童子問 / 卷上
問孔子之仁。曰。夫子稱管仲之仁曰。民到于今受其賜。微管仲。吾其被髮左衽矣。若夫子之仁。實與天地凖。度越管仲。奚翅億萬。由夫子到于今。殆二千有餘歲。四海九州。人皆善善而惡惡。君臣父子夫婦昆弟朋友之交。各得敘其倫。而不爲左衽之俗者。悉夫子之賜也。人皆在於夫子之敎之中。而不知夫子之敎之大。猶人囿于天地之內。而不知天地之爲大也。微夫子。藉令人不皆化爲鬼爲蜮。而三綱淪九法斁。天下不得其爲天下。於戯大矣哉。宋人見於一古刹梁上書天不生孔子萬古如長夜十大字。終爲千古之名言。宜矣。
新字:問孔子之仁。曰。夫子称管仲之仁曰。民到于今受其賜。微管仲。吾其被髪左衽矣。若夫子之仁。実与天地凖。度越管仲。奚翅億万。由夫子到于今。殆二千有余歳。四海九州。人皆善善而悪悪。君臣父子夫婦昆弟朋友之交。各得敘其倫。而不為左衽之俗者。悉夫子之賜也。人皆在於夫子之教之中。而不知夫子之教之大。猶人囿于天地之内。而不知天地之為大也。微夫子。藉令人不皆化為鬼為蜮。而三綱淪九法斁。天下不得其為天下。於戯大矣哉。宋人見於一古刹梁上書天不生孔子万古如長夜十大字。終為千古之名言。宜矣。
書き下し
孔子の仁を問ふ。曰く、夫子管仲の仁を称して曰く、「民今に到るまで其の賜を受く。管仲微かりせば、吾其れ被髪左衽せん」と。夫子の仁の若きは、実に天地と準しく、管仲に度越すること、奚ぞ翅に億万のみならんや。夫子より今に到るまで、殆ど二千有余歳、四海九州、人皆善を善として悪を悪とし、君臣父子夫婦昆弟朋友の交はり、各々其の倫を叙することを得て、左衽の俗と為らざる者は、悉く夫子の賜なり。人皆夫子の教への中に在りて、夫子の教への大なるを知らず。猶ほ人の天地の内に囿まれて、天地の大為るを知らざるがごとし。夫子微かりせば、藉令ひ人皆化して鬼と為り蜮と為らずとも、而も三綱淪み九法斁れ、天下其の天下為ることを得ざらん。於戯、大なるかな。宋人、一古刹の梁上に「天孔子を生ぜずんば、万古長夜の如し」の十大字を書せるを見る。終に千古の名言と為る。宜なるかな。
現代語訳
孔子の仁について問う。答える。孔子は管仲の仁を称えて「民は今に至るまでその恩恵を受けている。管仲がいなかったら、私たちは髪を結わずに着物を左前に着ていただろう」と言った。孔子の仁のようなものは、まことに天地と等しく、管仲を超えることは億万倍どころではない。孔子から今に至るまで、およそ二千年余り、天下の至るところで、人は皆善を善とし悪を悪とし、君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の交わりがそれぞれその秩序を得て、夷狄の風俗にならずにいるのは、すべて孔子の恩恵である。人は皆孔子の教えの中にいながら、孔子の教えの大きさを知らない。それはちょうど人が天地の内に囲まれていながら、天地の大きさを知らないようなものである。孔子がいなかったら、たとえ人が皆鬼や化け物に変わってしまうことはなくても、三綱は沈み、九つの大法は崩れ、天下は天下としての姿を保てなかったであろう。ああ、何と大きなことか。宋の人が、ある古寺の梁の上に「天が孔子を生まなかったら、万古は長い夜のようであったろう」という十の大きな字が書かれているのを見た。それはついに千古の名言となった。もっともなことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、管仲は覇者の臣なり。故に孟子は其の王道を知らざるを譏る。而るに夫子其の仁を許す者は、何ぞや。曰く、仁の成徳は、其の利沢恩恵、遠く天下後世に被るに足りて極まる。堯典に曰く、「四表に光被し、上下に格る」と。堯の仁なり。詩に曰く、「於戯、前王忘れられず」と。文武の仁なり。管仲の志の才の若きは、甚だ大なり。其の志は区区として政事を修め斉国を善くするの間に在らず。将に以て頽綱を振るひ生民を拯ひて、利沢を後世に貽さんとす。其の才も亦之に称ふ。故に夫子曰く、「管仲桓公を相けて諸侯に覇たらしめ、天下を一匡す。民今に到るまで其の賜を受く。管仲微かりせば、吾其れ被髪左衽せん」と。又曰く、「桓公諸侯を九合して、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。其の仁に如かんや、其の仁に如かんや」と。集註に謂ふ、「未だ仁人為らずして、仁の功有り」と。其の意蓋し此を以て仁と為さずして、徒に仁の功有りと為すなり。然れども子路曰く、「未だ仁ならざるか」と。子貢曰く、「管仲は仁者に非ざるか」と。夫子一たびは答ふるに「其の仁に如かんや、其の仁に如かんや」を以てし、一たびは答ふるに「民今に到るまで其の賜を受く」を以てす。是れ直ちに仁を以て之を許すなり。子当に意を以て理会すべし。
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『童子問』卷上問ふ、聖人の仁と管仲の仁と、是れ同じきか、是れ同じからざるか。曰く、同じ。堯舜の仁は、猶ほ大海の水の汪汪洋洋として涯涘すべからざるがごときなり。管仲の仁は、猶ほ数尺の井泉の観るに足らずと雖も、然れども旱歳に遇へば則ち亦以て灌漑の利に資すべきがごとし。大小の差有りと雖も、豈に之を水に非ずと謂ひて可ならんや。子文・文子に至りては、則ち猶ほ瓶罌の水の、力を極めて負担すと雖も、数斗の多きに過ぎず、其の用限り有りて、之を水と謂ふに足らざるがごときなり。
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孔子家語・致思子路孔子に問いて曰わく、「管仲の人と為り何如。」 子曰わく、「仁なり。」 子路曰わく、「昔管仲襄公に説くも、公受けず、是れ辯ならざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず、是れ智ならざるなり。家斉に残わるるも、憂色無し、是れ慈ならざるなり。桎梏せられて檻車に居るも、慚づる心無し、是れ醜無きなり。射る所の君に事う、是れ貞ならざるなり。召忽之に死し、管仲死せず、是れ忠ならざるなり。仁人の道、固より是くの若きか。」 孔子曰わく、「管仲襄公に説くも、襄公受けざるは、公の闇きなり。子糾を立てんと欲するも能わざるは、時に遇わざるなり。家斉に残わるるも憂色無きは、是れ権命を知ればなり。桎梏せられて慚づる心無きは、自ら裁くこと審らかなればなり。射る所の君に事うるは、変に通ずればなり。子糾に死せざるは、軽重を量ればなり。夫れ子糾未だ君と成らず、管仲未だ臣と成らず。管仲は義を才度し、管仲束縛に死せずして功名を立つるは、未だ非とす可からざるなり。召忽死すと雖も、過ちて仁を取る、未だ多しとするに足らざるなり。」
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論語・憲問篇子路曰く、「桓公、公子糾を殺す。召忽之に死し、管仲は死せず。」曰く、「未だ仁ならざるか。」子曰く、「桓公、諸侯を九合し、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。其の仁に如かんや、其の仁に如かんや。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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