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福翁自伝 / 攘夷論・始めて松木に逢う

その時は既に文久四年となり、四年の何月かドウモ覚えない、寒い時ではなかった、夏か秋だと思いますが、或日肥後七左衛門が不意と私方に来て、松木が居るが、お前の処に来ても差支はないかと云う。私は実に驚いた。去年からモウ気になって居て、箕作と遇いさえすればその噂をして居たが、生きて居たか。「確かに生きて居る。「何処に居るか。「江戸に居る、兎に角に此処に来て宜いか。「宜いとも、大宜しだ。何も憚ることはない、少しも構わない、直ぐに逢いたいと云うと、その翌日松木が出て来た。誠に冥土の人に遭たような気がして、ソレカラいろ/\な話を聞て、清水と一緒になったと云うことも分れば何も箇も分て仕舞た。その時、私は新銭座に居ましたが、マア久振りで飲食を共にして、何処に居るかと聞けば、白銀台町に曹某と云う医者がある、その家は寺島の内君の里なので、その縁で曹の家に潜んで居ると云う。その日は先ずその儘分れて、夫れから私は直ぐに箕作の処に事の次第を云て遣て、箕作も直ぐその翌日出て来て両人同道して白銀の曹の家に行き、三友団座昼から晩までいろ/\な事を話すその中に、例の麑島戦争の話などもあって、その戦争の事に就てはマダ/″\いろ/\面白い事があるけれども、長くなるから此処で之を略し、扨寺島の身の上は如何だと云うに、薩摩の方は大抵是れで宜しいがマダ幕府の意向が分らない、けれども是れとても別段に幕府の罪人でもないから爾う恐れる事もない訳け。ソコで寺島は何をして喰て居るかと聞けば、今は本藩の飜訳などして居ると云う。それこれの話の中に寺島が云うには、モウ/\鉄砲は嫌だ/\、今でも乃公は鉄砲の音がドーンと鳴ると頭の中がズーンとして来る、モウ嫌だぜ/\、乃公は思い出しても身がブル/\ッとする、夫れから又その船の火薬庫に導火を点けるときは随分気味の悪い話だった、だが命拾いをしたその時、懐中に金が二十五両あったからその金を持て上陸したと云う。いろ/\の話の中に英人が薩摩湾に碇泊中菓物が欲しいと云うと、薩摩人が之を進上する風をしてその機に乗じて斬込もうとして出来なかったと云うような種々様々な話がありますが、それはマア止めにして錨の話。

新字:その時は既に文久四年となり、四年の何月かドウモ覚えない、寒い時ではなかった、夏か秋だと思いますが、或日肥後七左衛門が不意と私方に来て、松木が居るが、お前の処に来ても差支はないかと云う。私は実に驚いた。去年からモウ気になって居て、箕作と遇いさえすればその噂をして居たが、生きて居たか。「確かに生きて居る。「何処に居るか。「江戸に居る、兎に角に此処に来て宜いか。「宜いとも、大宜しだ。何も憚ることはない、少しも構わない、直ぐに逢いたいと云うと、その翌日松木が出て来た。誠に冥土の人に遭たような気がして、ソレカラいろ/\な話を聞て、清水と一緒になったと云うことも分れば何も箇も分て仕舞た。その時、私は新銭座に居ましたが、マア久振りで飲食を共にして、何処に居るかと聞けば、白銀台町に曹某と云う医者がある、その家は寺島の内君の里なので、その縁で曹の家に潜んで居ると云う。その日は先ずその儘分れて、夫れから私は直ぐに箕作の処に事の次第を云て遣て、箕作も直ぐその翌日出て来て両人同道して白銀の曹の家に行き、三友団座昼から晩までいろ/\な事を話すその中に、例の麑島戦争の話などもあって、その戦争の事に就てはマダ/″\いろ/\面白い事があるけれども、長くなるから此処で之を略し、扨寺島の身の上は如何だと云うに、薩摩の方は大抵是れで宜しいがマダ幕府の意向が分らない、けれども是れとても別段に幕府の罪人でもないから爾う恐れる事もない訳け。ソコで寺島は何をして喰て居るかと聞けば、今は本藩の翻訳などして居ると云う。それこれの話の中に寺島が云うには、モウ/\鉄砲は嫌だ/\、今でも乃公は鉄砲の音がドーンと鳴ると頭の中がズーンとして来る、モウ嫌だぜ/\、乃公は思い出しても身がブル/\ッとする、夫れから又その船の火薬庫に導火を点けるときは随分気味の悪い話だった、だが命拾いをしたその時、懐中に金が二十五両あったからその金を持て上陸したと云う。いろ/\の話の中に英人が薩摩湾に碇泊中菓物が欲しいと云うと、薩摩人が之を進上する風をしてその機に乗じて斬込もうとして出来なかったと云うような種々様々な話がありますが、それはマア止めにして錨の話。

書き下し

その時は既に文久四年となり、四年の何月かドウモ覚えない、寒い時ではなかった、夏か秋だと思いますが、或日肥後七左衛門が不意と私方に来て、松木が居るが、お前の処に来ても差支はないかと云う。私は実に驚いた。去年からモウ気になって居て、箕作と遇いさえすればその噂をして居たが、生きて居たか。「確かに生きて居る。「何処に居るか。「江戸に居る、兎に角に此処に来て宜いか。「宜いとも、大宜しだ。何も憚ることはない、少しも構わない、直ぐに逢いたいと云うと、その翌日松木が出て来た。誠に冥土の人に遭たような気がして、ソレカラいろ/\な話を聞て、清水と一緒になったと云うことも分れば何も箇も分て仕舞た。その時、私は新銭座に居ましたが、マア久振りで飲食を共にして、何処に居るかと聞けば、白銀台町に曹某と云う医者がある、その家は寺島の内君の里なので、その縁で曹の家に潜んで居ると云う。その日は先ずその儘分れて、夫れから私は直ぐに箕作の処に事の次第を云て遣て、箕作も直ぐその翌日出て来て両人同道して白銀の曹の家に行き、三友団座昼から晩までいろ/\な事を話すその中に、例の麑島戦争の話などもあって、その戦争の事に就てはマダ/″\いろ/\面白い事があるけれども、長くなるから此処で之を略し、扨寺島の身の上は如何だと云うに、薩摩の方は大抵是れで宜しいがマダ幕府の意向が分らない、けれども是れとても別段に幕府の罪人でもないから爾う恐れる事もない訳け。ソコで寺島は何をして喰て居るかと聞けば、今は本藩の飜訳などして居ると云う。それこれの話の中に寺島が云うには、モウ/\鉄砲は嫌だ/\、今でも乃公は鉄砲の音がドーンと鳴ると頭の中がズーンとして来る、モウ嫌だぜ/\、乃公は思い出しても身がブル/\ッとする、夫れから又その船の火薬庫に導火を点けるときは随分気味の悪い話だった、だが命拾いをしたその時、懐中に金が二十五両あったからその金を持て上陸したと云う。いろ/\の話の中に英人が薩摩湾に碇泊中菓物が欲しいと云うと、薩摩人が之を進上する風をしてその機に乗じて斬込もうとして出来なかったと云うような種々様々な話がありますが、それはマア止めにして錨の話。

現代語訳

そのときはすでに文久四年となり、四年の何月かどうも覚えていませんが、寒い時ではなく、夏か秋だと思います。ある日、肥後七左衛門が不意に私の家に来て、松木がいるが、お前のところに来ても差し支えはないかと言います。私は実に驚きました。去年からもう気になっていて、箕作と会いさえすればその噂をしていたが、生きていたか。「たしかに生きている」「どこにいるか」「江戸にいる。とにかくここに来てよいか」「いいとも、大いに結構だ。何もはばかることはない、少しも構わない、すぐに会いたい」と言うと、その翌日、松木が出てきました。まことに冥土の人に会ったような気がして、それからいろいろな話を聞き、清水と一緒になったということもわかり、何もかもわかってしまいました。そのとき私は新銭座にいましたが、まあ久しぶりに飲食を共にして、どこにいるのかと聞けば、白金台町に曹某という医者がある、その家は寺島の奥さんの里なので、その縁で曹の家に潜んでいるといいます。その日はそのまま別れて、それから私はすぐ箕作のところに事の次第を言ってやり、箕作もすぐその翌日出てきて、両人同道して白金の曹の家に行き、昼から晩までいろいろなことを話すうちに、例の鹿児島戦争の話などもあって、その戦争のことについてはまだまだいろいろ面白いことがありますが、長くなるからここでは省略し、さて寺島の身の上はどうかというと、薩摩の方はだいたいこれでよいが、まだ幕府の意向がわからない。けれどもこれとても別段幕府の罪人でもないから、そう恐れることもないというわけです。そこで寺島は何をして暮らしているのかと聞けば、今は本藩の翻訳などをしているといいます。そのような話の中で寺島が言うには、もうもう鉄砲は嫌だ、嫌だ、今でも俺は鉄砲の音がドーンと鳴ると頭の中がズーンとしてくる、もう嫌だぜ嫌だぜ、俺は思い出しても身がぶるぶるっとする、それからまた、その船の火薬庫に導火線をつけるときは、ずいぶん気味の悪い話だった、だが命拾いをした、その時、懐中に金が二十五両あったからその金を持って上陸したといいます。いろいろな話の中に、イギリス人が薩摩湾に停泊中、果物が欲しいと言うと、薩摩人がこれを献上するふりをして、その機に乗じて斬り込もうとしたができなかったというような、さまざまな話がありますが、それはまあやめにして、錨の話をします。

解説

行方不明だった松木弘安(寺島陶蔵)と、福沢が再会する場面です。冥土の人に会ったような気がしたという表現に、友を案じ続けた思いがにじみます。寺島は、鉄砲の音を思い出すと身が震える、火薬庫に導火線をつけるときは気味が悪かったと、強がらずに怖さを語ります。命がけの経験を、武勇伝にせず素直な恐怖として話せる関係は、信頼のしるしです。現代の職場でも、本音の恐怖や失敗を語れる相手がいることが、心の回復や次の挑戦を支えます。

この章句が説くこと

再会寺島陶蔵箕作秋坪友情恐怖本音

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