福翁自伝 / 長崎遊学・長崎に居ること難し(2)
何だ、鄙劣千万な、計略を運らして母の病気とまで偽を云わせる、ソンナ奴があるものか、モウ焼けだ、大議論をして遣ろうかと思たが、イヤ/\左様でない、今アノ家老と喧嘩をした所が、負けるに極って居る、戦わずして勝負は見えてる、一切喧嘩はしない、アンナ奴と喧嘩をするよりも自分の身の始末が大事だと思直して、夫れからシラバクレて胆を潰した風をして奥平の処に行て、扨中津から箇様申して参りました、母が俄に病気になりました、平生至極丈夫な方でしたが、実に分らぬものです、今頃は如何云う容体でしょうか、遠国に居て気になりますなんて、心配そうな顔してグチャ/\述立てると、奥平も大に驚いた顔色を作り、左様か、ソリャ気の毒な事じゃ、嘸心配であろう、兎に角に早く帰国するが宜かろう、併し母の病気全快の上は又再遊の出来るようにして遣るからと、慰さめるように云うのは、狂言が旨く行われたと心中得意になって居るに違いない。ソレカラ又私は言葉を続けて、唯今御指図の通り早々帰国しますが、御隠居様に御伝言は御在ませんか、何れ帰れば御目に掛ります、又何か御品があれば何でも持て帰りますと云て、一ト先ず別れて翌朝又行て見ると、主公が家に遣る手紙を出して、之を屋敷に届けて呉れ、親仁に斯う/\伝言をして呉れと云い、又別に私の母の従弟の大橋六助と云う男に遣る手紙を渡して、これを六助の処に持て行け、爾うすると貴様の再遊に都合が宜かろうと云て、故意とその手紙に封をせずに明けて見よがしにしてあるから、何もかも委細承知して丁寧に告別して、宿に帰て封なしの手紙を開て見れば、「諭吉は母の病気に付き是非帰国と云うからその意に任せて還すが、修業勉強中の事ゆえ再遊の出来るようその方にて取計らえと云う文句。私は之を見てます/\癪に障る。「この猿松め馬鹿野郎めと独り心の中で罵り、ソレカラ山本の家にも事実は云われぬ、若し是れが顕われて奥平の不面目にもなれば、禍は却て私の身に降て来て如何な目に逢うか知れない、ソレガ怖いから唯母の病気とばかり云て暇乞をしました。
書き下し
何だ、鄙劣千万な、計略を運らして母の病気とまで偽を云わせる、ソンナ奴があるものか、モウ焼けだ、大議論をして遣ろうかと思たが、イヤ/\左様でない、今アノ家老と喧嘩をした所が、負けるに極って居る、戦わずして勝負は見えてる、一切喧嘩はしない、アンナ奴と喧嘩をするよりも自分の身の始末が大事だと思直して、夫れからシラバクレて胆を潰した風をして奥平の処に行て、扨中津から箇様申して参りました、母が俄に病気になりました、平生至極丈夫な方でしたが、実に分らぬものです、今頃は如何云う容体でしょうか、遠国に居て気になりますなんて、心配そうな顔してグチャ/\述立てると、奥平も大に驚いた顔色を作り、左様か、ソリャ気の毒な事じゃ、嘸心配であろう、兎に角に早く帰国するが宜かろう、併し母の病気全快の上は又再遊の出来るようにして遣るからと、慰さめるように云うのは、狂言が旨く行われたと心中得意になって居るに違いない。ソレカラ又私は言葉を続けて、唯今御指図の通り早々帰国しますが、御隠居様に御伝言は御在ませんか、何れ帰れば御目に掛ります、又何か御品があれば何でも持て帰りますと云て、一ト先ず別れて翌朝又行て見ると、主公が家に遣る手紙を出して、之を屋敷に届けて呉れ、親仁に斯う/\伝言をして呉れと云い、又別に私の母の従弟の大橋六助と云う男に遣る手紙を渡して、これを六助の処に持て行け、爾うすると貴様の再遊に都合が宜かろうと云て、故意とその手紙に封をせずに明けて見よがしにしてあるから、何もかも委細承知して丁寧に告別して、宿に帰て封なしの手紙を開て見れば、「諭吉は母の病気に付き是非帰国と云うからその意に任せて還すが、修業勉強中の事ゆえ再遊の出来るようその方にて取計らえと云う文句。私は之を見てます/\癪に障る。「この猿松め馬鹿野郎めと独り心の中で罵り、ソレカラ山本の家にも事実は云われぬ、若し是れが顕われて奥平の不面目にもなれば、禍は却て私の身に降て来て如何な目に逢うか知れない、ソレガ怖いから唯母の病気とばかり云て暇乞をしました。
現代語訳
何だ、卑劣千万な、計略を巡らして母の病気とまで偽りをいわせる、そんな奴があるものか、もう自棄だ、大議論をしてやろうかと思ったけれども、いやいやそうではない、今あの家老と喧嘩をしたところで、負けるに決まっている、戦わずして勝負は見えている、一切喧嘩はしない、あんな奴と喧嘩をするよりも自分の身の始末が大事だと思い直して、それからしらばくれて、肝をつぶした風をして、奥平のところに行って、さて中津からこのように申して参りました、母が急に病気になりました、普段はごく丈夫な方でしたが、実にわからないものです、今頃はどういう容体でしょうか、遠国にいて気になりますなどと、心配そうな顔をしてぐちゃぐちゃと述べ立てると、奥平も大いに驚いた顔色を作り、「そうか、それは気の毒なことだ、さぞ心配であろう、とにかく早く帰国するのがよかろう、しかし母の病気が全快の上は、また再遊ができるようにしてやるから」と、慰めるようにいうのは、芝居がうまく運んだと心中得意になっているに違いありません。それからまた私は言葉を続けて、「ただ今のご指図のとおり早々に帰国しますが、御隠居様にご伝言はございませんか、いずれ帰ればお目にかかります、また何かお品があれば何でも持って帰ります」といって、ひとまず別れて、翌朝また行ってみると、主君が家に遣る手紙を出して、「これを屋敷に届けてくれ、親父にこれこれ伝言をしてくれ」といい、また別に私の母の従弟の大橋六助という男に遣る手紙を渡して、「これを六助のところに持って行け、そうすると貴様の再遊に都合がよかろう」といって、わざとその手紙に封をせずに、開けて見られるようにしてあるので、何もかも委細承知して丁寧に別れを告げて、宿に帰って封なしの手紙を開いて見ると、「諭吉は母の病気につきぜひ帰国というから、その意に任せて還すが、修業勉強中のことゆえ、再遊ができるようそちらで取り計らえ」という文句。私はこれを見ていよいよ癪に障る。「この猿松め、馬鹿野郎め」とひとり心の中で罵り、それから山本の家にも事実はいえない。もしこれが露見して奥平の不面目にもなれば、災いはかえって私の身に降りかかって、どんな目に遭うかわからない。それが怖いので、ただ母の病気とばかりいって暇乞いをしました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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