福翁自伝 / 緒方の塾風・喧嘩の真似
それから時としては斯う云う事もあった。その乱暴さ加減は今人の思寄らぬことだ。警察がなかったから云わば何でも勝手次第である。元来大阪の町人は極めて臆病だ。江戸で喧嘩をすると野次馬が出て来て滅茶苦茶にして仕舞うが、大阪では野次馬は迚ても出て来ない。夏の事で夕方飯を喰てブラ/\出て行く。申合をして市中で大喧嘩の真似をする。お互に痛くないように大造な剣幕で大きな声で怒鳴て掴合い打合うだろう。爾うするとその辺の店はバタ/\片付けて戸を締めて仕舞うて寂りとなる。喧嘩と云た所が唯それだけの事で外に意味はない。その法は同類が二、三人ずつ分れて一番繁昌な賑やかな処で双方から出逢うような仕組にするから、賑やかな処と云えば先ず遊廓の近所、新町九軒の辺で常極りに遣て居たが、併し余り一箇所で遣て化の皮が顕れるとイカヌから、今夜は道頓堀で遣ろう、順慶町で遣ろうと云て遣たこともある。信州の沼田芸平などは余ほど喧嘩の上手であった。
書き下し
それから時としては斯う云う事もあった。その乱暴さ加減は今人の思寄らぬことだ。警察がなかったから云わば何でも勝手次第である。元来大阪の町人は極めて臆病だ。江戸で喧嘩をすると野次馬が出て来て滅茶苦茶にして仕舞うが、大阪では野次馬は迚ても出て来ない。夏の事で夕方飯を喰てブラ/\出て行く。申合をして市中で大喧嘩の真似をする。お互に痛くないように大造な剣幕で大きな声で怒鳴て掴合い打合うだろう。爾うするとその辺の店はバタ/\片付けて戸を締めて仕舞うて寂りとなる。喧嘩と云た所が唯それだけの事で外に意味はない。その法は同類が二、三人ずつ分れて一番繁昌な賑やかな処で双方から出逢うような仕組にするから、賑やかな処と云えば先ず遊廓の近所、新町九軒の辺で常極りに遣て居たが、併し余り一箇所で遣て化の皮が顕れるとイカヌから、今夜は道頓堀で遣ろう、順慶町で遣ろうと云て遣たこともある。信州の沼田芸平などは余ほど喧嘩の上手であった。
現代語訳
それからときには、こんなこともありました。その乱暴さ加減は、今の人の思い寄らぬことです。警察がなかったので、いわば何でも勝手次第でした。もともと大阪の町人は極めて臆病です。江戸で喧嘩をすると野次馬が出て来てめちゃくちゃにしてしまいますが、大阪では野次馬はとても出て来ません。夏のことで、夕方、飯を食ってぶらぶらと出て行きます。申し合わせをして、市中で大喧嘩の真似をします。お互いに痛くないように、大層な剣幕で大きな声で怒鳴って、掴み合い打ち合うでしょう。そうするとその辺りの店はバタバタ片付けて、戸を閉めてしまって、ひっそりとなります。喧嘩と言ったところで、ただそれだけのことで、ほかに意味はありません。 その方法は、同類が二、三人ずつに分かれて、一番繁盛した賑やかな所で、双方から出会うような仕組みにします。賑やかな所と言えば、まず遊廓の近所、新町九軒のあたりで、決まってやっていました。しかしあまり一箇所でやって化けの皮が現れるといけないから、今夜は道頓堀でやろう、順慶町でやろうと言ってやったこともあります。信州の沼田芸平などは、よほど喧嘩の上手でした。
解説
この章句が説くこと
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