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福翁自伝 / 緒方の塾風・遊女の贋手紙(2)

片言交りに彼等の云いそうな事を並べ立て、何でも彼の男は無心を云われて居るに相違ないその無心は、屹度麝香を呉れろとか何とか云われた事があるに違いないと推察して、文句の中に「ソレあのとき役足のじゃこはどておますと云うような、判じて読まねば分らぬような事を書入れて、鉄川様何々よりと記して手紙は出来たが、併し私の手蹟じゃ不味いから長州の松岡勇記と云う男が御家流で女の手に紛らわしく書いて、ソレカラ玄関の取次をする書生に云含めて、「是れを新地から来たと云て持て行け。併し事実を云えば打撲るぞ。宜しいかと脅迫して、夫れから取次が本人の処に持て行て、「鉄川と云う人は塾中にない、多分手塚君のことゝ思うから持て来たと云て渡した。手紙偽造の共謀者はその前から見え隠れに様子を窺うて居た所が、本人の手塚は一人で頻りにその手紙を見て居る。麝香の無心があった事か如何か分らないが、手塚の二字を大阪なまりにテツカと云うそのテツカを鉄川と書いたのは、高橋順益の思付で余ほど善く出来てる。そんな事で如何やら斯うやら遂に本人をしゃくり出して仕舞たのは罪の深い事だ。二、三日は止まって居たが果して行たから、ソリャ締めたと共謀者は待て居る。翌朝帰て平気で居るから、此方も平気で、私が鋏を持て行てひょいと引捕えた所が、手塚が驚いて「どうすると云うから、「どうするも何もない、坊主にするだけだ。坊主にされて今のような立派な男になるには二年ばかり手間が掛るだろう。往生しろと云て、髻を捕えて鋏をガチャ/\云わせると、当人は真面目になって手を合せて拝む。そうすると共謀者中から仲裁人が出て来て、「福澤、余り酷いじゃないか。「何も文句なしじゃないか、坊主になるのは約束だと問答の中に、馴合の中人が段々取持つような風をして、果ては坊主の代りに酒や鶏を買わして、一処に飲みながら又冷かして、「お願いだ、もう一度行て呉れんか、又飲めるからとワイワイ云たのは随分乱暴だけれども、それが自から切諫になって居たこともあろう。

新字:片言交りに彼等の云いそうな事を並べ立て、何でも彼の男は無心を云われて居るに相違ないその無心は、屹度麝香を呉れろとか何とか云われた事があるに違いないと推察して、文句の中に「ソレあのとき役足のじゃこはどておますと云うような、判じて読まねば分らぬような事を書入れて、鉄川様何々よりと記して手紙は出来たが、併し私の手跡じゃ不味いから長州の松岡勇記と云う男が御家流で女の手に紛らわしく書いて、ソレカラ玄関の取次をする書生に云含めて、「是れを新地から来たと云て持て行け。併し事実を云えば打撲るぞ。宜しいかと脅迫して、夫れから取次が本人の処に持て行て、「鉄川と云う人は塾中にない、多分手塚君のことゝ思うから持て来たと云て渡した。手紙偽造の共謀者はその前から見え隠れに様子を窺うて居た所が、本人の手塚は一人で頻りにその手紙を見て居る。麝香の無心があった事か如何か分らないが、手塚の二字を大阪なまりにテツカと云うそのテツカを鉄川と書いたのは、高橋順益の思付で余ほど善く出来てる。そんな事で如何やら斯うやら遂に本人をしゃくり出して仕舞たのは罪の深い事だ。二、三日は止まって居たが果して行たから、ソリャ締めたと共謀者は待て居る。翌朝帰て平気で居るから、此方も平気で、私が鋏を持て行てひょいと引捕えた所が、手塚が驚いて「どうすると云うから、「どうするも何もない、坊主にするだけだ。坊主にされて今のような立派な男になるには二年ばかり手間が掛るだろう。往生しろと云て、髻を捕えて鋏をガチャ/\云わせると、当人は真面目になって手を合せて拝む。そうすると共謀者中から仲裁人が出て来て、「福沢、余り酷いじゃないか。「何も文句なしじゃないか、坊主になるのは約束だと問答の中に、馴合の中人が段々取持つような風をして、果ては坊主の代りに酒や鶏を買わして、一処に飲みながら又冷かして、「お願いだ、もう一度行て呉れんか、又飲めるからとワイワイ云たのは随分乱暴だけれども、それが自から切諫になって居たこともあろう。

書き下し

片言交りに彼等の云いそうな事を並べ立て、何でも彼の男は無心を云われて居るに相違ないその無心は、屹度麝香を呉れろとか何とか云われた事があるに違いないと推察して、文句の中に「ソレあのとき役足のじゃこはどておますと云うような、判じて読まねば分らぬような事を書入れて、鉄川様何々よりと記して手紙は出来たが、併し私の手蹟じゃ不味いから長州の松岡勇記と云う男が御家流で女の手に紛らわしく書いて、ソレカラ玄関の取次をする書生に云含めて、「是れを新地から来たと云て持て行け。併し事実を云えば打撲るぞ。宜しいかと脅迫して、夫れから取次が本人の処に持て行て、「鉄川と云う人は塾中にない、多分手塚君のことゝ思うから持て来たと云て渡した。手紙偽造の共謀者はその前から見え隠れに様子を窺うて居た所が、本人の手塚は一人で頻りにその手紙を見て居る。麝香の無心があった事か如何か分らないが、手塚の二字を大阪なまりにテツカと云うそのテツカを鉄川と書いたのは、高橋順益の思付で余ほど善く出来てる。そんな事で如何やら斯うやら遂に本人をしゃくり出して仕舞たのは罪の深い事だ。二、三日は止まって居たが果して行たから、ソリャ締めたと共謀者は待て居る。翌朝帰て平気で居るから、此方も平気で、私が鋏を持て行てひょいと引捕えた所が、手塚が驚いて「どうすると云うから、「どうするも何もない、坊主にするだけだ。坊主にされて今のような立派な男になるには二年ばかり手間が掛るだろう。往生しろと云て、髻を捕えて鋏をガチャ/\云わせると、当人は真面目になって手を合せて拝む。そうすると共謀者中から仲裁人が出て来て、「福澤、余り酷いじゃないか。「何も文句なしじゃないか、坊主になるのは約束だと問答の中に、馴合の中人が段々取持つような風をして、果ては坊主の代りに酒や鶏を買わして、一処に飲みながら又冷かして、「お願いだ、もう一度行て呉れんか、又飲めるからとワイワイ云たのは随分乱暴だけれども、それが自から切諫になって居たこともあろう。

現代語訳

片言交じりに彼女たちの言いそうなことを並べ立て、あの男はきっと無心を言われているに違いない、その無心はきっと麝香をくれとか何とか言われたことがあるに違いないと推察して、文句の中に「そらあのとき約束のじゃこはどうなっておますか」という、判じて読まねば分らないようなことを書き入れ、鉄川様何々より、と書いて手紙ができました。しかし私の筆跡ではまずいので、長州の松岡勇記という男に、御家流で女の手に紛らわしく書かせ、それから玄関の取次をする書生に言い含めて、「これを新地から来たと言って持って行け。ただし事実を言えば殴るぞ、いいか」と脅し、取次は本人の所へ持って行って、「鉄川という人は塾中にいない、たぶん手塚君のことだと思うので持ってきた」と言って渡しました。手紙偽造の共謀者は、その前から物陰で様子をうかがっていたところ、本人の手塚はひとりでしきりにその手紙を見ています。麝香の無心があったかどうかは分りませんが、手塚の二字を大阪なまりでテツカと言い、そのテツカを鉄川と書いたのは高橋順益の思いつきで、なかなかよくできています。そんなことで、どうにかこうにか、ついに本人を誘い出してしまったのは罪の深いことです。二、三日はとどまっていましたが、案の定行ったので、それ締めた、と共謀者は待っています。翌朝、帰ってきて平気でいるから、こちらも平気で、私が鋏を持って行ってひょいと取り押さえたところ、手塚は驚いて「どうする」と言うので、「どうするも何もない、坊主にするだけだ。坊主にされて今のような立派な男になるには二年ばかり手間がかかるだろう。観念しろ」と言い、髷をつかんで鋏をガチャガチャ鳴らすと、当人は真顔になって手を合わせて拝みます。すると共謀者の中から仲裁人が出てきて、「福沢、あまりひどいじゃないか」「何も文句なしじゃないか、坊主になるのは約束だ」と問答するうちに、なれ合いの仲裁人がだんだん取りなすふうをして、果ては坊主の代わりに酒や鶏を買わせ、一緒に飲みながらまた冷やかして、「お願いだ、もう一度行ってくれないか、また飲めるから」とワイワイ言ったのは、ずいぶん乱暴だけれども、それが自然と諫めにもなっていたこともあるでしょう。

解説

にせの恋文で遊女街に通う友人を罠にかけ、約束どおり坊主にするぞと脅して酒盛りに持ち込む、手の込んだ悪ふざけの顛末です。偽造の手紙の細部までよく練られており、福沢の機転と文才が悪い方向に発揮されています。それでも結末は、罰ではなく酒の席での冷やかしという笑いに落ち着き、本人は笑いながら反省せざるを得ません。福沢自身も乱暴だが諫めにもなったと振り返ります。仲間内の遊びの形をとった忠告が効く場面は、今の組織でも思い当たるでしょう。

この章句が説くこと

偽手紙鋏仲裁諫め悪ふざけ塾生

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