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孟子 / 梁惠王章句下

齊宣王問曰、人皆謂我毀明堂。毀諸、已乎。孟子對曰、夫明堂者、王者之堂也。王欲行王政、則勿毀之矣。王曰、王政可得聞與。對曰、昔者文王之治岐也、耕者九一、仕者世祿、關市譏而不征、澤梁無禁、罪人不孥。老而無妻曰鰥、老而無夫曰寡、老而無子曰獨、幼而無父曰孤。此四者、天下之窮民而無告者。文王發政施仁、必先斯四者。詩云、哿矣富人、哀此煢獨。王曰、善哉言乎。曰、王如善之、則何為不行。王曰、寡人有疾、寡人好貨。對曰、昔者公劉好貨。詩云、乃積乃倉、乃裹餱糧。于橐于囊。思戢用光。弓矢斯張、干戈戚揚。爰方啓行。故居者有積倉、行者有裹糧也。然後可以爰方啓行。王如好貨、與百姓同之、於王何有。王曰、寡人有疾。寡人好色。對曰、昔者大王好色、愛厥妃。詩云、古公亶甫、來朝走馬、率西水滸、至于岐下。爰及姜女、聿來胥宇。當是時也、內無怨女、外無曠夫。王如好色、與百姓同之、於王何有。

新字:斉宣王問曰、人皆謂我毀明堂。毀諸、已乎。孟子対曰、夫明堂者、王者之堂也。王欲行王政、則勿毀之矣。王曰、王政可得聞与。対曰、昔者文王之治岐也、耕者九一、仕者世祿、関市譏而不征、沢梁無禁、罪人不孥。老而無妻曰鰥、老而無夫曰寡、老而無子曰独、幼而無父曰孤。此四者、天下之窮民而無告者。文王発政施仁、必先斯四者。詩云、哿矣富人、哀此煢独。王曰、善哉言乎。曰、王如善之、則何為不行。王曰、寡人有疾、寡人好貨。対曰、昔者公劉好貨。詩云、乃積乃倉、乃裹餱糧。于橐于囊。思戢用光。弓矢斯張、干戈戚揚。爰方啓行。故居者有積倉、行者有裹糧也。然後可以爰方啓行。王如好貨、与百姓同之、於王何有。王曰、寡人有疾。寡人好色。対曰、昔者大王好色、愛厥妃。詩云、古公亶甫、来朝走馬、率西水滸、至于岐下。爰及姜女、聿来胥宇。当是時也、內無怨女、外無曠夫。王如好色、与百姓同之、於王何有。

書き下し

齊の宣王問いて曰く、「人皆我に明堂を毀てと謂う。諸を毀たんか、已めんか。」孟子對えて曰く、「夫れ明堂なる者は、王者の堂なり。王、王政を行わんと欲せば、則ち之を毀つこと勿れ。」王曰く、「王政聞くことを得可きか。」對えて曰く、「昔者、文王の岐を治むるや、耕す者は九の一、仕うる者は禄を世々にし、關市は譏して征せず、澤梁は禁無く、人を罪するに孥(ド)せず。老いて妻無きを鰥(カン)と曰い、老いて夫無きを寡と曰い、老いて子無きを獨と曰い、幼にして父無きを孤と曰う。此の四者は、天下の窮民にして告ぐる無き者なり。文王、政を發し仁を施すに、必ず斯の四者を先にせり。詩に云う、『哿(カ)なり富める人、此の煢獨(ケイ・ドク)を哀れむ。』」王曰く、「善きかな言や。」曰く、「王、如し之を善しとせば、則ち何為れぞ行わざる。」王曰く、「寡人、疾有り、寡人、貨を好む。」對えて曰く、「昔者、公劉、貨を好めり。詩に云う、『乃ち積し乃ち倉す。乃ち餱糧(コウ・リョウ)を裹(つつむ)む。橐(タク)に囊(ノウ)に。戢(あつめる)めて用て光(おおいに)いにせんことを思う。弓矢斯に張り、干戈戚揚あり。爰(ここ)に方(はじめ)めて行を啓く。』故に居る者は積倉有り。行く者は裹(カ)糧有り。然る後以て爰に方めて行を啓く可し。王如し貨を好むも、百姓と之を同じうせば、王たるに於いて何か有らん。」王曰く、「寡人疾有り。寡人色を好む。」對えて曰く、「昔者、大王、色を好み、厥の妃を愛せり。詩に云う、『古公亶甫、來りて朝に馬を走らせ、西水の滸(ほとり)に率い、岐下に至る。爰に姜女と、聿(ともに)に來りて胥宇る。』是の時に當りて、內に怨女無く、外に曠夫無し。王如し色を好むも、百姓と之を同じうせば、王たるに於いて何か有らん。」

現代語訳

齊の宣王が尋ねた。 「臣下達が、泰山の麓に在る天子の為の古い明堂を、もう必要がないので壊せと私に勧めるのだが、壊したものだろうか、それとも壊さずにおいたものだろうか。」 孟子は答えた。 「そもそも明堂というものは、王者の堂でございます。王様が王者の政治を行いたいと願うなら、壊してはいけません。」 王は言った。 「王者の政治とは如何なるものか、聞かせてもらえるだろうか。」 孟子は答えた。 「昔、周の文王が、領地の岐を治めておられた頃、農夫からは、井田法に基づいて九分の一という輕い税を取り、仕えている者には、俸禄を世襲させて生活を安定させ、関所や市場では怪しい者を取り締まるだけで、通行税や物品税などは取らず、沼沢や魚梁では自由に魚を取ることを許し、罪を犯したものを罰するのは本人だけで、妻子まで連座させませんでした。年老いて妻のいない者を鰥(カン)と言い、年老いて夫のいない者を寡(カ)と言い、年老いて子供のいない者を独と言い、幼くして父のいない者を孤と言います。この四者は、世の中で最も困窮した民で、どれだけ困っていても助けてくれる人がいない孤独な者たちでございます。文王は政令を発して仁政を行うに当たっては、必ずこの四者を救うことを優先させました。『詩経』(小雅の正月篇)にも、よきかな富める人は、このよるべのない孤独な人たちを哀れもう、と歌われております。」 王は言った、 「よい話だ。」 「王様は私がお話しした事を本当に良いことだと思われるなら、何故それを行おうとなされないのですか。」 王は言った、 「私には悪い癖が有る。それは欲が深くて財貨を好むという癖なのだ。」 孟子は答えた、 「昔の周の先祖で名君と言われている公劉も財貨が好きでした。公劉が都を遷すことを歌った『詩経』(大雅の公劉篇)にも、『穀物を倉の中も外も十分に積んで、残る者に与えた。乾食を小袋や大袋に詰め込んで、往く者に与え、民を集めて安らかにして國を光り輝かせようとした。そこで弓を張り、干戈や斧鉞の武具を整えて、新しい地へ出発した。』とあります。このように居残る者には十分な食料を倉に積み込み、共に行く者には、十分な食料を袋に詰め込ませて、始めて安心して新しい地へ出発することが出来たのです。王様も財貨を好まれるのでしたら、その利を民と共有なされば、王者と為るのに何の差支えもありません。」 王は言った、 「私にはもう一つ悪い癖が有る。私は色好みなのだ。」 答えて言った、 「昔、周の大王古公亶甫も色を好み、その妃を愛されました。『詩経』(大雅、緜篇)にも、『古公亶甫、朝から馬を走らせて、西水の川辺の道に沿って岐山の麓までやってきて、そこで連れてきた妃の姜女と共に暮らされました。』と歌われております。このように大王が一人の妃を愛しておられましたので、その当時は、婚期を逸するような娘は居らず、妻を持てない寂しい男は居りませんでした。王様が若し色を好むのであれば、大王のようにお手本を示して、民と楽しみを共になさいませ。そうすれば王者と為るのに何の差支えもございません。」

解説

現代の政治や企業の社会的責任において、最も弱い立場にある人々を最優先で守り、支援することは普遍的で重要な原則です。利益や豊かさを追求すること自体は決して悪いことではありませんが、得たものを社会全体、特に困窮している人々と適切に分かち合う姿勢が不可欠です。経済的な余裕を自分たちだけで抱え込まず、広く還元していくことで、誰もが取り残されない温かい社会が実現し、結果として全体の中長期的な繁栄と安定につながるのです。

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