福翁自伝 / 王政維新・塾の始末に困る、楽書無用
夫れはそれとして又一方から見れば、塾生の始末には誠に骨が折れました。戦争後意外に人の数は増したが、その人はどんな種類の者かと云うに、去年から出陣してさん/″\奥州地方で戦て漸く除隊になって、国には帰らずに鉄砲を棄てゝその儘塾に来たと云うような少年生が中々多い。中にも土佐の若武者などは長い朱鞘の大小を挟して、鉄砲こそ持たないが今にも斬て掛ろうと云うような恐ろしい顔色をして居る。爾うかと思うとその若武者が紅い女の着物を着て居る。是れはドウしたのかと云うと、会津で分捕りした着物だと云て威張て居る。実に血腥い怖い人物で、一見先ず手の着けようがない。ソコデ私は前申す通り新銭座の塾を立てると同時に極めて簡単な塾則を拵えて、塾中金の貸借は一切相成らぬ、寝るときは寝て、起るときは起き、喰うときには定めの時間に食堂に出る、夫れから楽書一切相成らぬ、壁や障子に楽書を禁ずるは勿論、自分所有の行灯にも机にも一切の品物に楽書は相成らぬと云うくらいの箇条で、既に規則を極めた以上はソレを実行しなくてはならぬ。ソコで障子に楽書してあれば私は小刀を以て其処だけ切破て、この部屋に居る者が元の通りに張れと申付ける。夫れから行灯に書てあれば、誰の行灯でも構わぬ、その持主を咎めると、時としてはその者が、「是れは自分でない、人の書たのですと云ても私は許さぬ。人が書たと云うのは云訳けにならぬ、自分の行灯に楽書されてソレを見て居ると云うのは馬鹿だ、馬鹿の罰に早々張替えるが宜しい、楽書した行灯は塾に置かぬ、破るからアトを張て置きなさいと云うようにして、寸毫も仮さない。如何に血腥い若武者が何と云おうとも、そんな事を恐れて居られない。ミシ/\遣付けて遣る。名は忘れたが、不図見た所が桐の枕に如何な楽書がしてある。「コリャ何だ。銘々の私有品でも楽書は一切相成らぬと云たではないか、ドウ云う訳けだ、一句の返答も出来なかろう。この枕は私は削りたいけれども削ることが出来ない、打毀わすから代りを取て来なさいと云て、その枕を取上げて足で踏潰して、サアどうでもしろ、攫み掛て来るなら相手になろうと云わぬばかりの思惑を示した所で、決して掛らぬ。全体私は骨格は少し大きいが、本当は柔術も何も知らない、生れてから人を打たこともない男だけれども、その権幕はドウも撃ちそうな攫み掛りそうな気色で、口の法螺でなくして身体の法螺で吹倒した。所が皆小さくなって言うことを聞くようになって来て、ソレでマア戦争帰りの血腥い奴も自から静になって塾の治まりが付き、その中には真成な大人しい学者風の少年も多く、至極勉強してます/\塾風を高尚にして、明治四年まで新銭座に居ました。
書き下し
夫れはそれとして又一方から見れば、塾生の始末には誠に骨が折れました。戦争後意外に人の数は増したが、その人はどんな種類の者かと云うに、去年から出陣してさん/″\奥州地方で戦て漸く除隊になって、国には帰らずに鉄砲を棄てゝその儘塾に来たと云うような少年生が中々多い。中にも土佐の若武者などは長い朱鞘の大小を挟して、鉄砲こそ持たないが今にも斬て掛ろうと云うような恐ろしい顔色をして居る。爾うかと思うとその若武者が紅い女の着物を着て居る。是れはドウしたのかと云うと、会津で分捕りした着物だと云て威張て居る。実に血腥い怖い人物で、一見先ず手の着けようがない。ソコデ私は前申す通り新銭座の塾を立てると同時に極めて簡単な塾則を拵えて、塾中金の貸借は一切相成らぬ、寝るときは寝て、起るときは起き、喰うときには定めの時間に食堂に出る、夫れから楽書一切相成らぬ、壁や障子に楽書を禁ずるは勿論、自分所有の行灯にも机にも一切の品物に楽書は相成らぬと云うくらいの箇条で、既に規則を極めた以上はソレを実行しなくてはならぬ。ソコで障子に楽書してあれば私は小刀を以て其処だけ切破て、この部屋に居る者が元の通りに張れと申付ける。夫れから行灯に書てあれば、誰の行灯でも構わぬ、その持主を咎めると、時としてはその者が、「是れは自分でない、人の書たのですと云ても私は許さぬ。人が書たと云うのは云訳けにならぬ、自分の行灯に楽書されてソレを見て居ると云うのは馬鹿だ、馬鹿の罰に早々張替えるが宜しい、楽書した行灯は塾に置かぬ、破るからアトを張て置きなさいと云うようにして、寸毫も仮さない。如何に血腥い若武者が何と云おうとも、そんな事を恐れて居られない。ミシ/\遣付けて遣る。名は忘れたが、不図見た所が桐の枕に如何な楽書がしてある。「コリャ何だ。銘々の私有品でも楽書は一切相成らぬと云たではないか、ドウ云う訳けだ、一句の返答も出来なかろう。この枕は私は削りたいけれども削ることが出来ない、打毀わすから代りを取て来なさいと云て、その枕を取上げて足で踏潰して、サアどうでもしろ、攫み掛て来るなら相手になろうと云わぬばかりの思惑を示した所で、決して掛らぬ。全体私は骨格は少し大きいが、本当は柔術も何も知らない、生れてから人を打たこともない男だけれども、その権幕はドウも撃ちそうな攫み掛りそうな気色で、口の法螺でなくして身体の法螺で吹倒した。所が皆小さくなって言うことを聞くようになって来て、ソレでマア戦争帰りの血腥い奴も自から静になって塾の治まりが付き、その中には真成な大人しい学者風の少年も多く、至極勉強してます/\塾風を高尚にして、明治四年まで新銭座に居ました。
現代語訳
それはそれとして、また一方から見ると、塾生の始末にはまことに骨が折れました。戦争後、意外に人の数は増しましたが、その人はどんな種類の者かというと、去年から出陣してさんざん奥州地方で戦い、やっと除隊になって、国には帰らず、鉄砲を捨ててそのまま塾に来たという少年生がなかなか多いのです。中でも土佐の若武者などは、長い朱鞘の大小を差して、鉄砲こそ持たないが今にも斬りかかろうというような恐ろしい顔つきをしています。そうかと思うと、その若武者が赤い女の着物を着ている。これはどうしたのかと聞くと、会津で分捕りした着物だと言って威張っている。実に血なまぐさく怖い人物で、一見手のつけようがありません。 そこで私は、前に申した通り、新銭座の塾を立てると同時に極めて簡単な塾則をつくり、塾中で金の貸借は一切いけない、寝るときは寝て、起きるときは起き、食べるときは決まった時間に食堂に出ること、それから落書き一切いけない、壁や障子に落書きを禁ずるのはもちろん、自分所有の行灯にも机にも一切の品物に落書きはいけない、というくらいの箇条にしましたが、すでに規則を決めた以上は、実行しなくてはなりません。そこで障子に落書きがあれば、私は小刀でその部分だけ切り破り、この部屋にいる者が元通りに張れと申し付けます。それから行灯に書いてあれば、誰の行灯でもかまわない、その持ち主を咎めると、ときにはその者が、これは自分ではない、人が書いたのですと言っても、私は許しません。人が書いたというのは言い訳にならない、自分の行灯に落書きされて、それを見ているというのは馬鹿だ、馬鹿の罰に早々張り替えなさい、落書きした行灯は塾には置かない、破るから跡を張っておきなさい、と、少しも貸しませんでした。いくら血なまぐさい若武者が何と言おうとも、そんなことを恐れてはいられません。ミシミシやっつけてやりました。 名は忘れましたが、ふと見ると、桐の枕にひどい落書きがあります。これは何だ、銘々の私有品でも落書きは一切いけないと言ったではないか、どういうわけだ、一言の返答もできまい。この枕は私は削りたいが削ることができない、打ち壊すから代わりを取ってきなさい、と言って、その枕を取り上げて足で踏みつぶし、さあどうでもしろ、つかみかかってくるなら相手になろう、と言わんばかりの様子を見せたところ、決してかかってきません。全体私は骨格は少し大きいけれど、本当は柔術も何も知らず、生まれてから人を殴ったこともない男ですが、その剣幕は、どうも殴りそうな、つかみかかりそうな気配で、口先のはったりではなく、体のはったりで吹き倒したのです。ところが皆小さくなって言うことを聞くようになり、それで戦争帰りの血なまぐさい連中もおのずと静かになって、塾の治まりがつきました。その中には本当に大人しい学者風の少年も多く、非常に勉強して、ますます塾風を高尚にして、明治四年まで新銭座におりました。
解説
この章句が説くこと
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