福翁自伝 / 長崎遊学・江戸行を志す
丁度そのとき中津から鉄屋惣兵衛と云う商人が長崎に来て居て、幸いその男が中津に帰ると云うから、兎も角も之と同伴と約束をして置て、ソコデ私の胸算は固より中津に帰る気はない。何でも人間の行くべき処は江戸に限る、是れから真直に江戸に行きましょうと決心はしたが、この事に就ては誰かに話して相談をせねばならぬ。所が江戸から来た岡部同直と云う蘭学書生がある。是れは医者の子で至極面白い慥かな人物と見込んだから、この男に委細の内情を打明けて、「斯う/\云う次第で僕は長崎に居られぬ、余り癪に障るからこのまゝ江戸に飛出す積りだが、実は江戸に知る人はなし、方角が分らぬ。君の家は江戸ではないか、大人は開業医と開いたが、君の家に食客に置て呉れる事は出来まいか。僕は医者でないが丸薬を丸める位の事は屹と出来るから、何卒世話をして貰いたいと云うと、岡部も私の身の有様を気の毒に思うたか、私と一緒になって腹を立てゝ容易く私の云う事を請合い、「ソレは出来よう、何でも江戸に行け。僕の親仁は日本橋檜物町に開業して居るから、手紙を書いて遣ろうと云て、親仁名当の一封を呉れたから私は喜んで之を請取り、「ソコデ今この事が知れると大変だ、中津に帰らなければならぬようになるから、是ればかりは奥平にも山本にも一切誰にも云わずに、君一人で呑込んで居て外に洩らさぬようにして、僕は是れから下ノ関に出て船に乗て先ず大阪に行く、凡そ十日か十五日も掛れば着くだろう。その時を見計ろうて中村(諭吉、当時は中村の姓を冒す)は初めから中津に帰る気はなかった、江戸に行くと云て長崎を出たと、奥平にも話して呉れ。是れも聊か面当だと互に笑て、朋友と内々の打合せは出来た。
書き下し
丁度そのとき中津から鉄屋惣兵衛と云う商人が長崎に来て居て、幸いその男が中津に帰ると云うから、兎も角も之と同伴と約束をして置て、ソコデ私の胸算は固より中津に帰る気はない。何でも人間の行くべき処は江戸に限る、是れから真直に江戸に行きましょうと決心はしたが、この事に就ては誰かに話して相談をせねばならぬ。所が江戸から来た岡部同直と云う蘭学書生がある。是れは医者の子で至極面白い慥かな人物と見込んだから、この男に委細の内情を打明けて、「斯う/\云う次第で僕は長崎に居られぬ、余り癪に障るからこのまゝ江戸に飛出す積りだが、実は江戸に知る人はなし、方角が分らぬ。君の家は江戸ではないか、大人は開業医と開いたが、君の家に食客に置て呉れる事は出来まいか。僕は医者でないが丸薬を丸める位の事は屹と出来るから、何卒世話をして貰いたいと云うと、岡部も私の身の有様を気の毒に思うたか、私と一緒になって腹を立てゝ容易く私の云う事を請合い、「ソレは出来よう、何でも江戸に行け。僕の親仁は日本橋檜物町に開業して居るから、手紙を書いて遣ろうと云て、親仁名当の一封を呉れたから私は喜んで之を請取り、「ソコデ今この事が知れると大変だ、中津に帰らなければならぬようになるから、是ればかりは奥平にも山本にも一切誰にも云わずに、君一人で呑込んで居て外に洩らさぬようにして、僕は是れから下ノ関に出て船に乗て先ず大阪に行く、凡そ十日か十五日も掛れば着くだろう。その時を見計ろうて中村(諭吉、当時は中村の姓を冒す)は初めから中津に帰る気はなかった、江戸に行くと云て長崎を出たと、奥平にも話して呉れ。是れも聊か面当だと互に笑て、朋友と内々の打合せは出来た。
現代語訳
ちょうどそのとき、中津から鉄屋惣兵衛という商人が長崎に来ていて、幸いその男が中津に帰るというので、ともかくもこれと同伴の約束をしておいて、そこで私の胸算用は、もとより中津に帰る気はありません。何でも人間の行くべきところは江戸に限る、これから真っ直ぐに江戸に行きましょうと決心はしたものの、このことについては誰かに話して相談をしなければなりません。ところが江戸から来た岡部同直という蘭学書生がいます。これは医者の子で、まことに面白い確かな人物と見込んだので、この男に委細の内情を打ち明けて、「これこれの次第で僕は長崎にいられない、あまり癪に障るので、このまま江戸に飛び出すつもりだが、実は江戸に知る人はなし、方角がわからない。君の家は江戸ではないか、お父上は開業医と聞いたが、君の家に食客に置いてもらうことはできないだろうか。僕は医者ではないが、丸薬を丸めるくらいのことはきっとできるから、どうか世話をしてもらいたい」というと、岡部も私の身の上を気の毒に思ったのか、私と一緒になって腹を立てて、たやすく私のいうことを請け合い、「それはできよう、何でも江戸に行け。僕の親父は日本橋檜物町で開業しているから、手紙を書いてやろう」といって、親父宛ての一通をくれたので、私は喜んでこれを受け取り、「そこで今このことが知れると大変だ、中津に帰らなければならないようになるから、これだけは奥平にも山本にも一切誰にもいわずに、君ひとりで呑み込んでいて外に漏らさぬようにしてくれ。僕はこれから下ノ関に出て、船に乗ってまず大阪に行く。およそ十日か十五日もかかれば着くだろう。その時を見計らって、中村(諭吉、当時は中村の姓を名乗っていた)は初めから中津に帰る気はなかった、江戸に行くといって長崎を出たと、奥平にも話してくれ。これもいささか面当てだ」と互いに笑って、友人と内々の打ち合わせはできました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・應務・人を戒むると己を戒むると孰れか難き余少き時曾て當に密なるべきの語を泄らす。先君之を責む。對へて曰く、「已に聞く者を戒めて泄らす勿からしめたり」と。先君曰く、「子は子の口を必する能はずして、能く人の口を必するか。且つ人を戒むると己を戒むると孰れか難き。小子之を慎め」と。
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