福翁自伝 / 再度米国行・穢多に革細工
之を喩えば革細工だから穢多にさせると云うと同じ事で、マア御同前は雪駄直しを見たような者だ。幕府の殿様方は汚い事が出来ない、幸い此処に革細工をする奴が居るからソレにさせろと云うので、デイ/\が大きな屋敷の御出入になったのと少しも変ったことはない。ソレに遠慮会釈も糸瓜も要るものか、颯々と打毀して遣れ。只此処で困るのは、誰が之を打毀すか、ソレに当惑して居る。乃公等は自分でその先棒になろうとは思わぬ。誰が之を打毀すか、之が大問題である。今の世間を見るに、之を毀そうと云て騒いで居るのは所謂浮浪の徒、即ち長州とか薩州とか云う攘夷藩の浪人共であるが、若しも彼の浪人共が天下を自由にするようになったら、ソレこそ徳川政府の攘夷に上塗りをする奴じゃないか。ソレよりもマダ今の幕府の方が勝しだ。けれども如何したって幕府は早晩倒さなければならぬ、唯差当り倒す人間がないから仕方なしに見て居るのだ。困た話ではないかなどゝ、且つ飲み且つ語り、部屋の中とは云いながら、人の出入りを止めるでもなし、傍若無人、大きな声でドシ/\論じて居たのだから、爾う云うような話もチラホラ重役の耳に聞えたことがあるに違いない。
書き下し
之を喩えば革細工だから穢多にさせると云うと同じ事で、マア御同前は雪駄直しを見たような者だ。幕府の殿様方は汚い事が出来ない、幸い此処に革細工をする奴が居るからソレにさせろと云うので、デイ/\が大きな屋敷の御出入になったのと少しも変ったことはない。ソレに遠慮会釈も糸瓜も要るものか、颯々と打毀して遣れ。只此処で困るのは、誰が之を打毀すか、ソレに当惑して居る。乃公等は自分でその先棒になろうとは思わぬ。誰が之を打毀すか、之が大問題である。今の世間を見るに、之を毀そうと云て騒いで居るのは所謂浮浪の徒、即ち長州とか薩州とか云う攘夷藩の浪人共であるが、若しも彼の浪人共が天下を自由にするようになったら、ソレこそ徳川政府の攘夷に上塗りをする奴じゃないか。ソレよりもマダ今の幕府の方が勝しだ。けれども如何したって幕府は早晩倒さなければならぬ、唯差当り倒す人間がないから仕方なしに見て居るのだ。困た話ではないかなどゝ、且つ飲み且つ語り、部屋の中とは云いながら、人の出入りを止めるでもなし、傍若無人、大きな声でドシ/\論じて居たのだから、爾う云うような話もチラホラ重役の耳に聞えたことがあるに違いない。
現代語訳
これをたとえて言えば、革細工だから穢多にさせるというのと同じことで、お互いは雪駄直しのような者だ。幕府の殿様方は汚いことができない、幸いここに革細工をする奴がいるからそれにさせろというので、いわば雪駄直しが大きな屋敷の出入りになったのと少しも変わらない。それなら遠慮会釈などいるものか、さっさと打ち壊してやれ。ただここで困るのは、誰がこれを打ち壊すかだ。それに当惑している。俺たちは自分でその先棒になろうとは思わない。誰がこれを壊すか、これが大問題である。今の世間を見ると、これを壊そうと騒いでいるのはいわゆる浮浪の徒、つまり長州とか薩州とかいう攘夷藩の浪人どもだが、もしあの浪人どもが天下を自由にするようになったら、それこそ徳川政府の攘夷に上塗りをする連中ではないか。それよりもまだ今の幕府のほうがましだ。けれどもどうしたって幕府は遅かれ早かれ倒さなければならない。ただ差し当たって倒す人間がないから、仕方なしに見ているのだ。困った話ではないか、などと、飲みつつ語り、部屋の中とはいえ、人の出入りを止めるでもなく、傍若無人に大きな声でどんどん論じていたのですから、そういう話もちらほら重役の耳に入ったに違いありません。
解説
この章句が説くこと
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