荀子 / 大略篇
語曰:「流丸止於甌臾,流言止於知者。」此家言邪說之所以惡儒者也。是非疑,則度之以遠事,驗之以近物,參之以平心,流言止焉,惡言死焉。
新字:語曰:「流丸止於甌臾,流言止於知者。」此家言邪説之所以悪儒者也。是非疑,則度之以遠事,験之以近物,参之以平心,流言止焉,悪言死焉。
書き下し
語に曰く、「流丸(りゅうがん)は甌臾(おうゆ)に止まり、流言は知者に止まる」と。此れ家言(かげん)邪説の儒者を悪(にく)む所以(ゆゑん)なり。是非疑はしければ、則ち之を度(はか)るに遠き事を以てし、之を験(ため)すに近き物を以てし、之に参(まじ)ふるに平らかなる心を以てす。流言焉(ここ)に止まり、悪言焉に死す。
現代語訳
ことわざに「転がる玉はくぼみに落ちて止まり、根も葉もない噂は知者のところで止まる」という。これこそ、私的な学説や邪説を唱える者たちが儒者を憎む理由である。物事の是非が疑わしいときは、遠い昔の事例に照らして測り、身近な事物によって試し確かめ、公平な心を交えて考える。そうすれば、流言はそこで止まり、悪しき言葉はそこで死ぬ。
解説
「流言は知者に止まる」という有名な一句を含む段です。転がってきた玉がくぼみにはまって止まるように、根拠のない噂は、見識ある人のところまで来ると、そこで転がるのをやめる。知者がデマの終着点になる、という比喩です。では、知者はどうやってそれを止めるのか。荀子は具体的な三つの手順を示します。過去の事例に照らして測ること、身近な事物で試して確かめること、そして公平な心を交えて考えること。噂を止めるのは、感情でも権威でもなく、この検証の作業だというのです。情報が一瞬で拡散する今の世の中でこそ効く教えです。驚くような話を耳にしたとき、すぐ拡げるのではなく、前例と照らし、確かめられる事実に当て、頭を冷やして考える。その一手間が、自分をデマの通り道ではなく、止め所に変えてくれます。
この章句が説くこと
流言は知者に止まる検証デマを止める公平な心
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