置かなければならぬと云う義務もなければ名誉心もないと、初めから安心決定して居るから、随て世の中に怖いものがない。同志の後進生と相談して思う通りに事を行えば、塾中自から独立の気風を生じて世間の反りに合わぬことも多いのと、又一つには私が政治社会に出ることを好まずに在野の身でありながら、口もあれば筆もあるから颯々と言論して、時としてはその言論が政府の癪に障ることもあろう。実を云えば私は政府に対して不平はない、役人達の以前が、無鉄砲な攘夷家であろうとも、人を困らせた奴であろうとも、一切既往を云わず、唯今日の文明主義に変化して開国一偏に国事を経営して呉れゝば遺憾なしと思えども、何かの気まぐれに官民とか朝野とか忌に区別を立てゝ、私塾を疏外し邪魔にして、甚だしきは之を妨げんなんとケチな事をされたのには少々困りました。今これを云えば話も長し言葉も穢くなるから抜きにして、近年帝国議会の開設以来は官辺の風も大に改まりて、余り酷い事はない。何れ遠からぬ中に双方打解けるように成るでしょう。
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