福翁自伝 / 始めて亜米利加に渡る・女尊男卑の風俗に驚
一寸した事でも右の通りの始末で、社会上の習慣風俗は少も分らない。或る時にメールアイランドの近処にバレーフォーと云う処があって、其処に和蘭の医者が居る。和蘭人は如何しても日本人と縁が近いので、その医者が艦長の木村さんを招待したいから来て呉れないかと云うので、その医者の家に行た所が、田舎相応の流行家と見えて、中々の御馳走が出る中に、如何にも不審な事には、お内儀さんが出て来て座敷に坐り込んで頻りに客の取持をすると、御亭主が周旋奔走して居る。是れは可笑しい。丸で日本とアベコベな事をして居る。御亭主が客の相手になってお内儀さんが周旋奔走するのが当然であるに、左りとはどうも可笑しい。ソコで御馳走は何かと云うと、豚の子の丸煮が出た。是れにも胆を潰した。如何だ、マア呆返たな、丸で安達ヶ原に行たような訳けだと、斯う思うた。散々馳走を受けて、その帰りに馬に乗らないかと云う。ソレは面白い、久振りだから乗ろうと云て、その馬を借りて乗て来た。艦長木村は江戸の旗本だから、馬に乗ることは上手だ。江戸に居れば毎日馬に乗らぬことはない。夫れからその馬に乗てどん/\駆けて来ると、亜米利加人が驚いて、日本人が馬に乗ることを知て居ると云うて不思議の顔をして居る。爾う云う訳けで双方共に事情が少しも分らない。
書き下し
一寸した事でも右の通りの始末で、社会上の習慣風俗は少も分らない。或る時にメールアイランドの近処にバレーフォーと云う処があって、其処に和蘭の医者が居る。和蘭人は如何しても日本人と縁が近いので、その医者が艦長の木村さんを招待したいから来て呉れないかと云うので、その医者の家に行た所が、田舎相応の流行家と見えて、中々の御馳走が出る中に、如何にも不審な事には、お内儀さんが出て来て座敷に坐り込んで頻りに客の取持をすると、御亭主が周旋奔走して居る。是れは可笑しい。丸で日本とアベコベな事をして居る。御亭主が客の相手になってお内儀さんが周旋奔走するのが当然であるに、左りとはどうも可笑しい。ソコで御馳走は何かと云うと、豚の子の丸煮が出た。是れにも胆を潰した。如何だ、マア呆返たな、丸で安達ヶ原に行たような訳けだと、斯う思うた。散々馳走を受けて、その帰りに馬に乗らないかと云う。ソレは面白い、久振りだから乗ろうと云て、その馬を借りて乗て来た。艦長木村は江戸の旗本だから、馬に乗ることは上手だ。江戸に居れば毎日馬に乗らぬことはない。夫れからその馬に乗てどん/\駆けて来ると、亜米利加人が驚いて、日本人が馬に乗ることを知て居ると云うて不思議の顔をして居る。爾う云う訳けで双方共に事情が少しも分らない。
現代語訳
ちょっとしたことでもこのとおりの始末で、社会上の習慣や風俗はまるで分かりません。あるとき、メア・アイランドの近所にバレーホーというところがあって、そこにオランダ人の医者がいました。オランダ人はどうしても日本人と縁が近いので、その医者が艦長の木村さんを招待したいから来てくれないかと言い、その医者の家に行ったところ、田舎相応のはやっている家と見えて、なかなかのごちそうが出ます。その中で、まことに不審なことに、奥さんが出てきて座敷に座り込み、しきりに客のもてなしをすると、ご亭主が世話に走り回っています。これはおかしい。まるで日本とあべこべなことをしている。ご亭主が客の相手になり、奥さんが世話に奔走するのが当然であるのに、いやはやどうもおかしい。さてごちそうは何かといえば、豚の子の丸煮が出ました。これにも肝をつぶしました。どうだ、まあ驚いたな、まるで安達が原に行ったようなものだと、そう思いました。さんざんごちそうになって、その帰りに馬に乗らないかと言われます。それは面白い、久しぶりだから乗ろうと言って、その馬を借りて乗って来ました。艦長の木村は江戸の旗本ですから、馬に乗ることは上手です。江戸にいれば毎日馬に乗らない日はありません。そこで、その馬に乗ってどんどん駆けてくると、アメリカ人が驚いて、日本人が馬に乗ることを知っているといって不思議な顔をしていました。そういうわけで、双方とも事情がまるで分かりません。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・始めて亜米利加に渡る・敷物に驚く所が此方は一切万事不慣れで、例えば馬車を見ても始めてだから実に驚いた。其処に車があって馬が付て居れば乗物だと云うことは分りそうなものだが、一見したばかりでは一寸と考が付かぬ。所で戸を開けて這入ると馬が駈出す。成程是れは馬の挽く車だと始めて発明するような訳け。何れも日本人は大小を挟して穿物は麻裏草履を穿て居る。ソレでホテルに案内されて行て見ると、絨氈が敷詰めてあるその絨氈はどんな物かと云うと、先ず日本で云えば余程の贅沢者が一寸四方幾干と云て金を出して買うて、紙入にするとか莨入にするとか云うようなソンナ珍らしい品物を、八畳も十畳も恐ろしい広い処に敷詰めてあって、その上を靴で歩くとは、扨々途方もない事だと実に驚いた。けれども亜米利加人が往来を歩いた靴の儘で颯々と上るから此方も麻裏草履でその上に上た。上ると突然酒が出る。徳利の口を明けると恐ろしい音がして、先ず変な事だと思うたのはシャンパンだ。そのコップの中に何か浮て居るのも分らない。三、四月暖気の時節に氷があろうとは思いも寄らぬ話で、ズーッと銘々の前にコップが並んで、その酒を飲む時の有様を申せば、列座の日本人中で、先ずコップに浮いて居るものを口の中に入れて胆を潰して吹出す者もあれば、口から出さずにガリ/″\噛む者もあると云うような訳けで、漸く氷が這入て居ると云うことが分った。ソコで又煙草を一服と思た所で、煙草盆がない、灰吹がないから、そのとき私はストーヴの火で一寸と点けた。マッチも出て居たろうけれどもマッチも何も知りはせぬから、ストーヴで吸付けた所が、どうも灰吹がないので吸殻を棄る所がない。夫れから懐中の紙を出してその紙の中に吸殻を吹出して、念を入れて揉で/\火の気のないように捩付けて袂に入れて、暫くして又後の一服を遣ろうとするその時に、袂から煙が出て居る。何ぞ図らん、能く消したと思たその吸殻の火が紙に移て煙が出て来たとは大に胆を潰した。
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福翁自伝・始めて亜米利加に渡る・木村摂津守艦長木村摂津守と云う人は軍艦奉行の職を奉じて海軍の長上官であるから、身分相当に従者を連れて行くに違いない。夫れから私はどうもその船に乗て亜米利加に行て見たい志はあるけれども、木村と云う人は一向知らない。去年大阪から出て来た計りで、そんな幕府の役人などに縁のある訳けはない。所が幸に江戸に桂川と云う幕府の蘭家の侍医がある。その家は日本国中蘭学医の総本山とでも名を命けて宜しい名家であるから、江戸は扨置き日本国中、蘭学社会の人で桂川と云う名前を知らない者はない。ソレ故私なども江戸に来れば何は扨置き桂川の家には訪問するので、度々その家に出入して居る。その桂川の家と木村の家とは親類――極近い親類である。夫れから私は桂川に頼で、如何かして木村さんの御供をして亜米利加に行きたいが紹介して下さることは出来まいかと懇願して、桂川の手紙を貰て木村の家に行てその願意を述べた所が、木村では即刻許して呉れて、連れて行て遣ろうと斯う云うことになった。と云うのは、案ずるに、その時の世態人情に於て、外国航海など云えば、開闢以来の珍事と云おうか、寧ろ恐ろしい命掛けの事で、木村は勿論軍艦奉行であるから家来はある、あるけれどもその家来と云う者も余り行く気はない所に、仮初にも自分から進で行きたいと云うのであるから、実は彼方でも妙な奴だ、幸と云う位なことであったろうと思う。直に許されて私は御供をすることになった。
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福翁自伝・始めて亜米利加に渡る・磊落書生も花嫁の如し都てこんな事ばかりで、私は生れてから嫁入をしたことはないが、花嫁が勝手の分らぬ家に住込んで、見ず知らずの人に取巻かれてチヤフヤ云われて、笑う者もあれば雑談を云う者もあるその中で、お嫁さんばかり独り静にしてお行儀を繕い、人に笑われぬようにしようとして却てマゴツイて顔を赤くするその苦しさはこんなものであろうと、凡そ推察が出来ました。日本を出るまでは天下独歩、眼中人なし怖い者なしと威張て居た磊落書生も、始めて亜米利加に来て花嫁のように小さくなって仕舞たのは、自分でも可笑しかった。夫れから彼方の貴女紳士が打寄りダンシングとか云て踊りをして見せると云うのは毎度の事で、扨行て見た処が少しも分らず、妙な風をして男女が座敷中を飛廻るその様子は、どうにも斯うにも唯可笑くて堪らない、けれども笑ては悪いと思うから成るたけ我慢して笑わないようにして見て居たが、是れも初めの中は随分苦労であった。
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福翁自伝・始めて亜米利加に渡る・事物の説明に隔靴の歎あり夫れから又、亜米利加人が案内して諸方の製作所などを見せて呉れた。その時は桑港地方にマダ鉄道が出来ない時代である。工業は様々の製作所があって、ソレを見せて呉れた。其処がどうも不思議な訳けで、電気利用の電灯はないけれども、電信はある。夫れからガルヴァニの鍍金法と云うものも実際に行れて居た。亜米利加人の考に、そう云うものは日本人の夢にも知らない事だろうと思て見せて呉た所が、此方はチャント知て居る。是れはテレグラフだ。是れはガルヴァニの力で斯う云うことをして居るのだ。又砂糖の製造所があって、大きな釜を真空にして沸騰を早くすると云うことを遣て居る。ソレを懇々と説くけれども、此方は知て居る、真空にすれば沸騰が早くなると云うことは。且つその砂糖を清浄にするには骨炭で漉せば清浄になると云うこともチャント知て居る。先方では爾う云う事は思いも寄らぬ事だと斯う察して、懇ろに数えて呉れるのであろうが、此方は日本に居る中に数年の間そんな事ばかり穿鑿して居たのであるから、ソレは少しも驚くに足らない。只驚いたのは、掃溜に行て見ても浜辺に行て見ても、鉄の多いには驚いた。申さば石油の箱見たような物とか、色々な缶詰の空などが沢山棄てゝある。是れは不思議だ。江戸に火事があると焼跡に釘拾いがウヤ/\出て居る。所で亜米利加に行て見ると、鉄は丸で塵埃同様に棄てゝあるので、どうも不思議だと思うたことがある。 夫れから物価の高いにも驚いた。牡蠣を一罎買うと、半弗、幾つあるかと思うと二十粒か三十粒位しかない。日本では二十四文か三十文と云うその牡蠣が、亜米利加では一分二朱もする勘定で、恐ろしい物の高い所だ、呆れた話だと思たような次第で、社会上、政治上、経済上の事は一向分らなかった。
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福翁自伝・始めて亜米利加に渡る・ワシントンの子孫如何と問う所で私が不図胸に浮かんで或人に聞て見たのは外でない、今華盛頓の子孫は如何なって居るかと尋ねた所が、その人の云うに、華盛頓の子孫には女がある筈だ、今如何して居るか知らないが、何でも誰かの内室になって居る容子だと如何にも冷淡な答で、何とも思て居らぬ。是れは不思議だ。勿論私も亜米利加は共和国、大統領は四年交代と云うことは百も承知のことながら、華盛頓の子孫と云えば大変な者に違いないと思うたのは、此方の脳中には源頼朝、徳川家康と云うような考があって、ソレから割出して聞た所が、今の通りの答に驚いて、是れは不思議と思うたことは今でも能く覚えて居る。理学上の事に就ては少しも胆を潰すと云うことはなかったが、一方の社会上の事に就ては全く方角が付かなかった。或時にメールアイランドの海軍港に居る甲比丹のマツキヅガルと云う人が、日本の貨幣を見たいと云うので、艦長は予てそんな事の為めに用意したものと見え、新古金銀が数々あるから、慶長小判を始めとして万延年中迄の貨幣を揃えて甲比丹の処へ送て遣た。所が珍らしい/\と計りで、宝を貰たと云う考は一寸とも顔色に見えない。昨日は誠に有難うと云てその翌朝お内儀さんが花を持て来て呉れた。私はその取次をして独り窃に感服した。人間と云うものはアヽありたい、如何にも心の置き所が高尚だ、金や銀を貰たからと云てキョト/\悦ぶと云うのは卑劣な話だ、アヽありたいものだ、大きに感心したことがある。
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