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益軒家訓 / 士業勿怠

一士はさむらひと訓ず。君に仕へて近くさぶらふ故なり。さぶらふとは侍るに同じ、伺候する意なり。故に和俗には侍の字をも用ふ。されども四民の名の時は、士の字を用ふるなり。漢土には、學以居位曰士。六書精蘊には學古入官者とあり。されども、文武の道を學んで官位に居る者を士とす。文武の道を知らずしては、士の職分反せる故に、士の名有つて實なし。士の字从十从一。農工商は家業一筋にて事少なし。士は事多き者にて、宇宙の間の事、皆わが職分の事なれば、その勤むる事の多きを以て貫く故に、一を下にせりと古書に見えたり。士の字の義をかく顧みて、身を守るべし。士の家業本分をよく勤めて、其外を願ふべからず。我が身を忘れて人を誚るべからず。

新字:一士はさむらひと訓ず。君に仕へて近くさぶらふ故なり。さぶらふとは侍るに同じ、伺候する意なり。故に和俗には侍の字をも用ふ。されども四民の名の時は、士の字を用ふるなり。漢土には、学以居位曰士。六書精蘊には学古入官者とあり。されども、文武の道を学んで官位に居る者を士とす。文武の道を知らずしては、士の職分反せる故に、士の名有つて実なし。士の字从十从一。農工商は家業一筋にて事少なし。士は事多き者にて、宇宙の間の事、皆わが職分の事なれば、その勤むる事の多きを以て貫く故に、一を下にせりと古書に見えたり。士の字の義をかく顧みて、身を守るべし。士の家業本分をよく勤めて、其外を願ふべからず。我が身を忘れて人を誚るべからず。

書き下し

一士はさむらひと訓ず。君に仕へて近くさぶらふ故なり。さぶらふとは侍るに同じ、伺候する意なり。故に和俗には侍の字をも用ふ。されども四民の名の時は、士の字を用ふるなり。漢土には、学んで以て位に居るを士と曰ふ。六書精蘊には古を学んで官に入る者とあり。されども、文武の道を学んで官位に居る者を士とす。文武の道を知らずしては、士の職分反せる故に、士の名有つて実なし。士の字は十に从ひ一に从ふ。農工商は家業一筋にて事少なし。士は事多き者にて、宇宙の間の事、皆わが職分の事なれば、その勤むる事の多きを以て貫く故に、一を下にせりと古書に見えたり。士の字の義をかく顧みて、身を守るべし。士の家業本分をよく勤めて、其外を願ふべからず。我が身を忘れて人を誚るべからず。

現代語訳

士は「さむらい」と読みます。君に仕えて近くに侍る(さぶらう)からです。「さぶらう」とは「はべる」と同じで、伺候する意味です。ですから日本の習わしでは「侍」の字も使います。しかし四民の名としていうときは「士」の字を用います。中国では、学んで位にいる者を士といいます。六書精蘊には「古を学んで官に入る者」とあります。ですから、文武の道を学んで官位にいる者を士とするのです。文武の道を知らなければ、士の職分に反するので、士という名だけあって実がありません。士の字は十と一から成ります。農・工・商は家業一筋で、務めることが少ないのです。士は務めの多い者で、天下のことは皆自分の職分のことなので、その務めることの多さを一つで貫くことから、一を下にしたと古い書物に見えます。士の字の意味をこのように顧みて、身を守るべきです。士の家業と本分をよく勤めて、それ以外を願ってはなりません。自分の身を忘れて人をそしってはなりません。

解説

「士業勿怠」の節の冒頭で、士という字の成り立ちから武士の職分を説いています。士の字は十に一を加えたもので、多くの事を一つで貫く者だという解釈は、後漢の説文解字に孔子の言葉として「十を推して一に合するを士と為す」とあるのに通じます。六書精蘊は明代の字書です。名だけあって実がない士になるな、という戒めは、肩書きにふさわしい中身を持てという意味で、今の管理職や専門職にもそのまま当てはまります。自分の務めをおろそかにして人をそしるな、という結びも大切です。

この章句が説くこと

士職分武士文武本分

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