福翁自伝 / 長崎遊学・長崎遊学中の逸事
鄙事多能は私の独得、長崎に居る間は山本先生の家に食客生と為り、無暗に勉強して蘭学も漸く方角の分るようになるその片手に、有らん限り先生家の家事を勤めて、上中下の仕事なんでも引請けて、是れは出来ない、其れは忌だと云たことはない。丁度上方辺の大地震のとき、私は先生家の息子に漢書の素読をして遣た跡で、表の井戸端で水を汲んで、大きな荷桶を担いで一足跡出すその途端にガタ/″\と動揺て足が滑り、誠に危ない事がありました。 寺の和尚、今は既に物故したそうですが、是れは東本願寺の末寺、光永寺と申して、下寺の三ヶ寺も持て居る先ず長崎では名のある大寺、そこの和尚が京に上って何か立身して帰て来て、長崎の奉行所に廻勤に行くその若党に雇われてお供をした所が、和尚が馬鹿に長い衣か装束か妙なものを着て居て、奉行所の門で駕籠を出ると、私が後からその裾を持てシヅ/″\と附いて歩いて行く。吹出しそうに可笑しい。又その和尚が正月になると大檀那の家に年礼に行くそのお供をすれば、坊さんが奥で酒でも飲でる供待の間に、供の者にも膳を出して雑煮など喰わせる。是れは難有く戴きました。 又節分に物貰いをしたこともある。長崎の風に、節分の晩に法螺の貝を吹て何か経文のような事を怒鳴って廻わる、東京で云えば厄払い、その厄払をして市中の家の門に立てば、銭を呉れたり米を呉れたりすることがある。所が私の居る山本の隣家に杉山松三郎(杉山徳三郎の実兄)と云う若い男があって、面白い人物。「どうだ今夜行こうじゃないかと私を誘うから、勿論同意。ソレカラ何処かで法螺の貝を借りて来て、面を隠して二人で出掛けて、杉山が貝を吹く、お経の文句は、私が少年の時に暗誦して居た蒙求の表題と千字文で請持ち、王戎簡要天地玄黄なんぞ出鱈目に怒鳴り立てゝ、誠に上首尾、銭だの米だの随分相応に貰て来て、餅を買い鴨を買い雑煮を拵えてタラフク喰た事がある。
書き下し
鄙事多能は私の独得、長崎に居る間は山本先生の家に食客生と為り、無暗に勉強して蘭学も漸く方角の分るようになるその片手に、有らん限り先生家の家事を勤めて、上中下の仕事なんでも引請けて、是れは出来ない、其れは忌だと云たことはない。丁度上方辺の大地震のとき、私は先生家の息子に漢書の素読をして遣た跡で、表の井戸端で水を汲んで、大きな荷桶を担いで一足跡出すその途端にガタ/″\と動揺て足が滑り、誠に危ない事がありました。 寺の和尚、今は既に物故したそうですが、是れは東本願寺の末寺、光永寺と申して、下寺の三ヶ寺も持て居る先ず長崎では名のある大寺、そこの和尚が京に上って何か立身して帰て来て、長崎の奉行所に廻勤に行くその若党に雇われてお供をした所が、和尚が馬鹿に長い衣か装束か妙なものを着て居て、奉行所の門で駕籠を出ると、私が後からその裾を持てシヅ/″\と附いて歩いて行く。吹出しそうに可笑しい。又その和尚が正月になると大檀那の家に年礼に行くそのお供をすれば、坊さんが奥で酒でも飲でる供待の間に、供の者にも膳を出して雑煮など喰わせる。是れは難有く戴きました。 又節分に物貰いをしたこともある。長崎の風に、節分の晩に法螺の貝を吹て何か経文のような事を怒鳴って廻わる、東京で云えば厄払い、その厄払をして市中の家の門に立てば、銭を呉れたり米を呉れたりすることがある。所が私の居る山本の隣家に杉山松三郎(杉山徳三郎の実兄)と云う若い男があって、面白い人物。「どうだ今夜行こうじゃないかと私を誘うから、勿論同意。ソレカラ何処かで法螺の貝を借りて来て、面を隠して二人で出掛けて、杉山が貝を吹く、お経の文句は、私が少年の時に暗誦して居た蒙求の表題と千字文で請持ち、王戎簡要天地玄黄なんぞ出鱈目に怒鳴り立てゝ、誠に上首尾、銭だの米だの随分相応に貰て来て、餅を買い鴨を買い雑煮を拵えてタラフク喰た事がある。
現代語訳
雑用が何でもできるのは私の独特の取り柄です。長崎にいる間は山本先生の家の食客生となり、むやみに勉強して蘭学もようやく方角が分かるようになりましたが、その片手間に、ありったけ先生の家の家事を務め、上中下どんな仕事でも引き受けて、これは出来ない、あれは嫌だと言ったことはありません。ちょうど上方あたりで大地震のあった時、私は先生の家の息子に漢書の素読を教えてやった後で、表の井戸端で水を汲み、大きな荷桶を担いで一足踏み出したその途端にガタガタと揺れて足が滑り、たいへん危ないことがありました。 寺の和尚は、今はもう亡くなったそうですが、東本願寺の末寺で光永寺と申し、下寺を三ヶ寺も持つ、長崎ではまず名のある大寺です。その和尚が京へ上って何か出世して帰って来て、長崎の奉行所へ挨拶回りに行くので、その若党に雇われてお供をしました。和尚がばかに長い衣だか装束だか妙なものを着ていて、奉行所の門で駕籠を出ると、私が後ろからその裾を持ってそろそろとついて歩いて行きます。吹き出しそうにおかしい。またその和尚が正月になると大檀那の家へ年始に行くので、そのお供をすると、坊さんが奥で酒でも飲んでいる間、供待ちの部屋でも供の者に膳を出して雑煮などを食べさせてくれます。これはありがたくいただきました。 また節分に物貰いをしたこともあります。長崎の風習で、節分の晩に法螺貝を吹いて経文のようなことを怒鳴って回ります。東京でいう厄払いです。その厄払いをして市中の家の門に立つと、銭や米をくれることがあります。ところが私のいる山本の隣家に杉山松三郎(杉山徳三郎の実兄)という若い男がいて、面白い人物でした。「どうだ、今夜行こうじゃないか」と私を誘うので、もちろん賛成です。そこでどこかで法螺貝を借りて来て、顔を隠して二人で出かけ、杉山が貝を吹き、お経の文句は、私が少年の時に暗誦していた『蒙求』の表題と『千字文』で間に合わせ、「王戎簡要、天地玄黄」などとでたらめに怒鳴り立てて、たいへん上首尾、銭や米をそれ相応にたくさんもらって来て、餅を買い、鴨を買い、雑煮をこしらえて、たらふく食べたことがあります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段一も捨てず一に泥まず、能く用ふるは名医なるべし。一方に泥み滞りて、時の変を知らざるは、名医とはいふべからず。天下国家を治むる道もかくの如し。古より有り来たる法を一として捨てず、一に泥まざるは、名医の諸薬を捨てずして、病を治するに同じ。天下国家を治むるに、儒道は善しといふとも、心闇くして泥むことあらば、必ず害あらん。是れ庸医の、人参を以て人を殺すが如し。金屑、眼に入る時は、忽ち翳となる。又仏法信仰するは、心を悟るためなり。仏法を以て得る心と、儒道を以て得たる心と、心に二品の替りあらんや。何の道にて心を得るとも、其の心を以て仁政を行ひ、天下国家を治め給ふに、何を以て害あらん。自ら悪を為し、刑罰にて死する者は、君の私を以て殺し給ふに非ず、何ぞ刑罰に心あらんや。書に曰く、自ら作せる災は活くべからず。聖人の政は天のごとし、無為にして治まる。刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去り、諫鼓苔深くして鳥驚かずといへり。
-
『囲炉夜話』第二百九則・做作の氣有れば本色の人に非ず執滯の心無くして、才かに是れ通方の士なり。做作の氣有れば、便ち本色の人に非ず。
-
孫子・九地篇兵の情は速きを主とす。人の及ばざるに乗じ、不虞の道に由り、その戒めざる所を攻むるなり。
-
『五常訓』巻之四・義一子曰く、君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し、義と之れ与に比ふ。君子は天下一切のことにおいて、専らに主としてすべき事も無く、又すべからざる事もなし。是万の事、善悪一定せず、唯時の宜しき道にしたがふべし。一事を以ていはば、世に出でて必仕ふるを専らにせず、是無適なり。仕へまじき時は仕へずして、世をのがるべし。又必仕へざるを以てむねとせず。是無莫なり。仕ふべき時は仕へて、道を行ふべし。然れば、仕ふるも仕へざるも、唯義とともにしたがふべし。仕へて宜しき時は仕へ、仕ふまじき時は仕へず。是義にしたがふなり。たとへば道を行くに、早きがよしといふは適なり。早きを悪しきとするは莫なり。早く行きてよき時は早く、しづかに行きてよき時はしづかなるは、義とともにしたがふ也。人に物を与へんと定むるは適なり。与へまじきと定むるは莫なり。与ふべき時は与へ、与ふまじき時は与へず。是義とともにしたがふなり。万のこと、皆是を以ておして知るべし。義は事の主なり。万事の善悪一定せず、唯義にまかせて行ふべし。是善なり。
-
『晏子春秋』問下・景公問廉政而長久晏子對以其行水也景公、晏子に問いて曰く、「廉政にして長久なるは、其の行い何ぞや」と。晏子対えて曰く、「其の行いは水なり。美なる哉、水の清清たること。其の濁は雩途せざる無く、其の清は灑除せざる無し。是を以て長久なり」と。公曰く、「廉政にして速やかに亡ぶは、其の行い何ぞや」と。対えて曰く、「其の行いは石なり。堅き哉、石の落落たること。之を視れば則ち堅く、之に循えば則ち堅く、内外皆堅し。以て久しきこと無し。是を以て速やかに亡ぶなり」と。
-
『酔古堂剣掃』集法・宋人の道學に執する莫かれ世には理の必し難き所の事多し、宋人の道學に執する莫かれ。世には情の通じ難き所の事多し、晉人の風流を說く莫かれ。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る