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福翁自伝 / 幼少の時・稲荷様の神体を見る

ソレカラ一つも二つも年を取れば自から度胸も好くなったと見えて、年寄などの話にする神罰冥罰なんと云うことは大嘘だと独り自から信じ切て、今度は一つ稲荷様を見て遣ろうと云う野心を起して、私の養子になって居た叔父様の家の稲荷の社の中には何が這入て居るか知らぬと明けて見たら、石が這入て居るから、その石を打擲って仕舞て代りの石を拾うて入れて置き、又隣家の下村と云う屋敷の稲荷様を明けて見れば、神体は何か木の札で、之も取て棄てゝ仕舞い平気な顔して居ると、間もなく初午になって、幟を立てたり大鼓を叩いたり御神酒を上げてワイ/\して居るから、私は可笑しい。「馬鹿め、乃公の入れて置いた石に御神酒を上げて拝んでるとは面白いと、独り嬉しがって居たと云うような訳けで、幼少の時から神様が怖いだの仏様が有難いだの云うことは一寸ともない。卜筮呪詛一切不信仰で、狐狸が付くと云うようなことは初めから馬鹿にして少しも信じない。小供ながらも精神は誠にカラリとしたものでした。或時に大阪から妙な女が来たことがあるその女と云うのは、私共が大阪に居る時に邸に出入をする上荷頭の伝法寺屋松右衛門と云うものゝ娘で、年の頃三十位でもあったかと思う。その女が中津に来て、お稲荷様を使うことを知て居ると吹聴するその次第は、誰にでも御幣を持たして置て何か祈ると、その人に稲荷様が憑拠くとか何とか云て、頻りに私の家に来て法螺を吹て居る。夫れからその時に私は十五、六の時だと思う。「ソリャ面白い、遣て貰おう、乃公がその御幣を持とう、持て居る御幣が動き出すと云うのは面白い、サア持たして呉れろと云うと、その女がつく/″\と私を見て居て、「坊さんはイケマヘンと云うから、私は承知しない。「今誰にでもと云たじゃないか、サア遣て見せろと、酷くその女を弱らして面白かった事がある。

書き下し

ソレカラ一つも二つも年を取れば自から度胸も好くなったと見えて、年寄などの話にする神罰冥罰なんと云うことは大嘘だと独り自から信じ切て、今度は一つ稲荷様を見て遣ろうと云う野心を起して、私の養子になって居た叔父様の家の稲荷の社の中には何が這入て居るか知らぬと明けて見たら、石が這入て居るから、その石を打擲って仕舞て代りの石を拾うて入れて置き、又隣家の下村と云う屋敷の稲荷様を明けて見れば、神体は何か木の札で、之も取て棄てゝ仕舞い平気な顔して居ると、間もなく初午になって、幟を立てたり大鼓を叩いたり御神酒を上げてワイ/\して居るから、私は可笑しい。「馬鹿め、乃公の入れて置いた石に御神酒を上げて拝んでるとは面白いと、独り嬉しがって居たと云うような訳けで、幼少の時から神様が怖いだの仏様が有難いだの云うことは一寸ともない。卜筮呪詛一切不信仰で、狐狸が付くと云うようなことは初めから馬鹿にして少しも信じない。小供ながらも精神は誠にカラリとしたものでした。或時に大阪から妙な女が来たことがあるその女と云うのは、私共が大阪に居る時に邸に出入をする上荷頭の伝法寺屋松右衛門と云うものゝ娘で、年の頃三十位でもあったかと思う。その女が中津に来て、お稲荷様を使うことを知て居ると吹聴するその次第は、誰にでも御幣を持たして置て何か祈ると、その人に稲荷様が憑拠くとか何とか云て、頻りに私の家に来て法螺を吹て居る。夫れからその時に私は十五、六の時だと思う。「ソリャ面白い、遣て貰おう、乃公がその御幣を持とう、持て居る御幣が動き出すと云うのは面白い、サア持たして呉れろと云うと、その女がつく/″\と私を見て居て、「坊さんはイケマヘンと云うから、私は承知しない。「今誰にでもと云たじゃないか、サア遣て見せろと、酷くその女を弱らして面白かった事がある。

現代語訳

それから一つ二つと年をとれば、おのずから度胸もよくなったと見えて、年寄りなどが話す神罰や冥罰などというものは大嘘だと、ひとりで固く信じ込み、今度は一つ稲荷様を見てやろうという野心を起こしました。私の養子になっていた叔父の家の稲荷の社の中には何が入っているのか、と開けてみたら、石が入っているので、その石を放り投げて代わりの石を拾って入れておき、また隣家の下村という屋敷の稲荷様を開けてみれば、神体は何か木の札で、これも取って捨ててしまい、平気な顔をしていると、間もなく初午になって、幟を立てたり太鼓を叩いたり、お神酒を上げたりして騒いでいるので、私はおかしい。「馬鹿め、俺の入れておいた石にお神酒を上げて拝んでいるとは面白い」と、ひとり喜んでいたというわけで、幼少の時から神様が怖いとか仏様がありがたいとかいうことは少しもありません。占いやのろいといったものはいっさい信じず、狐狸が憑くというようなことは初めから馬鹿にして少しも信じません。子供ながらも精神はまことにからりとしたものでした。あるとき大阪から妙な女が来たことがあります。その女というのは、私たちが大阪にいるとき、屋敷に出入りしていた上荷頭の伝法寺屋松右衛門という者の娘で、年の頃は三十くらいだったかと思います。その女が中津に来て、お稲荷様を使うことを知っていると吹聴する、その次第は、誰にでも御幣を持たせておいて何か祈ると、その人に稲荷様が憑くとか何とかいって、しきりに私の家に来てほらを吹いている。そのとき私は十五、六だったと思います。「それは面白い、やってもらおう、俺がその御幣を持とう、持っている御幣が動き出すというのは面白い、さあ持たせてくれ」というと、その女がつくづくと私を見て、「坊さんはいけません」というので、私は承知しません。「今誰にでもといったじゃないか、さあやって見せろ」と、ひどくその女を困らせて面白かったことがあります。

解説

神社の神体を勝手に取り替えて、翌日の祭りで人々が石に手を合わせるのを見て喜ぶ。少年の福沢の無神論的な悪戯は大胆です。もちろん真似をすすめる話ではなく、神罰や祟りを恐れず、自分の目で中身を確かめる態度を語るものです。稲荷を憑ける女が、あなたには効かないと逃げたのも、検証を恐れる人の姿を示しています。福沢は後に、迷信を排して合理的に考えることを啓蒙の基礎に置きました。権威や評判の中身を一度は自分で確かめるという習慣は、現代の情報の見分け方にも通じます。

この章句が説くこと

稲荷神体迷信検証神罰合理精神

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