学問のすゝめ / 二編・人は同等なること・御国恩とは何事をさすや
しかるに幕府のとき政府のことをお上様と唱え、お上の御用とあればばかに威光を振るうのみならず、道中の旅籠までもただ食い倒し、川場に銭を払わず、人足に賃銭を与えず、はなはだしきは旦那が人足をゆすりて酒代を取るに至れり。沙汰の限りと言うべし。あるいは殿様のものずきにて普請をするか、または役人の取り計らいにていらざる事を起こし、無益に金を費やして入用不足すれば、いろいろ言葉を飾りて年貢を増し御用金を言いつけ、これを御国恩に報ゆると言う。そもそも御国恩とは何事をさすや。百姓・町人らが安穏に家業を営み、盗賊・人殺しの心配もなくして渡世するを、政府の御恩と言うことなるべし。もとよりかく安穏に渡世するは政府の法あるがためなれども、法を設けて人民を保護するはもと政府の商売柄にて当然の職分なり。
書き下し
しかるに幕府のとき、政府のことをお上様と唱え、お上の御用とあればばかに威光を振るうのみならず、道中の旅籠までもただ食い倒し、川場に銭を払わず、人足に賃銭を与えず、はなはだしきは旦那が人足をゆすりて酒代を取るに至れり。沙汰の限りと言うべし。あるいは殿様のものずきにて普請をするか、または役人の取り計らいにていらざる事を起こし、無益に金を費やして入用不足すれば、いろいろ言葉を飾りて年貢を増し御用金を言いつけ、これを御国恩に報ゆると言う。そもそも御国恩とは何事をさすや。百姓・町人らが安穏に家業を営み、盗賊・人殺しの心配もなくして渡世するを、政府の御恩と言うことなるべし。もとよりかく安穏に渡世するは政府の法あるがためなれども、法を設けて人民を保護するは、もと政府の商売柄にて当然の職分なり。
現代語訳
ところが幕府のときは、政府のことをお上様と呼び、お上の御用とあれば大いに威光を振るうだけでなく、道中の宿屋までただ食いし、渡し場で銭を払わず、人足に賃金を払わず、ひどい場合には旦那が人足をゆすって酒代を取るに至りました。沙汰の限りと言うべきです。あるいは殿様の物好きで普請をするか、役人の計らいで無用のことを起こし、無駄に金を使って費用が足りなくなれば、いろいろ言葉を飾って年貢を増やし御用金を言いつけ、これを御国恩に報いることだと言います。そもそも御国恩とは何を指すのでしょうか。百姓や町人が安穏に家業を営み、盗賊や人殺しの心配なく暮らしを立てていることを、政府の御恩と言うのでしょう。もちろんこうして安穏に暮らせるのは政府の法があるからですが、法を設けて人民を保護するのは、もともと政府の商売であって当然の職分です。
解説

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