福翁自伝 / 緒方の塾風・桃山から帰て火事場に働く(2)
一体塾生の乱暴と云うものは是れまで申した通りであるが、その塾生同士相互の間柄と云うものは至て仲の宜いもので、決して争などをしたことはない。勿論議論はする、いろ/\の事に就て互に論じ合うと云うことはあっても、決して喧嘩をするような事は絶てない事で、殊に私は性質として朋友と本気になって争うたことはない。仮令い議論をすればとて面白い議論のみをして、例えば赤穂義士の問題が出て、義士は果して義士なるか不義士なるかと議論が始まる。スルト私はどちらでも宜しい、義不義、口の先きで自由自在、君が義士と云えば僕は不義士にする、君が不義士と云えば僕は義士にして見せよう、サア来い、幾度来ても苦くないと云て、敵に為り味方に為り、散々論じて勝たり負けたりするのが面白いと云う位な、毒のない議論は毎度大声で遣て居たが、本当に顔を赧らめて如何あっても是非を分って了わなければならぬと云う実の入た議論をしたことは決してない。
書き下し
一体塾生の乱暴と云うものは是れまで申した通りであるが、その塾生同士相互の間柄と云うものは至て仲の宜いもので、決して争などをしたことはない。勿論議論はする、いろ/\の事に就て互に論じ合うと云うことはあっても、決して喧嘩をするような事は絶てない事で、殊に私は性質として朋友と本気になって争うたことはない。仮令い議論をすればとて面白い議論のみをして、例えば赤穂義士の問題が出て、義士は果して義士なるか不義士なるかと議論が始まる。スルト私はどちらでも宜しい、義不義、口の先きで自由自在、君が義士と云えば僕は不義士にする、君が不義士と云えば僕は義士にして見せよう、サア来い、幾度来ても苦くないと云て、敵に為り味方に為り、散々論じて勝たり負けたりするのが面白いと云う位な、毒のない議論は毎度大声で遣て居たが、本当に顔を赧らめて如何あっても是非を分って了わなければならぬと云う実の入た議論をしたことは決してない。
現代語訳
総じて塾生の乱暴というものは、これまで申したとおりですが、その塾生同士の相互の間柄は至って仲のよいもので、決して争いなどをしたことはありません。もちろん議論はします。いろいろなことについて互いに論じ合うことはありましても、決して喧嘩をするようなことは絶えてなかったことで、ことに私は性質として、友人と本気になって争ったことがありません。たとえ議論をするにしても、面白い議論ばかりをして、たとえば赤穂義士の問題が出て、義士ははたして義士か不義士かと議論が始まる。すると私は、どちらでもよろしい、義不義は口先で自由自在、君が義士と言えば僕は不義士にする、君が不義士と言えば僕は義士にして見せよう、さあ来い、何度来ても構わぬと言って、敵になり味方になり、さんざん論じて、勝ったり負けたりするのが面白いというくらいの、毒のない議論はたびたび大声でやっていましたが、本当に顔を赤くして、どうあっても是非を決めてしまわなければならないという、実の入った議論をしたことは決してありません。
解説
この章句が説くこと
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