易経 / 萃卦
乃亂乃萃,其志亂也。 引吉无咎,中未變也。 往无咎,上巽也。 大吉无咎,位不當也。 萃有位,志未光也。 齎咨涕洟,未安上也。
新字:乃乱乃萃,其志乱也。 引吉无咎,中未変也。 往无咎,上巽也。 大吉无咎,位不当也。 萃有位,志未光也。 齎咨涕洟,未安上也。
書き下し
乃ち乱れ乃ち萃まるとは、其の志乱るるなり。引かるれば吉にして咎无しとは、中未だ変ぜざればなり。往けば咎无しとは、上巽(したが)へばなり。大吉にして咎无しとは、位当らざればなり。萃むるに位有りとは、志未だ光いならざるなり。齎咨涕洟すとは、未だ上に安んぜざるなり。
現代語訳
乱れては集まるとは、その志が乱れているのである。引き寄せられれば吉で咎がないとは、中の徳がまだ変わっていないからである。行けば咎がないとは、上の者が従い受け入れてくれるからである。大いに吉であってこそ咎がないとは、位がふさわしくないからである。人を集めるのにふさわしい位があるとは、その志がまだ大きく輝いていないのである。嘆いて涙と鼻水を流すとは、まだ上の位に安んじていられないのである。
解説
萃の爻辞に象伝が添えた理由づけです。初六の「乃ち乱れ乃ち萃まる」は「其の志乱るる」、集まりが乱れるのは集まる者の志が乱れているからだと説きます。九五の「萃むるに位有り」は「志未だ光いならざる」、地位によって人を集めても、志が輝いていなければ人は心から従わないとします。上六の嘆きは「未だ上に安んぜざる」、高い位にありながら落ち着けないからだと結びます。人を束ねるときは、肩書きや場所より先に目指すものを共有して志をそろえることが、集まりを保つ鍵になります。
この章句が説くこと
目標共有結束地位求心力
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