福翁自伝 / 攘夷論・剣術の全盛
兎に角に癸亥の前後と云うものは、世の中は唯無闇に武張るばかり。その武張ると云うのも自から由来がある。徳川政府は行政外交の局に当て居るから拠ろなく開港説――開国論を云わなければならぬ、又行わなければならぬ、けれどもその幕臣全体の有様はドウだと云うと、ソリャ鎖国家の巣窟と云ても宜い有様で、四面八方ドッチを見ても洋学者などの頭を擡げる時代でない。当時少しく世間に向くような人間は悉く長大小を横える。夫れから江戸市中の剣術家は幕府に召出されて巾を利かせて、剣術大流行の世の中になると、その風は八方に伝染して坊主までも体度を改めて来た。元来その坊主と云うものは城内に出仕して大名旗本の給仕役を勤める所謂茶道坊主であるから、平生は短い脇差を挟して大名に貰た縮緬の羽織を着てチョコ/\歩くと云うのが是れが坊主の本分であるのに、世間が武張るとこの茶道坊主までが妙な風になって、長い脇差を挟して坊主頭を振り立てゝ居る奴がある。又当時流行の羽織はどうだと云うと、御家人旗本の間には黄平の羽織に漆紋、それは昔し/\家康公が関ヶ原合戦の時に着て夫れから水戸の老公が始終ソレを召して居たとかと云うような云伝えで、ソレが武家社会一面の大流行。ソレカラ江戸市中七夕の飾りには、笹に短冊を付けて西瓜の切とか瓜の張子とか団扇とか云うものを吊すのが江戸の風である。所が武道一偏、攘夷の世の中であるから、張子の太刀とか兜とか云うようなものを吊すようになって、全体の人気がすっかり昔の武士風になって仕舞た。迚も是れでは寄付きようがない。
書き下し
兎に角に癸亥の前後と云うものは、世の中は唯無闇に武張るばかり。その武張ると云うのも自から由来がある。徳川政府は行政外交の局に当て居るから拠ろなく開港説――開国論を云わなければならぬ、又行わなければならぬ、けれどもその幕臣全体の有様はドウだと云うと、ソリャ鎖国家の巣窟と云ても宜い有様で、四面八方ドッチを見ても洋学者などの頭を擡げる時代でない。当時少しく世間に向くような人間は悉く長大小を横える。夫れから江戸市中の剣術家は幕府に召出されて巾を利かせて、剣術大流行の世の中になると、その風は八方に伝染して坊主までも体度を改めて来た。元来その坊主と云うものは城内に出仕して大名旗本の給仕役を勤める所謂茶道坊主であるから、平生は短い脇差を挟して大名に貰た縮緬の羽織を着てチョコ/\歩くと云うのが是れが坊主の本分であるのに、世間が武張るとこの茶道坊主までが妙な風になって、長い脇差を挟して坊主頭を振り立てゝ居る奴がある。又当時流行の羽織はどうだと云うと、御家人旗本の間には黄平の羽織に漆紋、それは昔し/\家康公が関ヶ原合戦の時に着て夫れから水戸の老公が始終ソレを召して居たとかと云うような云伝えで、ソレが武家社会一面の大流行。ソレカラ江戸市中七夕の飾りには、笹に短冊を付けて西瓜の切とか瓜の張子とか団扇とか云うものを吊すのが江戸の風である。所が武道一偏、攘夷の世の中であるから、張子の太刀とか兜とか云うようなものを吊すようになって、全体の人気がすっかり昔の武士風になって仕舞た。迚も是れでは寄付きようがない。
現代語訳
ともかく癸亥の前後というものは、世の中はただむやみに武張るばかりでした。その武張るというのも自然に由来があります。徳川政府は行政外交の局に当たっているので、やむを得ず開港説、つまり開国論を言わなければならず、また行わなければなりません。けれどもその幕臣全体のありさまはどうかというと、それは鎖国家の巣窟といってもよい有様で、四方八方どちらを見ても洋学者などが頭をもたげる時代ではありません。当時、少しでも世間に目立とうとする人間は、みな長い大小を差します。それから江戸市中の剣術家は幕府に召し出されて幅を利かせ、剣術大流行の世の中になると、その風は八方に伝染して、坊主までも態度を改めてきました。もともとその坊主というものは、城内に出仕して大名や旗本の給仕役を務める、いわゆる茶道坊主であるから、ふだんは短い脇差を差して、大名からもらった縮緬の羽織を着てちょこちょこ歩くというのが坊主の本分であるのに、世間が武張るとこの茶道坊主までが妙な風になって、長い脇差を差して、坊主頭を振り立てている者もいる。また当時流行の羽織はどうかというと、御家人や旗本の間では黄平の羽織に漆紋、それは昔々、家康公が関ヶ原の合戦のときに着て、それから水戸の老公がいつも召していたとかいうような言い伝えで、それが武家社会一面に大流行。それから、江戸市中の七夕の飾りには、笹に短冊をつけて、西瓜の切れや瓜の張り子や団扇というものを吊すのが江戸の風ですが、武道一辺倒で攘夷の世の中であるから、張り子の太刀や兜というようなものを吊すようになって、全体の人気がすっかり昔の武士風になってしまいました。とてもこれでは寄りつきようがありません。
解説
この章句が説くこと
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