福翁自伝 / 再度米国行・幕府を倒せ
夫れから又斯う云う事がある。同行の尺振八などゝ飲みながら壮語快談、ソリャもう官費の酒だから、船中の事で安くはないが何に構うものか、ドシ/\飲み次第喰い次第で、颯々と酒を注文して部屋に取て飲む。サアそれからいろ/\な事を語出して、「ドウしたってこの幕府と云うものは潰さなくてはならぬ。抑も今の幕政の様を見ろ。政府の御用と云えば、何品を買うにも御用だ。酒や魚を買うにも自分で勝手な値を付けて買て居るではないか、上総房州から船が這入ると、幕府の御用だと云て一番先にその魚を只持て行くようなことをして居る。ソレも将軍様が喰うならばマア宜いとするが、爾うではない、料理人とか云うような奴が只取て来て、その魚を又売て居るではないか。この一事推して他を知るべし、実に鼻持のならぬ政府だ。ソレも宜いとして置て、この攘夷はドウだ。自分がその局に当て居るから拠ろなく渋々開国論を唱えて居ながら、その実を叩いて見ると攘夷論の張本だ。彼の品川の海鼠台場、マダあれでも足りないと云て拵え掛けて居るではないか。夫れから又勝麟太郎が兵庫に行て、七輪見たような丸い白い台場を築くなんて何だ。攘夷の用意をするのではないか。そんな政府なら叩き潰して仕舞うが宜いじゃないかと云うと、尺振八が、爾うだ、その通りに違いない。けれども斯うして船に乗て亜米利加に往来するのも、幕府から入用を出して居ればこそだ。御同前に喰て居るものも着て居るものも幕府の物ではないか。夫れを衣食して居ながら、ソレを潰すと云うのは何だか少し気に済まないようではないか。「それは構わぬ。御同前に此身等が政府の御用をすると云うのは、何も人物がエライと云て用いられて居るのではない、是れは横文字を知て居るからと云うに過ぎない。
書き下し
夫れから又斯う云う事がある。同行の尺振八などゝ飲みながら壮語快談、ソリャもう官費の酒だから、船中の事で安くはないが何に構うものか、ドシ/\飲み次第喰い次第で、颯々と酒を注文して部屋に取て飲む。サアそれからいろ/\な事を語出して、「ドウしたってこの幕府と云うものは潰さなくてはならぬ。抑も今の幕政の様を見ろ。政府の御用と云えば、何品を買うにも御用だ。酒や魚を買うにも自分で勝手な値を付けて買て居るではないか、上総房州から船が這入ると、幕府の御用だと云て一番先にその魚を只持て行くようなことをして居る。ソレも将軍様が喰うならばマア宜いとするが、爾うではない、料理人とか云うような奴が只取て来て、その魚を又売て居るではないか。この一事推して他を知るべし、実に鼻持のならぬ政府だ。ソレも宜いとして置て、この攘夷はドウだ。自分がその局に当て居るから拠ろなく渋々開国論を唱えて居ながら、その実を叩いて見ると攘夷論の張本だ。彼の品川の海鼠台場、マダあれでも足りないと云て拵え掛けて居るではないか。夫れから又勝麟太郎が兵庫に行て、七輪見たような丸い白い台場を築くなんて何だ。攘夷の用意をするのではないか。そんな政府なら叩き潰して仕舞うが宜いじゃないかと云うと、尺振八が、爾うだ、その通りに違いない。けれども斯うして船に乗て亜米利加に往来するのも、幕府から入用を出して居ればこそだ。御同前に喰て居るものも着て居るものも幕府の物ではないか。夫れを衣食して居ながら、ソレを潰すと云うのは何だか少し気に済まないようではないか。「それは構わぬ。御同前に此身等が政府の御用をすると云うのは、何も人物がエライと云て用いられて居るのではない、是れは横文字を知て居るからと云うに過ぎない。
現代語訳
それからまた、こういうことがありました。同行の尺振八などと飲みながら壮語快談です。もう官費の酒ですから、船中のことで安くはないが、何に構うものか、どしどし飲み放題食い放題で、さっさと酒を注文して部屋に取って飲みます。さあそれからいろいろなことを語り出して、「どうしたって、この幕府というものは潰さなくてはならぬ。そもそも今の幕政の有様を見ろ。政府の御用といえば、何を買うにも御用だ。酒や魚を買うにも自分で勝手な値を付けて買っているではないか。上総・房州から船が入ると、幕府の御用だといって、まっさきにその魚をただで持って行くようなことをしている。それも将軍様が食べるならまあよいとするが、そうではない、料理人とかいうような連中がただで取ってきて、その魚をまた売っているではないか。この一事から他を推して知るべし、実に鼻持ちならない政府だ。それもよいとして置いて、この攘夷はどうだ。自分がその局に当たっているからやむを得ず渋々開国論を唱えながら、その実を叩いてみると攘夷論の張本人だ。あの品川の海鼠台場、まだあれでも足りないといって造りかけているではないか。それからまた勝麟太郎が兵庫に行って、七輪のような丸い白い台場を築くなんて何だ。攘夷の用意をするのではないか。そんな政府なら叩き潰してしまうのがよいではないか」と言うと、尺振八が、「そうだ、その通りに違いない。けれどもこうして船に乗ってアメリカに往来するのも、幕府から費用を出してくれていればこそだ。お互いに食べているものも着ているものも幕府の物ではないか。それを衣食しておきながら、潰すというのは、何だか少し気がすまないようではないか」と言います。「それは構わない。お互いに我々が政府の御用をするというのは、何も人物がえらいから用いられているのではない。これは横文字を知っているからというに過ぎない。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・再度米国行・幕府人の無法を厭う、安いドルラルそれは扨置き、私の一身に就てその時甚だ穏かならぬ事があった、と云うのは私は幕府の用をして居るけれども、如何なこと幕府を佐けなければならぬとか云うような事を考えたことがない。私の主義にすれば第一鎖国が嫌い、古風の門閥無理圧制が大嫌いで、何でもこの主義に背く者は皆敵のように思うから、此方が思う通りに、先方の鎖国家古風家も亦洋学者を外道のように悪むだろう。所で私が幕府の様子を見るに、全く古風のそのまゝで、少しも開国主義と思われない、自由主義と見えない。例えば年来、政府の御用達は三井八郎右衛門で、政府の用を聞くのみならず、役人等の私用をも周旋するの慣行でした。ソコで今度の米国行に付ても、役人が幕府から手当の金を一歩銀で請取れば、亜米利加に行くときには之を洋銀の弗に替えなければならぬ。然るにその時は弗相場の毎日変化する最中で、両替が甚だ面倒である。スルト一行中の或る役人が三井の手代を横浜の旅宿に呼出し、色々弗の相場を聞糺して扨云うよう、「成程昨今の弗は安くない、併し三井にはズットその前安い時に買入れた弗もあるだろう、拙者のこの一歩銀はその安い弗と両替して貰いたいと云うと、三井の手代は平伏して、畏りました、お安い弗と両替いたしましょうと云て、幾らか割合を安くして弗を持て来た。私は傍に居てこの様子を見て居て「ドウモ無鉄砲な事を言う奴だ、金の両替をするに、安いときに買入れた金と云て、ドウ云う印があるか、安いも高いもその日の相場に定まったものを、夫れを相場外れにせよと云いながら、愧る気色もなく平気な顔をして居るのみならず、その人の平生も賤しからぬ立派な士君子であるとは驚いた。又三井の手代も算盤を知るまいことか、チャント知て居ながら平気で損をして何とも云わぬ。畢竟人の罪でない、時の気風の然らしむる所、腐敗の極度だ、こんな政府の立行こう筈はないと思たことがある。
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福翁自伝・再度米国行・穢多に革細工之を喩えば革細工だから穢多にさせると云うと同じ事で、マア御同前は雪駄直しを見たような者だ。幕府の殿様方は汚い事が出来ない、幸い此処に革細工をする奴が居るからソレにさせろと云うので、デイ/\が大きな屋敷の御出入になったのと少しも変ったことはない。ソレに遠慮会釈も糸瓜も要るものか、颯々と打毀して遣れ。只此処で困るのは、誰が之を打毀すか、ソレに当惑して居る。乃公等は自分でその先棒になろうとは思わぬ。誰が之を打毀すか、之が大問題である。今の世間を見るに、之を毀そうと云て騒いで居るのは所謂浮浪の徒、即ち長州とか薩州とか云う攘夷藩の浪人共であるが、若しも彼の浪人共が天下を自由にするようになったら、ソレこそ徳川政府の攘夷に上塗りをする奴じゃないか。ソレよりもマダ今の幕府の方が勝しだ。けれども如何したって幕府は早晩倒さなければならぬ、唯差当り倒す人間がないから仕方なしに見て居るのだ。困た話ではないかなどゝ、且つ飲み且つ語り、部屋の中とは云いながら、人の出入りを止めるでもなし、傍若無人、大きな声でドシ/\論じて居たのだから、爾う云うような話もチラホラ重役の耳に聞えたことがあるに違いない。
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福翁自伝・再度米国行・長官に対して不従順全体今度の亜米利加行に就て斯く私が擯斥されたと云うのは、何か私が独り宜いようにあるけれども、実を申せば左様でない、と云うのは元と私は亜米利加に行きたい/\と云て小野友五郎に頼み、同人の信用を得て随行員となった一人であれば、一切万事長者の命令に従いその思う通りの事をしなければ済まない訳けだ。所が実際は爾うでなく、始終逆らうような事をするのみか、明に命令に背いたこともある。例えば彼の在留中、小野も立腹したと見え、私に向て、最早や御用も済みたればお前は今から先きに帰国するが宜しいと云うと、私が不服だ。「此処まで連れて来て散々御用を勤めさせて、用が少なくなったからと云て途中で帰れと云う権力は長官にもなかろう。私は日本を出るとき閣老にお暇乞をして出て来た者である、早く云えば御老中から云付けられて来たのだ。お前さんが帰れと云ても私は帰らないとリキンダのは、私の方が無法であろう。又或日食事の時に私が何か話の序に、全体今の幕府の気が知れない、攘夷鎖港とは何の趣意だ、之が為めに品川の台場の増築とは何の戯れだ、その台場を築いた者はこのテーブルの中にも居るではないか、こんな事で日本国が保てると思うか、日本は大切な国だぞなどゝ、公衆の前で公言したような事は、私の方こそ気違いの沙汰である。成程小野は頑固な人に違いない、けれども私の不従順と云うことも十分であるから、始終嫌われたのは尤も至極、少しも怨む所はない。
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福翁自伝・王政維新・幕府の攘夷主義(1)幕政の殻威張りが癇癪に障ると云うのは、是れは此方の血気の熱心であるとして姑く差置き、扨この日本を開いて外国交際をドウするかと云うことになっては、如何も見て居られない、と云うのは私は若い時から洋書を読で、夫れから亜米利加に行き、その次には欧羅巴に行き、又亜米利加に行て、只学問ばかりでなく実地を見聞して見れば、如何しても対外国是は斯う云うように仕向けなければならぬと、ボンヤリした処でも外国交際法と云うことに気の付くは当然の話であろう。ソコでその私の考から割出して、この徳川政府を見ると殆んど取所のない有様で、当時日本国中の輿論は都て攘夷で、諸藩残らず攘夷藩で徳川幕府ばかりが開国論のように見えもすれば聞えもするようでありますけれども、正味の精神を吟味すれば天下随一の攘夷藩、西洋嫌いは徳川であると云て間違いはあるまい。或は後年に至て大老井伊掃部頭は開国論を唱えた人であるとか開国主義であったとか云うような事を、世間で吹聴する人もあれば書に著わした者もあるが、開国主義なんて大嘘の皮、何が開国論なものか、存じ掛けもない話だ。井伊掃部頭と云う人は純粋無雑、申分のない参河武士だ。江戸の大城炎上のとき幼君を守護して紅葉山に立退き、周囲に枯草の繁りたるを見て非常の最中不用心なりとて、親から腰の一刀を抜てその草を切払い、手に幼君を擁して終夜家外に立詰めなりしと云う話がある。又この人が京都辺の攘夷論者を捕縛して刑に処したることはあれども、是れは攘夷論を悪む為めではない、浮浪の処士が横議して徳川政府の政権を犯すが故にその罪人を殺したのである。
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福翁自伝・王政維新・洋行船中の談話夫れでも私に全く政治思想のないではない。例えば文久二年欧行の船中で松木弘安と箕作秋坪と私と三人、色々日本の時勢論を論じて、その時私が「ドウだ迚も幕府の一手持は六かしい、先ず諸大名を集めて独逸聯邦のようにしては如何と云うに、松木も箕作も、マアそんな事が穏かだろうと云う。夫れから段々身の上話に及んで、今日吾々共の思う通りを云えば、正米を年に二百俵貰うて親玉(将軍の事)の御師匠番になって、思う様に文明開国の説を吹込んで大変革をさして見たいと云うと、松木が手を拍て、左様だ/\、是れは遣て見たいと云たのは、松木の功名心もその時には二百俵の米を貰うて将軍に文明説を吹込むぐらいの事で、当時の洋学者の考は大抵皆大同小異、一身の為めに大きな事は考えない。後にその松木が寺島宗則となって、参議とか外務卿とか云う実際の国事に当たのは、実は本人の柄に於て商売違いであったと思います。 夫れは扨置き世の中の形勢を見れば、天下の浮浪即ち有志者は京都に集て居る。夫れから江戸の方では又幕府と云うものが勿論時の政府でリキンで居ると云う訳けで、日本の政治が東西二派に相分れて、勤王佐幕と云う二派の名が出来た。出来た所で、サア其処に至て私が如何するかと云うに、 第一、私は幕府の門閥圧制、鎖国士族が極々嫌いで之に力を尽す気はない。 第二、左ればとて彼の勤王家と云う一類を見れば、幕府より尚お一層甚だしい攘夷論で、こんな乱暴者を助ける気は固よりない。 第三、東西二派の理非曲直は姑く扨置き、男子が所謂宿昔青雲の志を達するは乱世に在り、勤王でも佐幕でも試みに当て砕けると云うが書生の事であるが、私にはその性質習慣がない。 今その次第を語りましょう。抑も私が始めて江戸に来た時からして幕府の人には感服しない。一寸と旗本御家人に出遇う所が、応接振りは上品で、田舎者と違い弁舌も好く行儀も立派であるが、何分にも外辺ばかりで、物事を微密に考える脳力もなければ又腕力も弱そうに見える、けれども先方は幕府の御直参、此方は又る影もない陪臣だから手の着けようもなく、旗本などに対してはその人の居ない処でも何様々々と尊敬して居るその塩梅式は、京都の御公卿様を取扱うように、唯見た所ばかりを丁寧にして心の中では見縊り抜て居た。
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福翁自伝・王政維新・幕府の攘夷主義(3)「成程、爾う云えば分らないことはないが、何分ドウも争と云う文字が穏かならぬ。是れではドウモ御老中方へ御覧に入れることが出来ないと、妙な事を云うその様子を見るに、経済書中に人間互に相譲るとか云うような文字が見たいのであろう。例えば商売をしながらも忠君愛国、国家の為めには無代価でも売るとか云うような意味が記してあったらば気に入るであろうが、夫れは出来ないから、「ドウも争と云う字が御差支ならば、外に飜訳の致しようもないから、丸で是れは削りましょうと云て、競争の文字を真黒に消して目録書を渡したことがある。この一事でも幕府全体の気風は推察が出来ましょう。夫れから又長州征伐のとき外国人は中々注意して居て、或時英人であったか米人であったか幕府に書翰を出し、長州の大名にドウ云う罪があって征伐するのだろうか、ソレを承りたいと云て来た。爾うするとその時の閣老役人達がいろ/\評議をしたと見え、長々と返辞を遣たその返辞の中に、開鎖論と云うことを頓と云わない。当りまえならば国を開いた今日、長州の大名は政府の命令を奉ぜずに外国人を敵視するとか、下ノ関で外国の船艦に発砲したからとか云いそうなものであるに、ソンな事は一言半句も云わないで、イヤどうも京都に暴れ込んだとか、或は勅命に戻り台命に背き、その罪南山の竹を尽すも数えがたしと云うような、漢学者流の文句をゴテ/″\書て遣た。私はその返辞を見て、コリャどうも仕様がない、表面には開国を装うて居るも、幕府は真実自分も攘夷が為たくて堪らないのだ、迚もモウ手の着けようのない政府だと、実に愛想が尽きて同情を表する気がない。
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