福翁自伝 / 緒方の塾風・遊女の贋手紙(1)
夫れから塾中の奇談を云うと、そのときの塾生は大抵みな医者の子弟だから、頭は坊主か総髪で国から出て来るけれども、大阪の都会に居る間は半髪になって天下普通の武家の風がして見たい。今の真宗坊主が毛を少し延ばして当前の断髪の真似をするような訳けで、内実の医者坊主が半髪になって刀を挟して威張るのを嬉しがって居る。その時、江戸から来て居る手塚と云う書生があって、この男は或る徳川家の藩医の子であるから、親の拝領した葵の紋付を着て、頭は塾中流行の半髪で太刀作の刀を挟てると云う風だから、如何にも見栄があって立派な男であるが、如何も身持が善くない。ソコデ私が或る日、手塚に向て、「君が本当に勉強すれば僕は毎日でも講釈をして聞かせるから、何は扨置き北の新地に行くことは止しなさいと云たら、当人もその時は何か後悔した事があると見えて「アヽ新地か、今思出しても忌だ。決して行かない。「それなら屹度君に教えて遣るけれども、マダ疑わしい。行かないと云う証文を書け。「宜しい如何な事でも書くと云うから、云々今後屹度勉強する、若し違約をすれば坊主にされても苦からずと云う証文を書かせて私の手に取て置て、約束の通りに毎日別段に教えて居た所が、その後手塚が真実勉強するから面白くない。斯う云うのは全く此方が悪い。人の勉強するのを面白くないとは怪しからぬ事だけれども、何分興がないから窃と両三人に相談して、「彼奴の馴染の遊女は何と云う奴か知ら。「それは直ぐに分る、何々という奴。「よし、それならば一つ手紙を遣ろうと、夫れから私が遊女風の手紙を書く。
書き下し
夫れから塾中の奇談を云うと、そのときの塾生は大抵みな医者の子弟だから、頭は坊主か総髪で国から出て来るけれども、大阪の都会に居る間は半髪になって天下普通の武家の風がして見たい。今の真宗坊主が毛を少し延ばして当前の断髪の真似をするような訳けで、内実の医者坊主が半髪になって刀を挟して威張るのを嬉しがって居る。その時、江戸から来て居る手塚と云う書生があって、この男は或る徳川家の藩医の子であるから、親の拝領した葵の紋付を着て、頭は塾中流行の半髪で太刀作の刀を挟てると云う風だから、如何にも見栄があって立派な男であるが、如何も身持が善くない。ソコデ私が或る日、手塚に向て、「君が本当に勉強すれば僕は毎日でも講釈をして聞かせるから、何は扨置き北の新地に行くことは止しなさいと云たら、当人もその時は何か後悔した事があると見えて「アヽ新地か、今思出しても忌だ。決して行かない。「それなら屹度君に教えて遣るけれども、マダ疑わしい。行かないと云う証文を書け。「宜しい如何な事でも書くと云うから、云々今後屹度勉強する、若し違約をすれば坊主にされても苦からずと云う証文を書かせて私の手に取て置て、約束の通りに毎日別段に教えて居た所が、その後手塚が真実勉強するから面白くない。斯う云うのは全く此方が悪い。人の勉強するのを面白くないとは怪しからぬ事だけれども、何分興がないから窃と両三人に相談して、「彼奴の馴染の遊女は何と云う奴か知ら。「それは直ぐに分る、何々という奴。「よし、それならば一つ手紙を遣ろうと、夫れから私が遊女風の手紙を書く。
現代語訳
それから塾中の奇談を話しましょう。そのころの塾生は大抵みな医者の子弟ですから、国にいるときは頭は坊主か総髪ですが、大阪の都会にいる間は半髪になって、天下普通の武家の風をしてみたい。今の真宗の坊主が毛を少し伸ばして、普通の断髪のまねをするようなもので、内実は医者坊主が半髪になり、刀を差して威張るのを嬉しがっていたのです。そのころ、江戸から来ている手塚という書生がいました。この男はある徳川家の藩医の子ですから、親が拝領した葵の紋付を着て、頭は塾中流行の半髪、太刀作りの刀を差しているという格好で、見栄えがして立派な男ですが、どうも身持ちがよくない。そこである日、私は手塚に向かって、「君が本当に勉強するなら、僕は毎日でも講釈して聞かせる。何はさておき、北の新地に行くことはやめなさい」と言ったところ、当人もそのとき何か後悔したことがあったと見えて、「ああ、新地か、今思い出しても嫌だ。決して行かない」と言う。「それなら必ず君に教えてやるが、まだ疑わしい。行かないという証文を書け」「よろしい、どんなことでも書く」と言うので、「今後必ず勉強する、もし違約したら坊主にされても構わない」という証文を書かせ、私の手元に取っておき、約束どおり毎日特別に教えていたところ、その後手塚が本当に勉強するので面白くない。こういうのは全くこちらが悪い。人が勉強するのを面白くないとは怪しからぬことですが、何分にも興がないので、そっと二、三人に相談して、「あいつのなじみの遊女は何という奴か」「それはすぐ分る、何々という奴だ」「よし、それなら一つ手紙をやろう」と、私が遊女風の手紙を書くことになりました。
解説
この章句が説くこと
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