福翁自伝 / 緒方の塾風・御幣担ぎを冷かす
同窓生の間には色々な事のあるもので、肥後から来て居た山田謙輔と云う書生は極々の御幣担で、しの字を言わぬ。その時、今の市川団十郎の親の海老蔵が道頓堀の芝居に出て居るときで、芝居の話をすると、山田は海老蔵のよばいを見るなんて云う位な御幣担だから、性質は至極立派な人物だけれとも、如何も蘭学書生の気に入らぬ筈だ。何か話の端には之を愚弄して居ると、山田の云うに「福澤々々、君のように無法な事ばかり云うが、マア能く考えて見給え。正月元日の朝、年礼に出掛けた時に、葬礼に逢うと鶴を台に戴せて担で来るのを見ると何方が宜いかと云うから、私は、「夫れは知れた事だ。死人は喰われんから鶴の方が宜い。けれども鶴だって乃公に喰わせなければ死人も同じ事だと答えたような塩梅式で、何時も冷かして面白がって居る中に、或るとき長与専斎か誰れかと相談して、彼奴を一番大に遣てやろうじゃないかと一工風して、当人の不在の間にその硯に紙を巻いて位牌を拵えて、長与の書が旨いから立派に何々院何々居士と云う山田の法名を書いて机の上に置て、当人の飯を喰う茶碗に灰を入れて線香を立てゝ位牌の前にチャント供えて置た所が、帰て来て之を見て忌な顔をしたとも何とも、真青になって腹を立てゝ居たが、私共は如何も怖かった。若しも短気な男なら切付けて来たかも知れないから。
新字:同窓生の間には色々な事のあるもので、肥後から来て居た山田謙輔と云う書生は極々の御幣担で、しの字を言わぬ。その時、今の市川団十郎の親の海老蔵が道頓堀の芝居に出て居るときで、芝居の話をすると、山田は海老蔵のよばいを見るなんて云う位な御幣担だから、性質は至極立派な人物だけれとも、如何も蘭学書生の気に入らぬ筈だ。何か話の端には之を愚弄して居ると、山田の云うに「福沢々々、君のように無法な事ばかり云うが、マア能く考えて見給え。正月元日の朝、年礼に出掛けた時に、葬礼に逢うと鶴を台に戴せて担で来るのを見ると何方が宜いかと云うから、私は、「夫れは知れた事だ。死人は喰われんから鶴の方が宜い。けれども鶴だって乃公に喰わせなければ死人も同じ事だと答えたような塩梅式で、何時も冷かして面白がって居る中に、或るとき長与専斎か誰れかと相談して、彼奴を一番大に遣てやろうじゃないかと一工風して、当人の不在の間にその硯に紙を巻いて位牌を拵えて、長与の書が旨いから立派に何々院何々居士と云う山田の法名を書いて机の上に置て、当人の飯を喰う茶碗に灰を入れて線香を立てゝ位牌の前にチャント供えて置た所が、帰て来て之を見て忌な顔をしたとも何とも、真青になって腹を立てゝ居たが、私共は如何も怖かった。若しも短気な男なら切付けて来たかも知れないから。
書き下し
同窓生の間には色々な事のあるもので、肥後から来て居た山田謙輔と云う書生は極々の御幣担で、しの字を言わぬ。その時、今の市川団十郎の親の海老蔵が道頓堀の芝居に出て居るときで、芝居の話をすると、山田は海老蔵のよばいを見るなんて云う位な御幣担だから、性質は至極立派な人物だけれとも、如何も蘭学書生の気に入らぬ筈だ。何か話の端には之を愚弄して居ると、山田の云うに「福澤々々、君のように無法な事ばかり云うが、マア能く考えて見給え。正月元日の朝、年礼に出掛けた時に、葬礼に逢うと鶴を台に戴せて担で来るのを見ると何方が宜いかと云うから、私は、「夫れは知れた事だ。死人は喰われんから鶴の方が宜い。けれども鶴だって乃公に喰わせなければ死人も同じ事だと答えたような塩梅式で、何時も冷かして面白がって居る中に、或るとき長与専斎か誰れかと相談して、彼奴を一番大に遣てやろうじゃないかと一工風して、当人の不在の間にその硯に紙を巻いて位牌を拵えて、長与の書が旨いから立派に何々院何々居士と云う山田の法名を書いて机の上に置て、当人の飯を喰う茶碗に灰を入れて線香を立てゝ位牌の前にチャント供えて置た所が、帰て来て之を見て忌な顔をしたとも何とも、真青になって腹を立てゝ居たが、私共は如何も怖かった。若しも短気な男なら切付けて来たかも知れないから。
現代語訳
同窓生の間にはいろいろなことがあるもので、肥後から来ていた山田謙輔という書生は、極端な縁起担ぎで、「し」の字を言いません。そのころ、今の市川団十郎の親の海老蔵が道頓堀の芝居に出ていた時で、芝居の話をすると、山田は海老蔵のよばい(夜這い)を見る、などと言うほどの縁起担ぎです。性質はきわめて立派な人物ですが、どうも蘭学書生の気に入らない。何かの話の端にはこれをからかっていると、山田が言うには、「福沢、福沢、君のように無法なことばかり言うが、まあよく考えてみたまえ。正月元日の朝、年始回りに出掛けたとき、葬式に出会うのと、鶴を台に載せて担いで来るのを見るのと、どちらがいいか」と言うから、私は、「それは決まっている。死人は食えないから鶴の方がいい。けれども鶴だって俺に食わせなければ死人も同じことだ」と答えるような具合で、いつもからかって面白がっているうちに、あるとき長与専斎か誰かと相談して、あいつを一番大いにやっつけてやろうじゃないかと一工夫し、当人の留守の間にその硯に紙を巻いて位牌をこしらえ、長与は字がうまいので、立派に何々院何々居士という山田の戒名を書いて机の上に置き、当人が飯を食う茶碗に灰を入れて線香を立て、位牌の前にきちんと供えておいたところ、帰ってきてこれを見て、嫌な顔をしたどころではなく、真っ青になって腹を立てていましたが、私たちはどうにも怖くなりました。もし短気な男なら斬りつけてきたかも知れませんから。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 秦本紀繆公客礼を以て之を礼し、戎を伐つの形を問ふ。三十六年、繆公復た益孟明等を厚くし、兵を将ゐて晋を伐たしむ。河を渡りて船を焚き、大いに晋人を敗り、王官及び鄗を取り、以て殽の役に報ゆ。晋人皆城守して敢へて出でず。是に於て繆公乃ち茅津より河を渡り、殽中の尸を封じ、為に喪を発し、之を哭すること三日。乃ち軍に誓ひて曰く、「嗟士卒、聴きて譁しき無かれ、余誓ひて汝に告ぐ。古の人は謀るに黄髪番番たるに則れば、則ち過つ所無し」と。以て蹇叔・百里傒の謀を用ゐざりしを申思す。故に此の誓を作り、後世をして以て余が過ちを記さしむ。君子之を聞き、皆為に涕を垂れて、曰く、「嗟乎、秦の繆公の人に与すること周きや、卒に孟明の慶を得たり」と。三十七年、秦由余の謀を用ゐて戎王を伐ち、国を益すこと十二、地を開くこと千里、遂に西戎に霸たり。天子召公過をして繆公を賀するに金鼓を以てせしむ。
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尚書・秦誓公曰く、「嗟(ああ)!我が士よ。聴きて嘩しくすること無かれ。予誓ひて汝に群言の首を告ぐ。古人言へる有り、曰く、『民は自ら是くの若くするを訖せば、盤しむこと多し。
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『呻吟語』内篇・修身・腳を放ちて行けば日日長進を見る頭を回らせて看れば、年年過差有り。腳を放ちて行けば、日日長進を見る。
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『家道訓』巻之四・用財上一士として、財利をむさぼり、吝嗇にして廉恥の志なく、親戚故旧の貧窮をめぐまず、われにしたしき人、我が采地の農人などの飢饉を見ても、心つよくしてすくはず。親戚朋友の礼義をつとめず。或は、あたふべき者にあたへず、取るまじき物をとり、人の財を用ひてつぐのはず。もしこの事我が身に一もあらば、是をいましむべし。人のよきあしきを見るも、皆我が身のかがみなり。善を見ては是を学び、悪を見ては我が身にも是ありやとかへりみるべし。如此すれば、人の善悪を見て、皆我か身の益となる。人の悪しきを謗らずして、我が身を省るべし。およそ鰥寡孤独貧窮にしてたよりなきもの、我が分にしたがひ、力の及ぶほどはすくふべし。これをすくふに財ををしむべからず。
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「人を愛して親しまずんば、其の仁に反れ。人を治めて治まらずんば、其の智に反れ。人を禮して答えずんば、其の敬に反れ。行いて得ざる者有れば、皆諸を己に反求す。其の身正しければ天下之に歸す。詩に云う、『永く言、命を配し、自ら多福を求む。』」
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『講孟余話』公孫丑下 第四章牛羊の喩へ甚だ好し。牛羊は人家に畜ふ所にして、一日も牧と芻となければ済まざるは人々知る所なり。況や民庶に至りては牛羊の比すべきに非ず。而るに窮民街に叫び、餓莩途に充つれども、却つて是れを知らず、是れを顧みず、是れ大いに怪しむべきに非ずや。是れ他なし、民を視ること牛羊に如かず、民を親しむこと牛羊に如かざるに由るなり。噫、民を牧する者、能く牛羊を牧するの心を以てせば、不仁の譏りを免れんか。若し夫れ罪を知りて改めざる者は、真に如何ともすべからざるの人なり。人の患は罪を犯して罪を知らざるにあり、是れ誠に憐むべし。今他人ありて其の罪を告げ知らしむ、其の人自ら罪を知る、而るに猶ほ且つ改めず、然れば則ち又更に告ぐべき様なし。世間を歴観するに此くの如きの人甚だ多し。共に忠孝仁義の美なるをも知り、不忠不孝不仁不義の悪なるをも知りつれども、其の行を省みれば、一つとして忠孝仁義に似たることなき者あり。是れ罪を知りて改めざる者にして、孔距心・宣王の流なり。
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