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福翁自伝 / 再度米国行・幕府人の無法を厭う、安いドルラル

それは扨置き、私の一身に就てその時甚だ穏かならぬ事があった、と云うのは私は幕府の用をして居るけれども、如何なこと幕府を佐けなければならぬとか云うような事を考えたことがない。私の主義にすれば第一鎖国が嫌い、古風の門閥無理圧制が大嫌いで、何でもこの主義に背く者は皆敵のように思うから、此方が思う通りに、先方の鎖国家古風家も亦洋学者を外道のように悪むだろう。所で私が幕府の様子を見るに、全く古風のそのまゝで、少しも開国主義と思われない、自由主義と見えない。例えば年来、政府の御用達は三井八郎右衛門で、政府の用を聞くのみならず、役人等の私用をも周旋するの慣行でした。ソコで今度の米国行に付ても、役人が幕府から手当の金を一歩銀で請取れば、亜米利加に行くときには之を洋銀の弗に替えなければならぬ。然るにその時は弗相場の毎日変化する最中で、両替が甚だ面倒である。スルト一行中の或る役人が三井の手代を横浜の旅宿に呼出し、色々弗の相場を聞糺して扨云うよう、「成程昨今の弗は安くない、併し三井にはズットその前安い時に買入れた弗もあるだろう、拙者のこの一歩銀はその安い弗と両替して貰いたいと云うと、三井の手代は平伏して、畏りました、お安い弗と両替いたしましょうと云て、幾らか割合を安くして弗を持て来た。私は傍に居てこの様子を見て居て「ドウモ無鉄砲な事を言う奴だ、金の両替をするに、安いときに買入れた金と云て、ドウ云う印があるか、安いも高いもその日の相場に定まったものを、夫れを相場外れにせよと云いながら、愧る気色もなく平気な顔をして居るのみならず、その人の平生も賤しからぬ立派な士君子であるとは驚いた。又三井の手代も算盤を知るまいことか、チャント知て居ながら平気で損をして何とも云わぬ。畢竟人の罪でない、時の気風の然らしむる所、腐敗の極度だ、こんな政府の立行こう筈はないと思たことがある。

書き下し

それは扨置き、私の一身に就てその時甚だ穏かならぬ事があった、と云うのは私は幕府の用をして居るけれども、如何なこと幕府を佐けなければならぬとか云うような事を考えたことがない。私の主義にすれば第一鎖国が嫌い、古風の門閥無理圧制が大嫌いで、何でもこの主義に背く者は皆敵のように思うから、此方が思う通りに、先方の鎖国家古風家も亦洋学者を外道のように悪むだろう。所で私が幕府の様子を見るに、全く古風のそのまゝで、少しも開国主義と思われない、自由主義と見えない。例えば年来、政府の御用達は三井八郎右衛門で、政府の用を聞くのみならず、役人等の私用をも周旋するの慣行でした。ソコで今度の米国行に付ても、役人が幕府から手当の金を一歩銀で請取れば、亜米利加に行くときには之を洋銀の弗に替えなければならぬ。然るにその時は弗相場の毎日変化する最中で、両替が甚だ面倒である。スルト一行中の或る役人が三井の手代を横浜の旅宿に呼出し、色々弗の相場を聞糺して扨云うよう、「成程昨今の弗は安くない、併し三井にはズットその前安い時に買入れた弗もあるだろう、拙者のこの一歩銀はその安い弗と両替して貰いたいと云うと、三井の手代は平伏して、畏りました、お安い弗と両替いたしましょうと云て、幾らか割合を安くして弗を持て来た。私は傍に居てこの様子を見て居て「ドウモ無鉄砲な事を言う奴だ、金の両替をするに、安いときに買入れた金と云て、ドウ云う印があるか、安いも高いもその日の相場に定まったものを、夫れを相場外れにせよと云いながら、愧る気色もなく平気な顔をして居るのみならず、その人の平生も賤しからぬ立派な士君子であるとは驚いた。又三井の手代も算盤を知るまいことか、チャント知て居ながら平気で損をして何とも云わぬ。畢竟人の罪でない、時の気風の然らしむる所、腐敗の極度だ、こんな政府の立行こう筈はないと思たことがある。

現代語訳

それはさておき、私の一身についてそのとき、はなはだ穏やかでないことがありました。というのは、私は幕府の用をしているけれども、どうしても幕府を助けなければならないというようなことを考えたことがありません。私の主義からいえば、第一に鎖国が嫌い、古風な門閥や無理な圧制が大嫌いで、この主義に背く者はみな敵のように思うので、こちらがそう思うとおりに、先方の鎖国家や古風な人々もまた洋学者を外道のように憎むでしょう。ところで私が幕府の様子を見ると、まったく古風のままで、少しも開国主義と思われない、自由主義とは見えません。たとえば年来、政府の御用達は三井八郎右衛門で、政府の用を聞くだけでなく、役人たちの私用をも周旋するのが慣行でした。そこで今度の米国行きについても、役人が幕府から手当の金を一歩銀で受け取れば、アメリカに行くときにはこれを洋銀のドルに替えなければなりません。ところがそのときはドル相場が毎日変動している最中で、両替が非常に面倒でした。すると、一行中のある役人が三井の手代を横浜の旅宿に呼び出し、いろいろドルの相場を聞きただしたうえで言うには、「なるほど近ごろのドルは安くないが、しかし三井にはずっと前の安い時に買い入れたドルもあるだろう、拙者のこの一歩銀は、その安いドルと両替してもらいたい」と言うと、三井の手代は平伏して、「かしこまりました、お安いドルと両替いたしましょう」と言って、いくらか割合を安くしてドルを持ってきました。私は傍にいてこの様子を見ていて、「どうも無鉄砲なことを言う奴だ。金の両替をするのに、安い時に買い入れた金といって、どういう印があるか。安いも高いもその日の相場に決まったものを、それを相場外れにせよと言いながら、恥じる気色もなく平気な顔をしているばかりか、その人の平生も賤しからぬ立派な士君子であるとは驚いた。また三井の手代も算盤を知らないはずはない、ちゃんと知っていながら平気で損をして何とも言わない。結局、人の罪ではない、時の気風がそうさせるところ、腐敗の極みだ。こんな政府が立ち行くはずはない」と思ったことがあります。

解説

幕府の用をしつつも、福沢は幕府を助けようとは思っていませんでした。その理由が、役人が三井の手代に、安いときのドルと両替しろと無理を言う光景に表れています。相場は日々決まるものなのに、地位の力で相場外れの条件を押し付けることが、平然とまかり通る。業者も黙って損を引き受ける。福沢はこれを個人の罪ではなく、時代の気風だと見て、政府はもたないと予感しました。権力による不当な取引が当たり前になった組織は、内側から崩れていきます。

この章句が説くこと

幕府三井両替相場腐敗門閥

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