福翁自伝 / 再度米国行・御国益論に抵抗す
夫れから私共が亜米利加に行た所で、その時に日本は国事多端の折柄、徳川政府の方針に万事倹約は勿論、仮令い政府であろうとも利益あることには着手せねばならぬと云うので、その掛の役人を命じて御国益掛と云うものが出来た。種々様々な新工夫の新策を奉る者があれば、ソレを政府に採用していろ/\な工夫をする。例えば江戸市中の何処の所に掘割をして通船の運上を取るが宜しいと云う者もあり、又或は新川に這入る酒に税を課したら宜かろうとか、何処の原野の開墾を引受けてソレで幾らかの運上を納めようと云う者もあり、又或る時江戸市中の下肥を一手に任せてその利益を政府に占めようではないかと云う説が起た。スルト或る洋学者が大に気を吐て、政府が差配人を無視して下肥の利を専らにせんとは、是れは所謂圧制政府である、昔し/\亜米利加国民はその本国英の政府より輸入の茶に課税したるを憤り、貴婦人達は一切茶を喫ずして茶話会の楽しみをも廃したと云うことを聞た、左れば吾々もこの度は米国人の顰に傚い、一切上を廃して政府を困らして遣ろうではないか、この発案の可否如何とて、一座大笑を催したことがある。政府の事情が凡そ斯う云う風であるから、今度の一行中にも例の御国益掛の人が居て、その人の腹案に、今後日本にも次第に洋学が開けて原書の価は次第に高くなるに違いない、依て今この原書を買て持て帰て売たら何分かの御国益になろうと云うので、私にその買入方を内命したから、私が容易に承知しない。「原書買入は甚だ宜しい。日本には原書が払底であるから一冊でも余計に輸入したいと思う所に、幸なる哉、今度米国に来て官金を以て沢山に買入れ、日本に持て帰て原価でドシ/\売て遣ろう、左様なれば誠に難有い。如何ようにも勉強して、安いもの適当なものを買入れよう。この儀は如何で御座ると尋れば、「イヤ左様でない、自から御国益にする積りだと云う。「左すれば政府は商売をするのだ。私は商売の宰取りをする為めに来たのではない、けれども政府が既に商売をすると切て出れば、私も商人になりましょう。左る代りにコンミツション(手数料)を思うさま取るがドウだ。何れでも宜しい、政府が買た儘の価で売て呉れると云えば、私はどんなにでも骨を折て、本を吟味して値切り値切て安く買うて売て遣るようにするが、政府が儲けると云えば、政府にばかり儲けさせない、私も一緒に儲ける。サア爰が官商分れ目だ。如何で御座ると捩り込んで、大変喧しい事になって、大に重役の歓心を失うて仕舞たが、今日より考えれば事の是非に拘わらず、随行の身分にして甚だ宜くない事だと思います。
書き下し
夫れから私共が亜米利加に行た所で、その時に日本は国事多端の折柄、徳川政府の方針に万事倹約は勿論、仮令い政府であろうとも利益あることには着手せねばならぬと云うので、その掛の役人を命じて御国益掛と云うものが出来た。種々様々な新工夫の新策を奉る者があれば、ソレを政府に採用していろ/\な工夫をする。例えば江戸市中の何処の所に掘割をして通船の運上を取るが宜しいと云う者もあり、又或は新川に這入る酒に税を課したら宜かろうとか、何処の原野の開墾を引受けてソレで幾らかの運上を納めようと云う者もあり、又或る時江戸市中の下肥を一手に任せてその利益を政府に占めようではないかと云う説が起た。スルト或る洋学者が大に気を吐て、政府が差配人を無視して下肥の利を専らにせんとは、是れは所謂圧制政府である、昔し/\亜米利加国民はその本国英の政府より輸入の茶に課税したるを憤り、貴婦人達は一切茶を喫ずして茶話会の楽しみをも廃したと云うことを聞た、左れば吾々もこの度は米国人の顰に傚い、一切上を廃して政府を困らして遣ろうではないか、この発案の可否如何とて、一座大笑を催したことがある。政府の事情が凡そ斯う云う風であるから、今度の一行中にも例の御国益掛の人が居て、その人の腹案に、今後日本にも次第に洋学が開けて原書の価は次第に高くなるに違いない、依て今この原書を買て持て帰て売たら何分かの御国益になろうと云うので、私にその買入方を内命したから、私が容易に承知しない。「原書買入は甚だ宜しい。日本には原書が払底であるから一冊でも余計に輸入したいと思う所に、幸なる哉、今度米国に来て官金を以て沢山に買入れ、日本に持て帰て原価でドシ/\売て遣ろう、左様なれば誠に難有い。如何ようにも勉強して、安いもの適当なものを買入れよう。この儀は如何で御座ると尋れば、「イヤ左様でない、自から御国益にする積りだと云う。「左すれば政府は商売をするのだ。私は商売の宰取りをする為めに来たのではない、けれども政府が既に商売をすると切て出れば、私も商人になりましょう。左る代りにコンミツション(手数料)を思うさま取るがドウだ。何れでも宜しい、政府が買た儘の価で売て呉れると云えば、私はどんなにでも骨を折て、本を吟味して値切り値切て安く買うて売て遣るようにするが、政府が儲けると云えば、政府にばかり儲けさせない、私も一緒に儲ける。サア爰が官商分れ目だ。如何で御座ると捩り込んで、大変喧しい事になって、大に重役の歓心を失うて仕舞たが、今日より考えれば事の是非に拘わらず、随行の身分にして甚だ宜くない事だと思います。
現代語訳
さて、私たちがアメリカに行ったときのことです。当時の日本は国事多難のさなかで、徳川政府の方針も万事倹約はもちろん、たとえ政府であっても利益のあることには手を付けねばならぬというので、その担当の役人として御国益掛というものができました。さまざまな新しい工夫や新策を差し出す者があれば、それを政府が採用していろいろ試みます。たとえば、江戸市中のどこそこに掘割を造って通船の運上金を取るのがよいという者もあり、新川に入る酒に税をかけたらよいという者もあり、どこそこの原野の開墾を引き受けていくらか運上を納めようという者もあり、またあるとき、江戸市中の下肥を一手に引き受けてその利益を政府が占めようではないか、という説が出ました。するとある洋学者が大いに気を吐いて、政府が差配人を無視して下肥の利益を独占しようとは、これこそいわゆる圧制政府である、昔、アメリカの国民は本国イギリスの政府が輸入の茶に課税したのを憤り、貴婦人たちは一切茶を飲まず、茶話会の楽しみまで廃したと聞いている、それならば我々もこのたびはアメリカ人にならって、一切下肥を使わず政府を困らせてやろうではないか、この発案の可否はいかが、と言って、一座は大笑いになったことがあります。政府の事情がおよそこういう調子ですから、今度の一行の中にも例の御国益掛の人がいて、その人の腹案に、今後日本でも次第に洋学が開けて原書の値段は次第に高くなるに違いない、いまこの原書を買って持ち帰って売れば、いくらか国の利益になるだろうというので、私にその買い入れを内々に命じました。ところが私は容易に承知しません。「原書を買い入れることは大変結構です。日本には原書が不足していますから、一冊でも余計に輸入したいと思っているところへ、幸いにも今度アメリカに来て官金で沢山買い入れ、日本に持ち帰って原価でどんどん売ってやろうというのなら、誠にありがたい。どのようにでも努力して、安くて適切なものを買い入れましょう。このことはいかがでしょうか」と尋ねると、「いや、そうではない、自分から国益にするつもりだ」と言います。「それなら政府は商売をするのだ。私は商売の仲買をするために来たのではないが、政府がすでに商売をすると出てくるなら、私も商人になりましょう。そのかわり、コンミッション(手数料)を思うさま取るがどうだ。どちらでもよろしい。政府が買った値のまま売ってくださるというなら、私はどんなにでも骨を折って、本を吟味し値切りに値切って安く買って売ってあげますが、政府が儲けるというなら、政府にばかり儲けさせない、私も一緒に儲ける。さあここが官と商の分かれ目だ、どうですか」とねじ込んで、大変やかましいことになり、大いに重役の歓心を失ってしまいました。今日から考えれば、事の是非にかかわらず、随行の身分としてはなはだよくないことだったと思います。
解説
この章句が説くこと
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