易経 / 賁卦
舍車而徒,義弗乘也。 賁其須,與上興也。 永貞之吉,終莫之陵也。 六四,當位疑也。匪寇婚媾,終无尤也。 六五之吉,有喜也。 白賁无咎,上得志也。
新字:舎車而徒,義弗乗也。 賁其須,与上興也。 永貞之吉,終莫之陵也。 六四,当位疑也。匪寇婚媾,終无尤也。 六五之吉,有喜也。 白賁无咎,上得志也。
書き下し
車を舎てて徒すとは、義として乗らざるなり。其の須を賁るとは、上と与に興るなり。永く貞なるの吉は、終に之を陵ぐ莫きなり。六四は、位に当たりて疑うなり。寇するに匪ず婚媾せんとすとは、終に尤无きなり。六五の吉は、喜び有るなり。白く賁る、咎无しとは、上志を得るなり。
現代語訳
「車を捨てて歩いて行く」とは、道義として車に乗るべきでないからである。「そのあごひげを飾る」とは、上の者とともに立ち上がることである。「いつまでも正しさを守って吉」とは、最後まで誰も侮って踏みにじらないからである。六四は、ふさわしい位にいながら、飾るべきか素朴であるべきか迷っている。「相手は賊ではなく縁組を求める者」とは、最後にはとがめがないことである。「六五の吉」とは、喜びがあることである。「白い飾りでとがめがない」とは、一番上にあって志を得ることである。
解説
賁の爻辞に象伝が理由を添えた部分です。初九の、車を捨てて歩くことを、象伝は「義として乗らざるなり」と説きます。乗れる車があっても、道義に照らして乗るべきでなければ乗らない、飾らない自尊の姿です。また上九の「白く賁る、咎无し」は「上志を得るなり」とされ、飾りを捨てた白さに至ってこそ志が遂げられるといいます。肩書きや持ち物で自分を飾りたくなる場面は多いものですが、筋の通らない飾りを断る潔さが、かえってその人の値打ちを高めます。
この章句が説くこと
自尊質素道義飾らない
関連する章句
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