童子問 / 卷中
問。唐太宗言及禮樂。房杜有愧色者。何哉。曰。是知王道之難。而不知王道之易也。孟子曰。明君制民之產。必使仰足以事父母俯足以畜妻子。樂歲終身飽。凶年免於死亡。然後驅而之善。故民之從之也輕。葢禮生於節儉。樂成於有餘。先王之世。家給財阜。民安俗醇。自晨至夕。自春至冬。民心和洽。猶正月之吉。被服具儀。擧觶上壽。各祝萬歲。一家熈熙。頓忘窮歲之勞。禮樂安得不興乎。故孟子論王道。必以制民之產爲先。房杜不是之求。而漫生望洋之心。故有愧色。不知孟子故也。
新字:問。唐太宗言及礼楽。房杜有愧色者。何哉。曰。是知王道之難。而不知王道之易也。孟子曰。明君制民之産。必使仰足以事父母俯足以畜妻子。楽歳終身飽。凶年免於死亡。然後駆而之善。故民之従之也軽。葢礼生於節倹。楽成於有余。先王之世。家給財阜。民安俗醇。自晨至夕。自春至冬。民心和洽。猶正月之吉。被服具儀。挙觶上寿。各祝万歳。一家熈熙。頓忘窮歳之労。礼楽安得不興乎。故孟子論王道。必以制民之産為先。房杜不是之求。而漫生望洋之心。故有愧色。不知孟子故也。
書き下し
問ふ。唐の太宗礼楽に言及するに、房・杜愧づる色有る者は、何ぞや。曰く、是れ王道の難きを知りて、王道の易きを知らざるなり。孟子曰く、明君は民の産を制し、必ず仰いでは以て父母に事ふるに足り、俯しては以て妻子を畜ふに足り、楽歳には終身飽き、凶年には死亡を免れしむ。然る後に駆りて善に之かしむ。故に民の之に従ふや軽し、と。蓋し礼は節倹に生じ、楽は有余に成る。先王の世、家給し財阜にして、民安く俗醇なり。晨より夕に至り、春より冬に至るまで、民心和洽すること、猶ほ正月の吉のごとし。被服儀を具へ、觶を挙げて寿を上り、各万歳を祝し、一家熙熙として、頓に窮歳の労を忘る。礼楽安んぞ興らざるを得んや。故に孟子王道を論ずるに、必ず民の産を制するを以て先と為す。房・杜是を之れ求めずして、漫りに望洋の心を生ず。故に愧づる色有り。孟子を知らざるが故なり。
現代語訳
問う。唐の太宗が礼楽に言及したとき、房玄齢と杜如晦が恥じ入る顔色をしたのはなぜか。答える。これは王道の難しさを知って、王道のたやすさを知らなかったのである。孟子は「明君は民の生業を定め、必ず上は父母に仕えるに足り、下は妻子を養うに足り、豊年には一年中腹いっぱい食べられ、凶年でも死を免れるようにする。そうしてから導いて善に向かわせる。だから民がそれに従うのはたやすい」と言った。思うに礼は節倹から生まれ、楽は余裕から成る。先王の世には、家々が満ち足り財が豊かで、民は安らかに風俗は淳朴であった。朝から晩まで、春から冬まで、民の心は和らぎ通い合い、まるで正月のめでたい日のようであった。晴れ着を整え、杯を挙げて長寿を祝い、それぞれ万歳を唱え、一家そろって和やかに楽しみ、一年の苦労をたちまち忘れた。これでどうして礼楽が興らないことがあろうか。だから孟子は王道を論じるとき、必ず民の生業を定めることを先にした。房・杜はこれを求めずに、むやみに果てしないものを仰ぎ見る心を起こしたから、恥じ入る顔色をしたのである。孟子を知らなかったからである。
解説
この章句が説くこと
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『童子問』卷中問ふ。斉の宣王曰く、寡人貨を好む、と。孟子対へて曰く、王如し貨を好まば、百姓と之を同じくせよ、王に於て何か有らん、と。又曰く、寡人色を好む、と。則ち曰く、王如し色を好まば、百姓と之を同じくせよ、王に於て何か有らん、と。先儒以て巽与の言と為し、又以て時を救ふの論と為す。然るか。曰く、然らず。此れ即ち王道なり。孟子固より曰く、民の楽しみを楽しむ者は、民も亦其の楽しみを楽しむ。民の憂ひを憂ふる者は、民も亦其の憂ひを憂ふ。楽しむに天下を以てし、憂ふるに天下を以てす。然り而して王たらざる者は、未だ之れ有らざるなり、と。夫の古より以来人君の色を好み貨を好む者を観るに、人の怨みを顧みず、人の怒りを察せず、民の婦女を奪ひ、民の貨宝を掠め、専ら己の耳目を悦ばしめて、民と好悪を同じくすること能はず。禍門以て開け、怨府以て成る。而るに王者の心は則ち然らず。民の欲する所は、之が与に之を聚め、悪む所は施すこと勿し。己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。己色を好めば則ち斯の心を推して以て民に及ぼし、己貨を好めば、則ち斯の心を推して以て民に及ぼす。其の心何等の公平、何等の寛仁ぞ。実に天地の心なり。故に先王は媒氏を置きて、以て民の男女を合はせ、内に怨女無く、外に曠夫無し。又深く聚斂の臣を嫉み、掊克位に在れば、則ち譲有り。故に民と好悪を同じくすれば、則ち好色好貨も、皆王道たり。亦奚ぞ疑はん。
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『童子問』卷中問ふ。楽は有余に成ること、既に命を聞くことを得たり。礼は節倹に生ずとは、如何。曰く、人情は楽しめば則ち勤め、厭へば則ち荒む。節倹の余は、必ず家富み力給る。故に文を以て楽しみと為す。此れ礼の興る所以なり。礼奢り文勝てば、則ち財殫き力労す。故に厭ふ心生ず。是れ礼の廃るる所以なり。故に論語に曰く、礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ、と。又曰く、先進の礼楽に於けるや、野人なり。後進の礼楽に於けるや、君子なり。如し之を用ひば、則ち吾は先進に従はん、と。唐宋の礼を定むるや、必ず弥文を以て事と為す。故に唐の開元礼、宋の開宝・政和等の礼、皆虚器と為りて、時の用を為さず。蓋し礼の末を知りて、礼の本を知らざるが故なり。楽は有余に成ると雖も、然れども節倹に由りて有余を致せば、則ち楽と雖も、亦皆節倹に本づく。故に王道を行はんと欲せば、則ち倹ならざるを得ず。
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『童子問』卷中問ふ。濂渓先生曰く、古楽を復さず、今楽を変ぜずして、治に至らんと欲する者は遠し、と。然るか。曰く、濂渓の言固なり。然れども之を王道既に成るの後に用ふべくして、之を王道を行ふの初めに施すべからず。蓋し王者の天下に於けるや、専ら民と憂楽を同じくするに在りて、楽の今古を辨ずるを以て先務と為さず。苟も民と憂楽を同じくすれば、則ち人心和平に、風俗醇厚にして、礼楽興すべし。是に於て楽を作り、以て八風の気を宣べ、以て天下の情を平らかにす。蓋し聖人は但泰甚を去りて、其の余は皆時に従ひ俗に因りて、以て治を為すのみ。意有りて之を変ぜざるなり。若し徒に今の楽を変ぜんと欲すれば、則ち礼楽未だ必ずしも遽かに興らずして、天下騒然たらん。聖人豈に之を為さんや。
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『童子問』卷中問ふ。後世は恐らくは王道を行ひ難からん。曰く、子は井田せず封建せざれば、則ち王道を行ふべからずと為すか。将た悉く後世の法を除きて、以て三代の旧に復さんと為すか。曰く、然り。非なるか。曰く、非なり。王道豈に法度の上に在らんや。所謂王道とは、人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行ふのみ。何の難きことか之れ有らん。若し聖人をして今の世に生まれしめば、亦必ず今の俗に因り、今の法を用ひて、君子は豹変し、小人は面を革め、天下自ら治まらん。孟子は戦国の擾擾たるに当たりて、斉梁の庸主に勧む。豈に行ふべからざるの時を以て、行ふべからざるの道を勧めんや。苟も其の人有らば、則ち戦国と雖も、猶ほ之を行ふべし。況んや戦国の時為らざるをや。斉宣・梁恵と雖も、猶ほ能く之を行ふべし。況んや斉宣・梁恵の君為らざるをや。
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『童子問』卷中問ふ。孟子は仁義を以て宗旨と為して、又屢王道を談ずるは、何ぞや。曰く、王道は即ち仁義なり。仁義の外に復た王道有るに非ざるなり。孟子曰く、徳を以て仁を行ふ者は王たり、と。又曰く、仁者は敵無し、と。又曰く、先王人に忍びざるの心有りて、斯に人に忍びざるの政有り。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること之を掌上に運らすべし、と。是れなり。王道は固より仁義の両者を出でずと雖も、然れども約して之を論ずれば、則ち一の仁の字之を尽くす。荀子の所謂粋にして王たり、駁にして覇たり、及び諸儒の、天理の極を尽くして、一毫人欲の私無し、有る等の論、皆議論聞くべくして、実に王道を知る者に非ざるなり。善く孟子を読まざるが故なり。
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『童子問』卷中問ふ。孟子の斉の宣王に於けるや、其の礼甚だ倨るに似たり。如何。曰く、礼固より称へり。奚ぞ甚だ倨ると謂はん。古は道徳隆し、故に賢を尊ぶ。後世は道徳衰ふ、故に賢を簡る。賢を尊ぶ、故に賢者の権重し。賢を簡る、故に賢者の勢微なり。天下の治乱盛衰、其れ此に判るるか。昔黄帝は天子の尊を屈して、道を崆峒の山に問ふ。堯は万乗の位を以て、甥を弐室に館せしめ、迭ひに賓主と為る。成湯の伊尹に於ける、桓公の管仲に於ける、其の初め皆師として之を尊ぶ。晋の平公は大国の君なり。亥唐を師とし、入れと云へば則ち入り、坐せと云へば則ち坐し、食へと云へば則ち食ふ。疏食菜羹と雖も、未だ嘗て飽かずんばあらず。孟子猶ほ其の与に天位を共にし、与に天職を治めざるを惜しむ。戦国の時、道湮み学廃ると雖も、然れども先王の遺化尚ほ在り。人孟子を以て礼を簡ると為さず。此れ後世の及ばざる所なり。
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