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福翁自伝 / 攘夷論・夢中で錨を還す

その錨を切たと云うことは清水卯三郎が船に乗て見て居たばかりで薩摩の人は多分知らない。ソレカラ清水が薩摩の人に遇て、那の時に英艦の方では錨を切たのだから拾い挙げて置たら宜かろうと云た所が、薩摩でも余り気に留めなかったと見えて、その錨は何でも漁夫が挙げたと云う話だ。ソレで錨は薩摩の手に這入たが、二万五千磅の金を渡して和睦をしたその時に、英人が手軽に錨を還して貰いたいと云うと、易い事だと云て何とも思わずに古鉄でも渡す積りで返して仕舞た様子だが、前にも云う通り戦争の負勝は分らなかったのでしょう、何方が勝たでもない、錨を切て将官が二人死んで水兵は上陸も出来ずに帰たと云えばマア負師、夫れから又薩摩の方も陸を荒されて居ながら帰て行く船を追蒐けて行くこともせず打遣って置たのみならず、戦争の翌朝英艦から陸に向て発砲しても陸から応砲もせぬと云えばこりゃ薩摩の負師のように当る、勝たと云えば何方も勝た、負けたと云えば何方も負けた、詰り勝負なしとした所で、何でも錨と云うものは大事な物である、ソレを浮か/\と還して仕舞たと云うのは誠に馬鹿げた話だけれども、当時の日本人が国際法と云うことを知らないのはマアこの位なもので、加之ならず本来今度の生麦事件で英国が一私人殺害の為めに大層な事を日本政府に云掛けて、到頭十二万五千磅取たと云うのは理か非か、甚だ疑わしい。三十余年前の時節柄とは云え、吾々日本人は今日に至るまでも不平である。夫れから薩摩から戦の日延べを云出したその時に、英公使の云振りが威嚇したにも威嚇さぬにもマア大変な剣幕で、悪く云えば日本人はその威嚇を喰たようなもので、必竟何も知らずに夢中でこの事が終て仕舞た。今ならばこんな馬鹿げた事は勿論なかろうが、既にその時にも亜米利加人などは日本政府で払わなければ宜いがと云て居たことがある。英公使は威嚇し抜て、その上に仏蘭西のミニストルなどが横合から出て威張るなんと云うのは、丸で狂気の沙汰で訳けが分らない。ソレで事が済んだのは今更ら何とも評論のしようがない。

書き下し

その錨を切たと云うことは清水卯三郎が船に乗て見て居たばかりで薩摩の人は多分知らない。ソレカラ清水が薩摩の人に遇て、那の時に英艦の方では錨を切たのだから拾い挙げて置たら宜かろうと云た所が、薩摩でも余り気に留めなかったと見えて、その錨は何でも漁夫が挙げたと云う話だ。ソレで錨は薩摩の手に這入たが、二万五千磅の金を渡して和睦をしたその時に、英人が手軽に錨を還して貰いたいと云うと、易い事だと云て何とも思わずに古鉄でも渡す積りで返して仕舞た様子だが、前にも云う通り戦争の負勝は分らなかったのでしょう、何方が勝たでもない、錨を切て将官が二人死んで水兵は上陸も出来ずに帰たと云えばマア負師、夫れから又薩摩の方も陸を荒されて居ながら帰て行く船を追蒐けて行くこともせず打遣って置たのみならず、戦争の翌朝英艦から陸に向て発砲しても陸から応砲もせぬと云えばこりゃ薩摩の負師のように当る、勝たと云えば何方も勝た、負けたと云えば何方も負けた、詰り勝負なしとした所で、何でも錨と云うものは大事な物である、ソレを浮か/\と還して仕舞たと云うのは誠に馬鹿げた話だけれども、当時の日本人が国際法と云うことを知らないのはマアこの位なもので、加之ならず本来今度の生麦事件で英国が一私人殺害の為めに大層な事を日本政府に云掛けて、到頭十二万五千磅取たと云うのは理か非か、甚だ疑わしい。三十余年前の時節柄とは云え、吾々日本人は今日に至るまでも不平である。夫れから薩摩から戦の日延べを云出したその時に、英公使の云振りが威嚇したにも威嚇さぬにもマア大変な剣幕で、悪く云えば日本人はその威嚇を喰たようなもので、必竟何も知らずに夢中でこの事が終て仕舞た。今ならばこんな馬鹿げた事は勿論なかろうが、既にその時にも亜米利加人などは日本政府で払わなければ宜いがと云て居たことがある。英公使は威嚇し抜て、その上に仏蘭西のミニストルなどが横合から出て威張るなんと云うのは、丸で狂気の沙汰で訳けが分らない。ソレで事が済んだのは今更ら何とも評論のしようがない。

現代語訳

その錨を切ったということは、清水卯三郎が船に乗って見ていただけで、薩摩の人はおそらく知りません。それから清水が薩摩の人に会って、あのときイギリス艦の方では錨を切ったのだから、拾い上げておいたらよかろうと言ったところ、薩摩でもあまり気に留めなかったと見えて、その錨は何でも漁師が引き上げたという話です。それで錨は薩摩の手に入りましたが、二万五千ポンドの金を渡して和睦をしたとき、イギリス人が手軽に錨を返してもらいたいと言うと、易いことだと言って何とも思わずに、古鉄でも渡すつもりで返してしまった様子ですが、前にも言うとおり、戦争の勝ち負けはわからなかったのでしょう。どちらが勝ったのでもない。錨を切って将官が二人死に、水兵は上陸もできずに帰ったといえば、まあイギリスの負けです。それからまた、薩摩の方も陸を荒らされていながら、帰っていく船を追いかけることもせず、うち捨てておいたばかりか、戦争の翌朝にイギリス艦から陸に向かって発砲しても、陸から応砲もしなかったといえば、これは薩摩の負けのようにも当たります。勝ったといえばどちらも勝った、負けたといえばどちらも負けた、結局勝負なしとしたところで、何しろ錨というものは大事な物です。それをうかうかと返してしまったというのは本当に馬鹿げた話ですが、当時の日本人が国際法ということを知らないのは、まあこの程度のもので、そればかりか、もともと今度の生麦事件でイギリスが一私人の殺害のために大層なことを日本政府に言いがかり、ついに十二万五千ポンドを取ったというのは、理か非か甚だ疑わしい。三十余年前の時節柄とはいえ、私たち日本人は今日に至るまで不平です。それから薩摩から戦いの日延べを言い出したとき、イギリス公使の言い振りは威嚇したにもしないにも、大変な剣幕で、悪く言えば日本人はその威嚇を食ったようなもので、結局何も知らず、夢中でこの事が終わってしまいました。今ならばこんな馬鹿げたことはもちろんないでしょうが、すでにそのときにもアメリカ人などは、日本政府で払わなければよいが、と言っていたことがあります。イギリス公使は威嚇し抜いて、そのうえにフランス公使などが横合いから出て威張るなどというのは、まるで狂気の沙汰で、わけがわかりません。それで事が済んだのは、今さらなんとも評論のしようがありません。

解説

薩英戦争の後始末で、日本側が国際法を知らず、相手の威嚇に押し流されたことへの福沢の悔しさが出ています。英艦の錨を古鉄のように返してしまった例は、交渉の持ち札の価値を見誤った象徴です。福沢はさらに、一私人の殺害に対する十二万五千ポンドの賠償が妥当かを、三十年経った今も疑っています。知識が不足すると、相手の言い値が正当かどうかも判断できません。契約や交渉の場面で、ルールの知識が自分を守る盾になることを改めて示す一節です。

この章句が説くこと

錨国際法威嚇賠償金交渉無知

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