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福翁自伝 / 攘夷論・松木、五代、埼玉郡に潜む(1)

扨夫れから私の気になる松木、即ち寺島の話は斯う云う次第である。松木、五代が薩摩の船から英の軍艦に乗移た所が、清水が居たので松木も驚いた。清水と云う男は以前江戸にて英書の不審を松木に聞て居たこともある至極懇意な間柄で、その清水が英の軍艦に居るから松木の驚くも無理はない。「イヤ如何して此処に居るか。「お前さんは如何して又此処に来たと云うような訳けで、大変好都合であった。ソコで横浜に来たけれども、この儘に何時迄もこの船の中に居られるものでない。マア如何かして上陸したい、と云うその事に付ては清水卯三郎が一切引受ける。それは松木と五代は極々日蔭者で、青天白日の身と云うのは清水一人、そこで清水が先ず横浜に上て、夫れから亜米利加人のヴエンリートと云う人にその話をした所が、如何でも周旋しよう、兎に角に艀船に乗て神奈川の方に上る趣向に為よう、その船も何も世話をして遣ろうと云うことになった。所でアドミラルが如何云うかソレに聞て見なければならぬので、アドミラルにその事を話すと至極寛大で、上陸差支なしと云うので、ソレカラ一切万事、清水とヴエンリートと諜し合せて、落人両人の者は夜分窃にその艀船に乗り移り、神奈川以東の海岸から上る積りに用意した所が、その時には横浜から江戸に来る街道一町か二町目毎に今の巡査交番所見たようなものがずっと建て居て、一人でも径しいものは通行を咎めると云うことになって居るから、なか/\大小などを挟して行かれるものでない。ソコで大小も陣笠も一切の物はヴエンリートの家に預けて、丸で船頭か百姓のような風をして、小舟に乗込み、舟は段々東に下てとう/\羽根田の浜から上陸して、ソレカラ道中は忍び忍んで江戸に這入るとした所で、マダ幕府の探偵が甚だ恐ろしい。只の宿屋には泊られないから、江戸に這入たらば堀留の鈴木と云う船宿に清水が先へ行て待て居るから其処へ来いと云う約束がしてある。ソコで両人は夜中勝手も知れぬ海浜に上陸して、探り/″\に江戸の方に向て足を進める中に夜が明けて仕舞い、コリャ大変と夫れから駕籠に乗て面を隠して堀留の船宿に来たのがその翌日の昼であった。

書き下し

扨夫れから私の気になる松木、即ち寺島の話は斯う云う次第である。松木、五代が薩摩の船から英の軍艦に乗移た所が、清水が居たので松木も驚いた。清水と云う男は以前江戸にて英書の不審を松木に聞て居たこともある至極懇意な間柄で、その清水が英の軍艦に居るから松木の驚くも無理はない。「イヤ如何して此処に居るか。「お前さんは如何して又此処に来たと云うような訳けで、大変好都合であった。ソコで横浜に来たけれども、この儘に何時迄もこの船の中に居られるものでない。マア如何かして上陸したい、と云うその事に付ては清水卯三郎が一切引受ける。それは松木と五代は極々日蔭者で、青天白日の身と云うのは清水一人、そこで清水が先ず横浜に上て、夫れから亜米利加人のヴエンリートと云う人にその話をした所が、如何でも周旋しよう、兎に角に艀船に乗て神奈川の方に上る趣向に為よう、その船も何も世話をして遣ろうと云うことになった。所でアドミラルが如何云うかソレに聞て見なければならぬので、アドミラルにその事を話すと至極寛大で、上陸差支なしと云うので、ソレカラ一切万事、清水とヴエンリートと諜し合せて、落人両人の者は夜分窃にその艀船に乗り移り、神奈川以東の海岸から上る積りに用意した所が、その時には横浜から江戸に来る街道一町か二町目毎に今の巡査交番所見たようなものがずっと建て居て、一人でも径しいものは通行を咎めると云うことになって居るから、なか/\大小などを挟して行かれるものでない。ソコで大小も陣笠も一切の物はヴエンリートの家に預けて、丸で船頭か百姓のような風をして、小舟に乗込み、舟は段々東に下てとう/\羽根田の浜から上陸して、ソレカラ道中は忍び忍んで江戸に這入るとした所で、マダ幕府の探偵が甚だ恐ろしい。只の宿屋には泊られないから、江戸に這入たらば堀留の鈴木と云う船宿に清水が先へ行て待て居るから其処へ来いと云う約束がしてある。ソコで両人は夜中勝手も知れぬ海浜に上陸して、探り/″\に江戸の方に向て足を進める中に夜が明けて仕舞い、コリャ大変と夫れから駕籠に乗て面を隠して堀留の船宿に来たのがその翌日の昼であった。

現代語訳

さて、それから私の気になる松木、つまり寺島の話はこういうことです。松木と五代が薩摩の船からイギリスの軍艦に乗り移ったところ、清水がいたので松木も驚きました。清水という男は以前に江戸で英書の不審を松木に聞いたこともある、大変懇意な間柄で、その清水がイギリス軍艦にいるのですから、松木が驚くのも無理はありません。「いや、どうしてここにいる」「お前さんはどうしてまたここに来た」というようなわけで、大変好都合でした。そこで横浜に来たけれども、このままいつまでもこの船の中にいられるものではありません。まあどうにかして上陸したい。その事については清水卯三郎が一切引き受けることになりました。松木と五代は極めて日陰者で、青天白日の身というのは清水一人です。そこで清水がまず横浜に上がって、それからアメリカ人のヴァンリードという人にその話をしたところ、何とかして周旋しよう、ともかく艀船に乗って神奈川の方に上陸する計画にしよう、その船も何も世話をしてやろうということになりました。ところで提督がどう言うか、それに聞いてみなければならないので、提督にその事を話すと、まことに寛大で、上陸差し支えなしというので、それから一切万事、清水とヴァンリードとが打ち合わせて、落人の二人は夜分ひそかにその艀船に乗り移り、神奈川以東の海岸から上陸するつもりで用意したところ、そのときは横浜から江戸に来る街道の一町か二町ごとに、今の巡査交番所のようなものがずっと建っていて、一人でも怪しい者は通行を咎めるということになっているので、なかなか大小などを差して行けるものではありません。そこで大小も陣笠も一切の物はヴァンリードの家に預けて、まるで船頭か百姓のような姿で小舟に乗り込み、舟はだんだん東に下って、とうとう羽根田の浜から上陸して、それから道中は忍び忍んで江戸に入るとしても、まだ幕府の探偵が非常に恐ろしい。ふつうの宿屋には泊まれないから、江戸に入ったら堀留の鈴木という船宿に清水が先に行って待っているから、そこに来いと約束がしてあります。そこで二人は夜中、勝手も知れない海浜に上陸して、手探りで江戸の方に向かって足を進めるうちに、夜が明けてしまい、これは大変だと、それから駕籠に乗って顔を隠して堀留の船宿に来たのがその翌日の昼でした。

解説

松木と五代がイギリス艦から脱出し、江戸に潜入するまでの逃避行です。頼みとなったのは商人の清水卯三郎と、アメリカ人ヴァンリードの周旋でした。武士の象徴である大小や陣笠を預け、船頭や百姓の姿に身をやつす。身分を捨てて身の安全を取る選択は、非常時の現実的な判断です。福沢は直接関わっていませんが、人のつながりが命を救うことを、この話から学んでいます。肩書きや立場に頼らず、異業種の人脈が助けになるのは、現代の仕事でも変わりません。

この章句が説くこと

松木弘安清水卯三郎逃走変装人脈潜入

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