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福翁自伝 / 攘夷論・鹿児島湾の戦争

幕府に要求した十万磅の償金は五月十日に片付て、夫れから今度はその英軍艦が鹿児島に行て、被害者遺族の手当として二万五千磅を要求し、且つその罪人を英国人の見て居る所で死刑に処せよと云う掛合の為めに、六艘の軍艦は鹿児島湾に廻て錨を卸した。スルト薩摩藩から直ちに来意訪問の使者が来る。英の旗艦の水師提督はクーパー、司令長官はウ※ルモット、船長はジヨスリングと云う人で、書翰を薩摩の役人に渡し、応否の返答如何と待て居る。所がなか/\容易な事に返辞が出来ない。ソレコレする中に薩摩に西洋形の船、即ち西洋から薩摩藩に買取た船が二艘あるその二艘の船を談判の抵当に取ると云う趣意で、桜島の側に碇泊してあった二艘の船を英の軍艦が引張て来ると云う手詰の場合になった。スルト陸の方からこの様子を見ていよ/\発砲し始めて、陸から発砲すれば海からも発砲して、ドン/″\大合戦になった、と云うのが丁度文久三年五月下旬、何でも二十八、九日頃である。その時に英の旗艦はマダ陸からは発砲しないことゝ思て錨を挙げずに居た所が、俄に陸の方で撃始めたものだから、サア錨を上げようとすると生憎その時は大変な暴風、加うるに海が最も深いからドウも錨を上げる遑がないと云うので、錨の鎖を切て夫れから運動するようになった。是れが例の英吉利の軍艦の錨が薩摩の手に入た由来である。ソコで陸から打つ鉄砲もなか/\エライ、専ら旗艦を狙うて命中するものも多いその中に、大きな丸い破裂弾が旨く発して怪我人が出来た中に、司令長官と甲比丹と二人の将官が即死して船中の騒動、又船から陸に向ての砲撃もなか/\劇しく、海岸の建物は大抵焼払うて是れも容易ならぬ損害であったが、詰る所、勝負なしの戦争と云うのは、薩摩の方は英吉利の軍艦を撃て二人の将官まで殺したけれどもその船を如何することも出来ない、又軍艦の方でも陸を焼払うて随分荒したことは荒したけれども上陸することは出来ない、双方共に勝ちも負けもせずに、英の軍艦が横浜に帰たのは六月十日前の頃であったが、その時に面白い話がある。戦争の済んだ後で彼の旗艦に命中した破裂弾の砕片を見て、船中の英人等が頻りに語り合うに、「こんな弾丸が日本で出来る訳はない。イヤ能く見れば露西亜製のものじゃ。露西亜から日本に送ったのであろうなどゝ評議区々なりしと云う。当時クリミヤ戦争の当分ではあるし、元来英吉利と露西亜との間柄は犬と猿のようで、相互に色々な猜疑心がある。今日に至るまでも仲は好くないように見える。

書き下し

幕府に要求した十万磅の償金は五月十日に片付て、夫れから今度はその英軍艦が鹿児島に行て、被害者遺族の手当として二万五千磅を要求し、且つその罪人を英国人の見て居る所で死刑に処せよと云う掛合の為めに、六艘の軍艦は鹿児島湾に廻て錨を卸した。スルト薩摩藩から直ちに来意訪問の使者が来る。英の旗艦の水師提督はクーパー、司令長官はウ※ルモット、船長はジヨスリングと云う人で、書翰を薩摩の役人に渡し、応否の返答如何と待て居る。所がなか/\容易な事に返辞が出来ない。ソレコレする中に薩摩に西洋形の船、即ち西洋から薩摩藩に買取た船が二艘あるその二艘の船を談判の抵当に取ると云う趣意で、桜島の側に碇泊してあった二艘の船を英の軍艦が引張て来ると云う手詰の場合になった。スルト陸の方からこの様子を見ていよ/\発砲し始めて、陸から発砲すれば海からも発砲して、ドン/″\大合戦になった、と云うのが丁度文久三年五月下旬、何でも二十八、九日頃である。その時に英の旗艦はマダ陸からは発砲しないことゝ思て錨を挙げずに居た所が、俄に陸の方で撃始めたものだから、サア錨を上げようとすると生憎その時は大変な暴風、加うるに海が最も深いからドウも錨を上げる遑がないと云うので、錨の鎖を切て夫れから運動するようになった。是れが例の英吉利の軍艦の錨が薩摩の手に入た由来である。ソコで陸から打つ鉄砲もなか/\エライ、専ら旗艦を狙うて命中するものも多いその中に、大きな丸い破裂弾が旨く発して怪我人が出来た中に、司令長官と甲比丹と二人の将官が即死して船中の騒動、又船から陸に向ての砲撃もなか/\劇しく、海岸の建物は大抵焼払うて是れも容易ならぬ損害であったが、詰る所、勝負なしの戦争と云うのは、薩摩の方は英吉利の軍艦を撃て二人の将官まで殺したけれどもその船を如何することも出来ない、又軍艦の方でも陸を焼払うて随分荒したことは荒したけれども上陸することは出来ない、双方共に勝ちも負けもせずに、英の軍艦が横浜に帰たのは六月十日前の頃であったが、その時に面白い話がある。戦争の済んだ後で彼の旗艦に命中した破裂弾の砕片を見て、船中の英人等が頻りに語り合うに、「こんな弾丸が日本で出来る訳はない。イヤ能く見れば露西亜製のものじゃ。露西亜から日本に送ったのであろうなどゝ評議区々なりしと云う。当時クリミヤ戦争の当分ではあるし、元来英吉利と露西亜との間柄は犬と猿のようで、相互に色々な猜疑心がある。今日に至るまでも仲は好くないように見える。

現代語訳

幕府に要求した十万ポンドの償金は五月十日に片付き、それから今度は、そのイギリス軍艦が鹿児島に行き、被害者遺族の手当として二万五千ポンドを要求し、かつその罪人をイギリス人の見ている所で死刑にせよという掛け合いのために、六艘の軍艦が鹿児島湾に回って錨を下ろしました。すると薩摩藩からただちに来意を尋ねる使者が来ます。イギリスの旗艦の提督はクーパー、司令長官はウィルモット、船長はジョスリングという人で、書簡を薩摩の役人に渡し、応じるか否かの返答を待っています。ところがなかなか容易に返事ができません。そうこうするうちに、薩摩に西洋型の船、つまり西洋から薩摩藩が買い取った船が二艘あり、その二艘を談判の抵当に取るという趣旨で、桜島のそばに停泊していた二艘の船をイギリスの軍艦が引っ張ってくるという切迫した場合になりました。すると陸の方からこの様子を見ていよいよ発砲し始め、陸から発砲すれば海からも発砲して、どんどん大合戦になった。それがちょうど文久三年五月下旬、たしか二十八、九日ごろです。そのときイギリスの旗艦はまだ陸からは発砲しないだろうと思って錨を上げずにいたところ、急に陸の方で撃ち始めたので、さあ錨を上げようとするとあいにくそのときは大変な暴風、そのうえ海が非常に深くてとても錨を上げる暇がないというので、錨の鎖を切ってそれから動くことになりました。これが、例のイギリスの軍艦の錨が薩摩の手に入った由来です。そこで陸から撃つ鉄砲もなかなかすごく、とくに旗艦を狙って命中するものも多いなかで、大きな丸い破裂弾がうまく炸裂して怪我人が出た中に、司令長官と艦長の二人の将官が即死し、船中は大騒ぎ。また船から陸に向けての砲撃もなかなか激しく、海岸の建物はたいてい焼き払い、これも容易ならぬ損害でしたが、結局、勝負なしの戦争というのは、薩摩の方はイギリスの軍艦を撃って二人の将官まで殺したけれども、その船をどうすることもできず、軍艦の方でも陸を焼き払ってずいぶん荒らしたことは荒らしたけれども上陸することはできない。双方とも勝ちも負けもせずに、イギリスの軍艦が横浜に帰ったのは六月十日前のころでしたが、その時に面白い話があります。戦争の済んだ後で、あの旗艦に命中した破裂弾の破片を見て、船中のイギリス人たちが頻りに語り合うには、「こんな弾丸が日本でできるはずはない。いや、よく見ればロシア製のものだ。ロシアから日本に送ったのだろう」などと、評議がまちまちだったといいます。当時はクリミア戦争の直後であり、もともとイギリスとロシアの間柄は犬と猿のようで、互いにいろいろな猜疑心があります。今日に至るまでも仲はよくないように見えます。

解説

1863年7月の薩英戦争の経過を、福沢が伝え聞いた形で書いています。旗艦ユーライアラスの艦長ジョスリングと副長ウィルモットが戦死し、イギリス側も損害を受けました。福沢は勝負なしと評し、双方が勝ったとも負けたとも言える結末だと見ています。細部の人名や日付は福沢の記憶によるもので、厳密な史実とは差があることもあります。結果を単純に勝敗で割り切らず、双方の損得を並べて見る視点は、現代の紛争や交渉の分析にも使えます。

この章句が説くこと

薩英戦争鹿児島旗艦錨勝負なしクリミア戦争

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